黄昏庭園と願いのモノガタリ
都筑颯太視点
第二十一話
土曜日の午後。
時雨さんが淹れてくれたお茶を飲む。
僕の隣に座るなり、猫じゃらしの修理を始めた兄貴。
「風丸が壊しちゃってさ。見ろよ、この爪痕」
「新しいの買えばいいのに」
「これ、昨日買ったばかりなんだよ」
口を尖らせながらも兄貴は楽しそうだ。
「颯太君、涼太君から聞いたが屋敷に行けるようになったそうだね」
「はい、明日みんなで行くんです」
夢みたいなことが続いてる。
僕の中に絵里奈がいることも、明日また……彼に会えることも。数日前、話せたことがまだ信じられないのに。
「何が起こるかわからないものだね。一冊のノートから」
時雨さんは二個目の大福に手を伸ばした。
リリスに託されたネックレス。
物の思い出を読み取れること、時雨さんに話してみようかな。知ってほしい気がする。物が秘める思い出と、時雨さんがどれだけ慕われているのかを。
時雨さんは僕の話を信じてくれる。
僕を信じてくれた兄貴が一緒にいる人だから。
時雨さんが信じてくれるだけで前を向ける気がするんだ。
「あの、時雨さん」
「こんにちはっ‼︎ 時雨さんはいるかい?」
店から響く大きな声。
誰だろう、時雨さんの知り合いかな。
「なんだい、私を見るなり隠れるなんて。臆病な猫様だよ、まったく」
呆れと落胆が混じる声。笑う兄貴と『やれやれ』と立ち上がった時雨さん。
「紅葉さんだ。ふたりともゆっくりしているといい」
「誰なんですか?」
「丼物屋の女将さ。君達にも天丼を奢らないとな」
にもって、誰かに奢ったような言い方だな。
「兄貴は知ってるの?」
「あぁ、出前帰りに来たことがある。時雨さんと仲がいいんだ」
時雨さんを追って和室を出た。
店に入って見えたお婆さん、時雨さんは親しげに笑いかける。
「いらっしゃい。今日は油を売りに来たのかな?」
「売る油なんてありゃしないよ。猫様に土産を持って来たんだ。おや、今日も客がいるのかい?」
僕を見るなり紅葉さんは目を丸くする。オモイデ屋はお店だし、客がいるのはあたりまえなのに。
「涼太君の弟さんでね、僕の茶飲み仲間だ」
「ふん、相変わらずだね時雨さんは。茶菓子はいつもの大福餅かい?」
紅葉さんに頭を下げてから風丸を探し始めた。お土産が何かわからないけど、風丸と一緒にお礼を言わなくちゃ。
「風丸……何処にいるんだ?」
カウンターのまわりにも陳列台の下にもいない。狭い店の何処に隠れる場所があるんだろう。
商品が並ぶ陳列台、見えるのは商品の間を走り抜ける小人達。童話に出てくるような色とりどりの格好。髭を生やした老人を先頭に、夫婦らしい男女と子供達があとに続く。
見えない世界の住人か。
オモイデ屋が大好きで、時雨さんに会いに来てるのかもしれないな。
彼らだけじゃない。
幽霊や妖怪と呼ばれる者が日々訪ねてるとしたら。気づいてもらえなくても、時雨さんが笑うのが嬉しくてまた会いに来ようって思う。
オモイデ屋は繋がりの場所だから。
振り向き見えた油絵。
紺碧の
「ほら風丸、出ておいで」
「ニャァ〜ッ‼︎」
兄貴の声がするなり現れた風丸。
そっか、探し回るより兄貴を呼べばよかったんだ。
「お兄さん、猫様に言っておくれよ。私は化け物じゃないってね」
「ははっ、聞いたか風丸。これからはもう逃げないよな?」
「ニャァ〜ッ‼︎」
「まったくこの店は、猫様が店主みたいじゃないか。それよりも土産。美味しそうな鰹節を見つけてね、猫まんまにどうかと思ったんだよ」
お土産鰹節だったんだ。
「颯太君、この絵が気になるか?」
時雨さんが僕のそばにいる。
ひび割れた眼鏡越しに僕を見る温かな光。
「時雨さん、この絵僕に売ってくれませんか? 霧島さんに渡したいんです」
「僕も彼にと考えていた。この絵は彼の未来に寄り添っていくだろうから。金はいらんよ、持っていくといい」
「払いますよ、売り物じゃないですか」
「いいんだよ、颯太君への贈り物だ」
時雨さんは微笑む。
「彼に話したのは少しだが。この絵を売りに来たのは、恋人を亡くした
「どうして時雨さんは、彼にこの絵を」
「言っただろう? 彼の未来に寄り添っていくだろうと。僕の勘に過ぎないがね」
振り向くと小人達が時雨さんを見上げている。
指を立てて、ひとりひとりを数えるように動かしてみる。驚いて隠れてしまった小人達。見えるのが時雨さんだったら、みんな大喜びで走り回ったりするのかな。
「彼は苦しみを秘めているね。それが何かはわからないが」
「彼と少し話したんです。彼が秘めるもの、僕には受け止めきれないものでした」
「それでも颯太君は受け止めようとしている。その想いが彼の背中を押すと僕は信じるよ」
時雨さんは不思議な人だ。
どうして時雨さんが話すことは、こんなにも温かく僕を和らげてくれるのか。いつかは僕も、時雨さんみたいになれるかな。
「時雨さん、信じてくれますか? 僕は天使に会ったんです。リリスという綺麗な
「信じるさ、僕は何ひとつ嘘だとは思わない。騙されても信じれば変わっていくものがあるから。颯太君、未来も同じだ。信じれば変わっていく、変えていけるものがある」
兄貴と紅葉さんの弾む声と可愛らしく響く風丸の声。
リリスを助けだせたら、みんなで集まれればいいな。
リリスは喜ぶ気がするんだ。
みんなが笑う温かな場所を。
壁から外され、渡された絵。
振り向き僕を見る彼の残像。
そうだ、話さなきゃ。
時雨さんにネックレスのこと。
「時雨さんに知ってほしいことがあるんです。ネックレス……これはリリスから」
「気持ちだけでいい、茶飲みに戻るとしよう」
「大事なことなんです、これは」
物が秘める思い出。
時雨さんに知ってほしいのに。
「鰹節のお礼にお茶を淹れよう。涼太君が大福餅を買ってきてくれる」
「まだあるじゃないですか、わざわざ買って来なくても」
「お兄さん、買うなら草餅にしておくれ。まったく、時雨さんには敵わないね」
「時雨さん、聞いてください。これ」
「大事なことなのだろう? それは彼に話すこと、僕はそう思うがね」
温かい笑みを前に思う。
神と呼ばれる者が生みだした者達。
彼らを包む不条理な夢物語とは違う。
時雨さんが描くのは温もりに包まれた夢物語だ。
捨てられ、忘れられた悲しみが知る優しさ。
僕を包む夢物語は。
限りある未来を知っている。
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