第二十三話
ふたりに見られながら夢道さんと歩く。
窓からの陽射しに眩しさを感じながら。
「あの日、都筑君と別れ屋敷に戻ったあと、貴音様が話してくれました。私が知らなかったこと……何もかもを」
「霧島さんが生まれた経緯や黄昏庭園、棲んでいる妖魔のこと」
夢道さんは足を止め僕を見る。
「僕は霧島さんと一緒に、妖魔との対峙を考えています。その先にある未来を見届けるために。霧島さんに断られたら……僕ひとりででも」
リオンとリリスの願いは、彼の苦しみが消えることに繋がっている。彼がリリスを許し、妖魔の中にある憎しみが願いの力になっていくなら。
いつかの未来、彼にあるのは限りある命。
「都筑君は貴音様と出会ってくれました。貴音様は待っていたのかもしれません。運命を諦めながらも……手を差し伸べてくれる誰かを。貴音様のそばにいられること、私の願いは長い時をかけて叶いました。きっと叶わない願いなんてないんです。願いは無限の力を持っているから」
僕から離れ窓のそばに立つ夢道さん。窓の外に見える樹々に囲まれた花が咲く場所。
もしかして、黄昏庭園?
夢道さんの指が窓に触れ、陽の光を追うように動く。
「話を聞いてから考えていたんです。黄昏庭園、貴音様が人を遠ざけるのは何故だと思いますか?」
「妖魔に……襲われないため」
「いいえ、貴音様にしか見えないものなんです。妖魔が危害を加えるものなら、屋敷に誰も居させようとしないじゃないですか」
「そう……ですよね」
「雪斗様が主人となり、貴音様がいなくなっても誰も襲われはしません」
「じゃあ、どうして霧島さんは」
「貴音様にとって、妖魔は恐れと嫌悪の象徴。それは人と世界を恐れる貴音様自身だと思うんです。貴音様にとって、黄昏庭園は触れられたくない心の壁」
僕と同じだ。
触れられたくないものは僕にもある。どんなに親しくて心を許しても。
たぶん誰もが同じなんだ。
心は時々、望みもしない絶望を呼ぶ。
怖くなるんだ。
いつか裏切られて傷つけられるんじゃないかって。
だから壁を作ろうとする。傷つけられても壊れない強さを演じながら。
「貴音様は怖いのかもしれません。壁を壊して心を開いていくことが。でも壊さなければ運命に抗えないことも知っている。だから理解し、助けてくれる誰かを待っていた。そんな気がするんです」
……オン。
ニャオン。
猫の鳴き声が響く。
何処かから、僕の耳に流れ込むように。
夢道さんに重なりだした白い猫と彼の残像。彼の顔に浮かぶ柔らかな笑み。
彼にも笑っていた時があったんだ。
「書庫室は近いですか? ここからは僕だけで行きます。それで、夢道さんに頼みたいことが」
「なんです? 私に出来ることなら」
「僕の友達と召使い、みんなの願いを聞いてほしいんです。どんなものでもいい、力に変えるために」
「貴音様のためにも繋がるんですね?」
彼を見上げる猫の目の輝き、それは夢道さんと同じだ。
絵梨奈。
繋がりの鮮やかさを君が教えてくれた。君が見せてくれたものを忘れずに生きていく。
力になった願いがリリスの想いに溶け込んだなら。
彼と……きっとわかりあえる。
「この先を曲がったらまっすぐに歩いてください。つきあたりの大きなドア、そこが書庫室です」
「ありがとう」
書庫室に向かい走りだす。
緊張を飲み込む胸の高鳴り、混じり合う希望と絶望。
絶望は終わりじゃない。
未来を呼び寄せる絶対的な希望だ。
ドアを開ける前に息を整える。時雨さんが言うとおり、油絵が彼の未来に寄り添っていくなら。
今、僕がここにいることに意味がある。
ドアを開け感じる古い紙の匂い。いっぱいの本棚と隙間なく並べられた本の数々。ここにあるもの全部彼は読んでるのかな。
「霧島さん、いますか?」
返ってくる声はない。
本当にいるのかな、不安になりながら本棚の間を歩く。
「霧島さん、いませんか? 霧島さ……」
本棚にもたれ座る彼が見えた。開かれたままの本と閉ざされた目。眠ってるのか。
起こすの悪いかな。だけど起こさなきゃ油絵を渡せない。
深呼吸して彼に近づいた。
肩に触れ力を込める。
「霧島さん、起きてくれませんか? 霧島さん、都筑です」
瞼が開き、彼の目が僕に向けられる。
「何故……君がいる?」
僕を前に見開かれた目。
彼の手から落ちた本と顔に浮かぶ戸惑い。黒で統一された彼の服装は、本に囲まれてても華やかな雰囲気だ。
「すいません、驚かせて」
「ここを教えたのは美結か」
「はい」
「余計なことを」
彼は立ち上がり窓へ向かっていく。落ちたままの本、気になるけど触る訳にもいかない。
「余計なことをしているのは僕かもしれません。僕の中に絵梨奈がいるんです。僕の目になって、見えるはずのないものを見せてくれる。黄昏庭園に棲む……妖魔も」
彼は振り向かず窓の外を見上げだした。窓の先に見える空、黄昏時まで……あと数時間。
「僕はリリスを助けたいです。霧島さんと一緒に」
「君と話してから、僕は夢を見続けている」
「どんな夢ですか?」
「黄昏庭園の中微笑むリリス。おそらくは妖魔が見せるものだ。醜い分身が僕を見下すとは」
「リリスが、霧島さんを呼んでるんじゃ」
彼が窓を開け、白い髪が風に揺れる。
「リリスと夢道さんは同じことを考えています。霧島さんを助けてくれる誰か。霧島さんは助けを」
リリスにとって彼は希望だ。
彼を光に導こうとしている。
「みんなの願いを集めてるんです。いっぱいの願いが力になると信じて。神と呼ばれる者、リリスの想いが届けば……きっと変えられるものが」
本棚に立てかけるように置いた紙袋。
彼を信じよう。
信じれば変えられるものがある。時雨さんが言ってくれたことに嘘はないんだから。
「油絵が入っています。ネックレス……物の思い出を見せてくれるものも。僕が見たのはオルゴール、ずぶ濡れになって綺麗な音が出せなくなった物。それでも秘められた思い出は幸せなものでした。油絵が秘める思い出も幸せなものだと思います。それが……霧島さんに届くなら」
空を見上げたままの彼。
頭を下げ彼から離れていく。
出来るだけのことはした、あとは彼を信じて待つだけだ。
似たようなドアが並ぶ中、召使いに確認して開けた客室のドア。
「あれ?」
三上と夢道さんしかいない。
嫌な予感が僕の中を巡る。
「三上、みんなは?」
「夏美が霧島君の部屋が見たいって言いだして。野田君も一緒だと思うんだけど」
やっぱり坂井か。
霧島を口実に、母親と一緒に屋敷を見て歩くつもりなんだ。野田の調査には釘を刺してたくせに。
僕が椅子に座ってすぐ、夢道さんが紅茶を入れてくれた。
「都筑君、聞いた願いをメモに書いておきました。彼女からはまだ聞けてないんですが」
メモに書かれたもの。
霧島の一日でも長く彼のそばにいること。坂井親子の玉の輿への憧れ。野田の生涯一番のダチに会えることと、好きなお笑い芸人に会えること。野田がお笑い好きだなんて、クラスのみんなびっくりするよな。
「三上は? 願いごと、なんでもいいんだけど」
「私は」
うつむいた三上の顔が赤くなっていく。
たぶん、三上の願いごとは僕のことだ。
「颯太君、みんなの願いを聞いてどうするの?」
夢道さんと顔を見合わせた。
彼と僕にしか見えない妖魔、僕がやろうとしていること。
「夢道さん、三上には」
「話していいと思います。あとになって後悔しないためにも」
絵梨奈の残像が僕に微笑む。
大丈夫、絵梨奈が背中を押してくれてるんだ。
「三上は信じてくれるかな。黄昏庭園と呼ばれる庭、そこに棲む妖魔」
「それって……化け物ってこと?」
「みんなには見えないんだ。僕が出会った天使が、妖魔に閉じ込められてる」
三上の顔に浮かぶ困惑。
無理もないよな。こんなこといきなり言われても信じられない。それでも話さなきゃ。
「天使が秘める願い。それは霧島のお兄さんにも関わることなんだ。お兄さんのことは……僕からは言えないけど」
「霧島君は知ってるの?」
「知らないと思う。お兄さんが話してないことを、僕が話す訳にはいかないし」
「なんだか……話が突飛すぎて」
三上はティーカップを手にため息をつく。
「僕は天使を助けたい。そのためにいっぱいの願いを集めようと思ったんだ。僕に出来る精一杯のこと」
クッキーを取ろうとして手を止めた。
昼休みの屋上、三上と一緒に食べたクッキー。覚えているはずの甘さを思いだせないのは、僕の中で
三上を傷つけた、その事実が僕を軋ませる。
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