暗黒の勇者異聞~その勇者は光の夢を見る~

棒王 円

勇者の目覚め




苦しい。

ここは何処だ。

ゴボッと口から泡が出て行く。


目を開く。

手を伸ばす。

水の中から出なければ。


光さす水面を目指してどうにか泳いで、勢いを付けて水中から頭を出した。

泳ぎ出てみれば、自分のいる場所は腹までしかない水深で、何故溺れていたのかさえ分からない。


此処は何処だ?

小さな池を出て、草の上を歩く。

水が滴っているが、気にしないで歩くと、崖のうえに着いた。


心地よい風が吹く。

青い空に白い雲が流れていく。

遠くに山が見えて、その右側にも山が見えた。

そちらは幾らか近いようで、輪郭がいくらかはっきり見える。



遠くを見た後に自分の手を見る。

俺は一体誰だろう。全く覚えがない。

動いて考えることは出来ているから、それなりに生きて来たのだろうが。

景色を見ていた方向から振り返り、崖の手前を見ると道があり、その道の先を見ると右側に小さな人影があった。


その人の持つ杖に着いているのか、歩くたびにガランガランと鈍い鐘の音がする。

小さな人影は道沿いの場所でたき火をしているようだ。


他に人は見えない。

俺はその道を歩いて人影の所へ行こうと思った。


たき火をしている人が近付いた俺に気付いて、顔を上げた。

その人は随分と年老いた人に見えたが、話しかけてきた声は案外若々しかった。


「おや、こんな場所に人がいるなど珍しい。お前さん何処から来なさった?」

俺が崖の方を指さすと、首を傾げられた。

「はて、あそこには小さな池があるきりで、人がいられる場所などなかった気がしたが」

そう言いはしたが、俺が何処に行くとも話さないでいると、心配したのか辺りの話をしてくれた。


ガランと鐘が鳴る杖を掲げて、道の更に奥にある建物を指示した。

「あそこにあるのは始原の聖堂という物でな。今は崩れているが昔は国の重要な祭事はすべてあの場所で行われていたのだよ」

示された先には確かに、大きな建築物が半壊した形で立っていた。


「今は祭事などする者も居ないだろうがなあ」

呟くように言ってから、老人は俺に笑いかける。

「それにしても、お前さんは随分と丸腰だな。あの聖堂に行くにしても武器の一つぐらいは持っておいた方が良いだろう」

そう言って立てかけてあった大ぶりの斧を渡してくれた。


「木を切る時に使っているが、まだ刃こぼれはしていないだろう」

俺が頭を下げると、にこにことたき火で焼いたリンゴも渡してきた。

「気を付けていくのだよ」

「はい」

もう一回頭を下げて、俺はその始原の聖堂を目指した。



歩いて行くと思ったよりも近い場所で、崩れた階段を上っていくと、崩れた壁の横に錆びた大きな鎧が鎮座していた。

頭の部分が無い中身のない鎧が壁を背に、座り込むようにそこに在る。

膝に昇って中を覗いてみたが、錆びた内側には何もない。


階段を上り切ると、また鎧が転がっていた。完全に揃っているのもあれば足だけや手だけの物もあった。

どれも頭部はなくて錆びている。

まるで此処が戦場で、戦いがあったかのように見えた。


聖堂の中に入ると床石は殆んどが剥がれて、地面がむき出しになり草も生えていた。高い天井も崩れた部分があり、昔はガラスでもはまっていただろう窓には何もなく、風が吹き抜けていくばかり。


聖堂の奥には石で造られた、多分、女神像が立っていた。

彫刻された当時はもっとはっきりとしていたのかも知れないが、今は風雨で削られたのか、あまりはっきりとしない姿だ。

それでも荘厳に見えるのは、昔の人々の信仰心のせいか。


そこから何処かに移動しようかと思った時、後ろから唸り声が聞こえた。

振り向くと、小さな角をはやした半分動物の様な小鬼が立っている。

見た覚えはなかったが、それが敵意を持っているのは感じ取れた。


貰った斧を構えると、不気味な笑い声を出す。

振りかぶって斧を横薙ぎに払うと、それは避けながらも当たったのか弾き飛ばされた。追いかけてもう一撃斧を振るう。

今度はきちんと当たったのかギャッと言って倒れた。


俺は斧を片手に持って小鬼の死骸を見に行く。

ところが近くに寄ると煙が立ち、死骸は消えてしまった。

「え?」

そこには小鬼の角しか残っていなかった。角を拾うがこれが何の役に立つか分からない。俺は入れるものも持っていないので、ポケットに入れて先に進む事にした。



草の上を歩き小鬼を何匹か倒して、この場所の端と言うべきか、また崖の上に立った。どうやらこの場所は下に見える大地に降りるのが困難な場所に存在している様だった。


飛び降りてもいいのだが、生き残れる自信はない。

どうすればいいのか考えだした時に、ふと疑問に思った。

俺はどこかに行きたいのか。


下に見える大地から目を離し、後ろを振り返る。

草原の台地。

崩れた聖堂があり、小鬼たちが生息している。

食べるものはリンゴが生っている木があり、所どころにある池に魚が泳いでいて、探せばキノコぐらいはあるかもしれない。小動物がいるのも見て分かっている。


この場所で生きていけるかもしれない。

どこかに行く必要性はあるのか。

俺がそう思った時に、どこかから声が聞こえた。


『聞こえますか、勇者よ。私の声が聞こえますか』

女性の声がどこかから聞こえて来る。

俺はその声にぞわっと悪寒が立った。


『聞こえているのなら、お願いします。呪われし魔王を倒してください。お願いします』

綺麗な声だ。凛として知性も感じる。

けれど俺の悪寒は悪化するばかりだ。

どうしたんだ、このおぞましい感覚は。


「ああ、また、聖女が念話を送って来ているんだな」

俺の横にいつ来たのか老人が立って、そう話してくれた。

「聖女」

その言葉にまた気分が悪くなる。

「ああ、この国が無くなった原因の聖女だよ。もう一人の原因の勇者はもうとっくに死んでしまっているがね」


老人はガランと音をさせて、杖ではるか下の大地の向こう、黒い霧でけぶった建築物をさし示した。

「昔あそこはこの国の中心部、王様が住む城だったのだが、魔王が復活して攻めて来た時に籠城した勇者と聖女が、力がなくてね」

溜め息を吐いて老人が杖を下げる。


「魔王はその力で国を呪い、国は壊されてしまった。その時に勇者は死んで聖女は魂が城に閉じ込められた。それからああやって、気が向いた時に声を出す。誰でもいいから助けてほしいのだろうね」

老人は俺を見て話を続ける。


「本当は勇者が二人いたのだよ。だが一人の勇者は魔王と戦わずにどこかへ消えた。もう一人の勇者と聖女が逃げたと言っていたが、信じられなくてね」

老人が俺をじっと見ている。


「私はずっと待っていたのだよ、もう一人の強い力を持つ方の勇者をな」

俺は老人の顔を見返す。

どこかで、この顔は。

「ずいぶん遅い帰りだな、ディザイア」


じゃぶんと水音がした。

俺は光の勇者と聖女と、他のパーティの仲間に捕まって崖から深い湖に落とされた。俺は泳ぎが得意ではないと皆が知っていた。だから報酬が増えると喜んでパーティ全員で俺を、水の中へ。


「思い出したのか?」

「少しだけ。自分が事故に会った時のことを」

「そうか」

俺は老人の顔を見なおす。

「あなたは」

「ディザイア、ここから見えるあの山の向こうに、色々と話をしてくれる人物がいる。そこに行きなさい。私はもう、あの聖女の戯言を聞くのにうんざりしてしまったのだよ」


もう一度杖で示されたのは、近くに見える方の山で。

「ミズンという村があって、そこにワーシャという人物がいる。色々と記憶を補てんできる話をしてくれるだろう」

「…エオルカ王」

俺が呟くと、眉を下げて年老いた顔で笑った。


「行きなさい。そして願わくば君が幸せになれるよう」

「この国の復興を願わないのですか?」

「…それを君一人に背負わせるほど、私は非情ではないよ」

そう言って笑う顔がうっすらと色を失っていく。


「待ってください!いったい俺はどれだけ」

光に包まれながら、エオルカ王は困ったように笑った。

『それも、村に行って聞きなさい。…ああ、やっと五月蠅いのから解放される…』


光が薄く淡くなり。

俺の眼の前から、一人の人物が消えた。

その光が消えた方へ頭を下げることしか出来ない。


いまだ記憶は不確かで、事件の事しか分かっていない。それを起こした人物たちの顔もまだはっきりとしない。

それでも、あの不快感はエオルカ王の言葉が真実だろうと思わせてくれる。

俺を待ってこんな場所で一人で過ごしてくれていた人を、信じない訳にはいかない。


どれほどの時間が過ぎたのか。

それを知るためにも、王が教えてくれたミズン村を目指そうと思う。


そのためには、この台地を降りなければならないのだが。


「…どうやって降りようか」

崖を覗き込みながら、俺は溜め息を吐いた。



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