ミズン村へ




ハアッと息が口から出てしまう。

両手がプルプルと震えているのが分かる。


思考錯誤ではなく、やるしかないと思った結果こうやって崖下の壁に張り付いている訳だが。時々小さな突起の所で止まって呼吸を確かめながら、ゆっくり降りていくしかない。


まだ下は相当な高さがあって、見降ろすのは躊躇われる。

すぐ下だけを見てじりじりと降り続けた末に、片足が地面に着いて、ハアッと大きな溜め息が出た。


何時間かかったのだろうか。

見上げると今までいた台地が天高くそびえている。

ここに帰れる方法もきっとあると、くじけずに進もう。


降りた先は元戦場といった様相の宿場町跡のようだ。

壊れた住居や荷車が道のわきに沢山あって、幾つか見て回るが大したものが無く、積んである箱を壊してみると、崩れやすかった木箱の中に、木の矢が入っていた。


まあ、今は弓が無いのだが。

一緒に矢筒が有ったので、腰に下げてそこに落ちている矢を入れてみた。


結構壊して回ったので数は集まったが、壊した音に気付いたのか、やはり角があるトカゲの様な生物が棍棒を持って襲い掛かって来た。

何故二足歩行なのかは分からないが、腹の下に入り込み斧を振りかぶる。


身長が高いからか、俺が入り込んだ自分の腹は見えないのか、斧の鈍い刃でも倒すことが出来た。しかし固いな。これでは後どれぐらい持つか。


トカゲもやはり煙になり角と爪だけが残った。

原理が分からないが倒した後に埋めたりする苦労が無いだけ良いと思うべきか。

斧の構えを解いた途端に、また奥からトカゲが走って来た。


もう武器が持たないかもしれない。

走って逃げた建物の裏で、錆びた槍が地面に刺さっていた。

ああ、やはりここも戦場だったのか。

俺はそれを両手で抜き取り、上から降りてきた棍棒を弾き返す。


耐久性は無さそうだが、今相手が出来ればいい。トカゲの後ろに回って思い切り錆びた槍で突き刺してみる。背後は弱いのか怯んで膝を着いた。

すかさず二回三回と突き刺す。煙になって消えた時は息が上がっていた。


槍は最後の一撃で砕けて壊れていた。息を整えながら辺りを歩いて、同じように地面に刺さっていた錆びた片手剣を手に取り、山を目指す。

小鬼もチラチラ出て来たが、それはさすがに、あしらう事が出来た。


道の先には石造りの大きな橋が架かっていて、そこに人が立っていた。

川の中をじっと見ていたので、気になって一緒にその方向を見る。

早い流れの中州に、空の鎧が横たわっていて、どうやら彼はそれが気になって見ているようだ。


近くで一緒に見ている俺が気になったのか、川を見ていた男の人が話しかけてきた。

「よお」

「どうも」

「あの鎧さ、君も気になるか?」

「…いえ、あなたが真剣に見ているので、何かあるのかと」

そう言うと、その人は笑って答えた。


「あれが動くって話があってさ。王城が呪われているだろ?だからその周辺のあいつらも動くんじゃないかって、話題になっててさ。気になって見に来たわけよ」

「動きましたか?」

「いいや、ぜんぜん。期待外れだったよ」

肩を竦めてそう言ってから、背負っていたバッグを背負いなおして男の人は橋を離れた。


俺ももう一度鎧を見てから、その橋を渡って男の人が行った左の道ではなく、山に続く右の道を歩いていく事にした。

川沿いのその道は、山影の静かな道だ。

水のせせらぎが聞こえて、自分の足音だけが響いていて。


不意に川の方からごぼごぼという音が聞こえた。

見ると、不定形な何かが岩を投げてきた。

「は?」

避けるが、結構な頻度で投げつけてくる。

弓は無いし今の武器では、水の中に対応が出来ない。


走ってそれを避けながら、何発か食らいながら、山間を抜けて小さな橋がある平地に抜けた。そこまでは追いかけて来なかった。

それぞれの行動範囲があるのだろうか。


はあっと息を吐いて、見ると大きなテントが立っていた。

一風変わったテントで、何をする場所か分からない。

周りに柵がしてあるから、固定のテントなのだろうか。


柵の内側に入ると、何かの気配がして、魔物が入ってこないような気がした。


外にいた旅人風の女性に話を聞いてみる。

「あの、すみません」

「なによ」

少し機嫌が悪そうだが、話してくれたから大丈夫だろう。


「此処は何でしょうか?」

「旅は初めて?」

帰ってくる言葉が少し優しくなる。


「はい、この先に行きたいのですが、此処は安全そうだなと思って」

「そうね、ここは宿屋と馬宿を兼ねているわ」

「馬宿」

「そう、旅している間に野生馬を見つけて、乗って仲良くしちゃって、相棒にする気になったらここみたいな馬宿で登録して、連れて歩けるようになるのよ」


俺が肯いているのを面白そうに、眺められている。

「登録料も掛かるけどね」

「ああ、お金ですか」

「魔物を倒して残った素材が少額だけど、売れたりもするわ」

ああ、あの角や爪が。


「有難うございます」

「いいえ、いいのよ」

最後は機嫌を普通に戻してくれたようだ。


お腹が空いたけれどリンゴは何処でも落ちているので、それを齧りながら朝になるまでここで待とう。

外はたき火の炎だけが灯り代わりで、薄暗い分、空の星が綺麗に見える。

座って星を見ているが、眺めていてもこれを見ていたという実感が湧かない。俺は本当にこの世界にいたのだろうか。


夜が明けて、大きなテントの先に向かう。

続いている道の先が分かれ道になっていて、ミズン村は左の道だと案内の看板が立っていた。右の道の先は何かの訓練場らしい。そのまま左の上り坂を歩いていく。


誰もいない訳ではなく時々歩いている商人とすれ違ったりして、そんなに寂しい道行きでもない。

道端に薬草とかも生えているが、何せカバンが無いからすべて見ないようにして、ミズン村に急ぐことにする。



やがて何かの細工の様な模様が描かれた岩壁が連なる、道が現れた。

何処かから、カラカラと風鳴子の音が聞こえて来る。

岩壁は長く続き、何処まで行けばいいのかと思った時に壁が終わって、村の全貌が見えた。


小さくはない村の大きさで、人々は白い変わった衣装を着ていた。女性は白いベール、男性は白い帽子を被っている。それは大人でも子供でも変わらないようだ。

俺は村の中心まで歩いて辺りを見回す。幾つか店があり、幾つも畑があり、さらに上に昇る山道も見えた。


ワーシャさんだったろうか。

門番が立っている大きな家の下まで来たが、誰に聞けばいいのか。


目的もなくうろついているように見えたのか、門番の人が俺を不審な顔で見て、声を掛けてきた。

「そこの者」

「あ、はい」

「この村に何用か?」

「ああ、あのワーシャさんという方は何処にいますか?」

そう言うと左右の門番にザッと槍を構えられた。


「え」

「どのような要件か」

「ワーシャさまはこの村の村長さまだ」

「…お話を伺いたくて。お忙しいでしょうか?」

門番二人は顔を見合わせてから、もう一度俺を見た。


「君の名前を聞こうか。村長様に聞いてくるから」

問答無用で戦闘にならなくて良かった。

「ディザイアと言います」

「そこで待っておれ」

階段を上って高い場所にある家に入っていく門番さんを見上げて、俺は此処が駄目だった場合を考えていなかった事に気付いた。

ああ、どうしようか。

昔の話を知っている人物か。自分の記憶さえあれば辿れるのだろうが、それは期待できない以上、何か不思議な存在がいるような場所へ行ってみるか。


そんな事を考えて待っていると、階段を駆け降りてきた門番さんが同じく立って待っていたもう一人の門番さんに耳打ちをする。

それから二人して俺の方を向いて、頭を下げた。


「失礼した。ワーシャさまが待たれている」

「ここを上って、中に入られい」

「…どうも、ありがとうございます」

二人に頭を下げて、俺は木製の階段を上る。

村全体が木で作られた建物が多い気がしていたが、この高台にある屋敷もほとんどが木製のような気がする。自然豊かな土地だから材料に困らないのだろう。


両開きの扉を両手で押し開けて、村長の家の中に入った。

木の床の大きな部屋に、奥に高くなっている座敷があり、そこにこちらをじっと見ている女性が座っていた。


長い髪は真っ白だったがエオルカ王ほど年は取っていない気がする。

いや、年齢不詳の様な?


「…ディザイア、久しぶりよな」

そう言うということは、この人も俺の事を知っているという訳か。

まあ、知っていなければここに通しても貰えなかったろうけれど。


「どうした?変な顔をしているが?」

「すまない。俺は記憶がないんだ。あなたの事も分からない」

「そうか。まあそうだろうな。でなければ、あれほど愚かな事態にはならなかっただろうしなあ」

そう言って女性が手招きをする。

俺は少し傍に寄って、そこで立ち止まった。


「いかにした?もっと寄ってくれないか?」

「…あなたがワーシャさんで良いんだろうか」

ぱっと目を開かれて、その女性が笑いだした。


「記憶がないというのは不便よな。いかにも我がワーシャだ」

まだ笑いながら手招きをされる。そこまでされては傍に行くしかないだろう。彼女の座っている場所が高くなっているので、そこに椅子のように座った。


ワーシャさんは胡坐をかいて座っている。

俺が座った頃を見計らっていたのか、ワーシャさんと俺の所にお茶を出してくれた人を見る。よくワーシャさんに似ていた。

少女は長い髪を緩く後ろに一つ縛りでまとめていて、頭にかぶった長い白いベールをなびかせ、離れて部屋の隅に座った。俺の視線を見てワーシャさんがにやつく。


「我の孫のルーシェだ。可愛かろう?」

「…ああ、まあ」

持ち手のないカップでお茶を飲む。

その味はどこかで飲んだ気がするような。


「さて何から話そうか、ディザイア?」

そう問われて俺は、どれから質問をするべきか迷った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る