現実の続き、未来への羽音
第二十五話
黄昏の慟哭を知ったのは放課後の教室。誰かが机の上に置き忘れていたのを見かけたことだった。
描かれていた絵梨奈の絵。彼が描くものより幼いものだけど、優しい笑顔が僕を呼んでくれた気がした。
あの時には考えもしなかったことが起こってる。
風に揺れる長い髪と、もうすぐ金色の光になっていく彼を照らす太陽。
「姿が変わるのはどんな気持ちだ。歳を取るというのは」
「僕にはまだわかりません。だけど両親は、僕と兄貴の成長を喜んでくれます。何かを見届け、喜びを感じられるものかもしれません」
「そうか」
「どうしてそんなことを?」
「絵の思い出に包まれる中浮かんだ願いがある。美結と一緒に歳を取りたい。すぐに叶うとは思えないが……そんな日々が待っているなら」
彼は足を止め屋敷を見上げる。
「僕が生みだされ、リリスと出会ったのは地下室だ。最初に感じ取ったのは寒さ。次に感じたのは、僕を抱きしめたリリスの温もりだった。こんなことを何故思いだすのか」
「リリスの大切な思い出かもしれません。霧島さんにとっても……いつかは大切なものに」
「君は、悟ったことを言う」
歩きだした彼を追う。
青みが薄れだした空、太陽の眩しさも和らいでいる。
「美結と旅に出たら、絵を描き始めるつもりだ。絵梨奈を描いて以来何も描かずにいたが。僕にはまだ創作意欲が残っているらしい」
「物語は書かないんですか?」
「絵が描ければいい」
見えだした花の群れ。
絵梨奈の手の温もりと、僕を見たリオンの残像が浮かぶ。風が揺らす花の中、見えるものはない。
「霧島さん、妖魔は」
「まだ眠っている、住処は地面の下」
彼と共に花の群れの中に立った。
冷たい風の中、見上げる空と僕を包む花の匂い。
「集めた願い、君はどうするつもりだ」
「リリスに託せたらって思うんです。他に何が出来るかわかりませんが」
「君の願いはなんだ」
「絵梨奈の幸せな未来、それと霧島さんの願いが叶うことを」
屋敷を見ながら思う。
みんなは今何をしてるのか。
初めて出会った召使い達。
みんなが黄昏庭園で笑顔になれる未来。それをここから作りだしていけるなら。
「愚かな願いだ。いつ叶うか知れない……見えもしない未来など」
「見れますよ、きっと」
「何故そう思う」
「絵梨奈が見せてくれると信じてるから。過去も今も未来もひとつの空に繋がっている。……だから」
僕に触れた絵梨奈。
あの時、彼女を包んでいたブルーのドレス。それはこれから先、僕が見続ける空の色だ。
「大事なことを忘れてた。霧島さん、ノートは消滅しました。何を意味するかわかりますか? リオンは許したんです、霧島さんの存在を。自由に生きていいんですよ」
「リオンが……僕を?」
「たぶん、リオンは妖魔の中にいます。リリスと共に霧島さんを待っているんです。あなたという、もうひとりの自分に……別れを告げるために」
「本当に、悟りきったことを」
彼の白い髪を包みだした光。
黒い眼帯をも染める金色。
訪れた黄昏時。
冷たい風の中、体が感じ取る振動。
地面が揺れている。
感じ取る揺れの中、彼は僕の腕を掴みあとずさる。立っていた場所に見えだした黒く大きな影。それはゴボゴボと音を立てながら膨れ姿を作りだしていく。
どろりと黒光りする体。
僕達に向けられた青い目と、裂けたように開いた口から漏れる息。
妖怪や化け物。
本や映画の中、見てきたものとは違う姿。不死の血が生みだしたおぞましいもの。僕達を包み漂う血の匂い。
「僕達の血は思考を持たない代わりに生きることだけを知っていた。苦しみを糧に血が生みだした僕達の分身。動けるのは
眼帯が外され露わになった左目。傷痕を撫でながら、彼は妖魔へと近づいていく。
「霧島さん」
「妖魔の目覚めは僕にとって失望でしかなかった。声が響くたびに蔑まれているのだと。本当は知っていたんだ……妖魔が助けを求めていたことを。僕とリオンの苦しみは、人の姿になることを許さなかったから」
近づいた彼を前に、妖魔は叫び声を上げる。
彼が見てくれたことを喜ぶように。
長い時の中、妖魔は彼を待っていた。目を覚ます短いひと時と眠る夢の中で。
「妖魔は信じていた。僕と同化すれば人の姿になれると。醜い者の願い、別れの前に寄り添ってやろう。僕の願いのため、未来を手に入れるために」
彼を捕えようと蠢いた妖魔。
開かれた口と見える牙。
僕も行かなきゃ。
リリスが待っているから。彼とリオンの別れを見届けるために。
近づいた。
捕らわれた彼を追って。
僕達を待つ未来のために。終わった先にある、みんなの笑顔を知っているから。
暗闇の中、生温かい風が僕を包む。
遠くに見える真っ白な光。
鼓動と血の巡り。
何処からか響く妖魔を生かす音。
「霧島さん、いますか?」
返ってくる声はない。
何処にいるんだろう、気を失ってるのかな。
まさか、妖魔に取り込まれちゃったんじゃ。
「霧島さん」
誰かの手が僕に触れた。
絵梨奈とは違う温もりだけど、柔らかな感触が彼のものだとは思えない。
「また会えたわね、都筑颯太君」
ドクンッ
音を立てた僕の心臓。
この声は。
「リリス? ……リリスなのか?」
僕を包む彼と同じ匂い。
間違いない、リリスがそばにいるんだ。
「飛ぶわよ、都筑君。あの光に向かって」
リリスに言われるまま飛んだ。
暗闇の中、匂いを追うように。
「会えてよかった。リリス、助けに来たんだ」
「助ける? 私を?」
「いっぱいの願いを持ってきた。力に変えることは出来ないかな。リリス、僕達と一緒に」
僕達を包みだした白い光。
振り向いたリリス。
彼と同じ顔が僕に微笑んだ。
なんて……綺麗な
真っ白な光の中、リリスから感じ取るいっぱいの優しさ。
「リリス、この光は何? 妖魔の中にいるのに怖さを感じない」
「対話を繰り返し、わかり合えた妖魔の心。君がいた暗闇は、妖魔を苦しめた絶望の名残り。罰を下された私を、君は助けると言ってくれた」
漂い破れ、光に溶けていく夢道さんのメモ。
響きだしたざわめき。みんなが語る願いの残響だ。
光が広がっていく。
みんなの願いが……生きている。
「氷の牢獄に閉じ込められた
「……どうして?」
「妖魔を願いの象徴に変えるため。私と共に神の元へ旅立っていく。不死という夢物語を終わらせるために」
ひび割れていく暗闇。
隙間から見える黄昏庭園の花。妖魔の体が壊れだしたのか。
「温かいわね、君が集めた沢山の願い。妖魔と共に力になってくれるもの。夢物語の終わりの先で……私の願いを叶えてくれるかしら」
リリスが白く霞んでいく。
僕に見せた晴れやかな笑み。
「いつかは……人になれる時が」
「……リリス」
伝えなきゃ。
ゼフィータが僕に託したひとつだけの。
「叶うよ。いつかの未来、叶った先で巡り逢える。リリスを想うひとりだけの人に」
リリスが伸ばした手の先に舞い降りた金色の羽根。
「君に会えてよかった。坊っちゃんが出会わせてくれたの。彼は絶望の中、君という希望を見つけた」
消えていくリリスを前に三上の願いが僕の中を巡る。
まいったな、みんなの願いに溶かさなきゃいけないのに。言いだせる空気じゃなくなってきた。
「不器用な所、リオンにそっくりね」
心を貫くひとつだけの声。
体をすり抜ける感覚と見えだした絵梨奈。
「彼女の願いは、私が連れていくわ。ありがとう、君の想いはくすぐったくて心地いいものだった」
リリスを追うように絵梨奈が霞んでいく。
僕にだけ向けられた笑顔。それはリオンが知らない特別なものだ。
「私は願うわ、思い出になっていく私への想い。それが君の目になっていくことを。未来にあるものを見続けることが出来るのだと」
伸ばした手が絵梨奈に触れることは叶わなかった。
誰かが僕を……暗闇へと導いたから。
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