第18話
陽に照らされて輝く白い髪。その光はリリスを閉じ込めた氷を思いださせる。
リリスを罰したのがゼフィータだとしたら。同志と呼んだ彼女を、どんな気持ちで罰したのか。
「繋がり? あの女が?」
リリスと同じ目に浮かぶ嘲りの光。それは彼が秘め続けた憎しみを鮮烈に物語る。
「何故そんなことが言える。導かれた世界は、君をそそのかす嘘だとも考えられるだろう」
「マユリとハムスター達の世界は温もりに満ちています。僕はそこで会えた……可愛がっていた犬にです」
可愛らしいチビの残像が浮かぶ。
——チビ。いい子だな、チビ。
温かな兄貴の残響。
「チビが幻だってわかってます。だけど僕の思い出から連れ出されたチビは、彼らの世界で幸せに過ごしている。リリスが作った世界に嘘はありません。不死を憎み訴えようとした彼女は……たぶん、誰よりも優しいんです。リリスは罰せられて、閉じ込められたんだ」
体の奥底から込み上げるものがある。
泣きたいような、悔しいような……言葉に出来ない何かが。
鎖が巻きついた姿。
今はきっと、冷たさも痛みも感じていない。だけど意識が途絶える時まで、リリスを支配した痛みと秘め続けた願い。
「あなたも作りだした世界もリリスにとって大切な存在です。リリスは反旗を翻した、限りある命を愛しながら。自分が罰せられることと引き換えに、神と呼ばれる者に……命の尊さを」
鳥の鳴き声に彼は顔を上げた。
空に鳥の姿はなく、何処からか響くだけだ。
「お待たせしました。朝のコンビニって結構混んでるんですね。都筑君ったら、座らなくていいんですか?」
夢道さんの呆れ気味な声。
「すみません。でも夢道さんのおかげで話は」
「ミルクティーにしました。貴音様は、雪斗様と一緒に毎日ミルクティーを飲んでるんですよ」
夢道さんが手渡してくれた缶入りミルクティー。彼に渡そうとした夢道さんの手が止まる。夢道さんを追い見えたのは、眼帯が外され露わになった左目。
血色に覆われている。
僕に震えを呼ぶ痛々しさ。
「美結、彼に土産を買ってくるんだ」
「お土産なら、私が焼いたクッキーが」
「なんだっていい。……行くんだ」
夢道さんがいなくなり僕達を包む風。
「遠のいた過去、僕はこの顔を切り裂いた。絵梨奈が黄昏庭園と呼んだ場所で」
黄昏庭園。
なんだか、物悲しい響きだ。
「屋敷の庭、樹々に囲まれ鮮やかな花が咲く。血塗れの僕を前にリリスは笑った。それが蔑みでないと誰が言いきれる?」
「……それは」
抱き続けた憎しみの深さ。
返す言葉がなくミルクティーを飲む。考えるのは霧島のこと。
「雪斗君との日々は幸せですか。リリスとの繋がりにも……幸せな何かは」
「生みだされた時感じ取った優しさがある。自分が何者か、わからず震える僕を……リリスは抱きしめた」
開いたままの左目。
血で固められ、閉じることが許されなくなった痛みの代償。それでも彼に残るリリスの優しさの記憶。いつかそれが、リリスへの憎しみを薄れさせるなら。
僕が今出来るのは信じること。
その時が彼にやって来るように。
「僕が何故、
彼の声が響く。
「これは警告だ。黄昏庭園には近づくな」
「どういう……ことですか?」
「雪斗は君達が屋敷に来ることを望んでいる。来たければ何度でも来るがいい。僕からの条件は黄昏庭園に近づかないことだ。警告が意味するのは、黄昏庭園に棲む妖魔」
「……妖魔?」
「過去、ふたつの血が流れ落ちた。翼を斬り落とした死神と顔を切り裂いた僕。不死の血が混じり生みだしたもの。それは黄昏時にだけ目を覚ます」
不死。
流れた血すら生き続ける。
恐ろしく残酷な命の形だ。
「左目には妖魔の姿だけが映り見える。黄昏時僕にだけ聞こえる声。それは……人への羨望を持ち続けている」
人になりたい。
強い願いは……血が生みだした異形の者にまで。
「そのことを……知っている人は」
「誰ひとり話してはいない。だから美結を遠ざけた」
「どうして、僕にだけ」
「君は言った、リリスは罰を受け閉じ込められたと」
どくり
体の何処かが音を立てた。
恐怖。
緊張。
不安。
何が音を立てたのかわからない。
「数日前、妖魔の叫びを聞いた。喜びとも悲鳴とも取れるおぞましい響き。これは僕の憶測だが、リリスの命を妖魔が飲み込んだとしたら。死神の願いと僕の憎しみが混じり合うままに」
氷に閉じ込められたリリス。
生気を感じられなかった肌の色……あれは彼が言うように。
「君の話を受け止め、リリスを許そうと……妖魔の中で憎しみは生き続けるだろう」
神と呼ばれる者の逆鱗。
それは長い時の流れの中、リリスが訴えたものを残酷な形で。
「憶測に過ぎない。罰を下した者でない限り、リリスが落とされた地獄を知ることはないのだから」
憶測……そうだとしても。
リリスの命は何処にある。
リリスは今、どんな思いを。
彼の目が動く。
振り向いて見えるのは、近づいてくる夢道さん。
「霧島さん、ひとつお願いがあるんです」
こんなこと、僕が言うのはおこがましいけど。
「僕に話したこと全部、夢道さんにも話してくれませんか?」
妖魔の存在なんて、僕もすぐには信じられない。
それでも。
「僕が手紙に書いたこと、夢道さんは喜んでくれました。霧島さんのことを知ることは夢道さんの大きな喜びだと思うんです。夢道さんが受け止めてくれるだけで、霧島さんは救われる……そんな気がします」
「……考えておこう」
「買ってきました。お土産なんですが、これでいかがでしょうか」
夢道さんに渡されたのは、オムライスのおにぎりふたつ。お土産っていうより昼の差し入れっぽいな。
「美結、空気を読めと言っている」
「読んでますよ。オムライスはね都筑君、雪斗様が好きな料理なんです。仲良くなれるきっかけに一緒に食べてみては」
彼の隣に座るなり、夢道さん飲みだしたのはココア。
「都筑君、今からでも座りますか? 貴音様の隣」
「いっいえ。そろそろ学校に行かなくちゃ。すみません、色々と買ってもらって」
受け取ったものがいっぱいだ。
霧島からの手紙と夢道さんが焼いたクッキー。それにおにぎりまで、弁当と一緒に食べきれるかな。
「どうでしたか? 貴音様とお話しして」
「有意義な時間でした。貴重な話を聞かせてもらえたし」
「そう、屋敷に来たらもっと話せるかもしれませんね。雪斗様をよろしく、私とも仲良くしてくださいね」
夢道さんの顔に浮かぶ親しげな笑み。
大きな目が、猫のようにキラリと輝いた。
***
「忘れ物ってなんだったの? 颯太君」
坂井の隣で三上が問いかける。
昼休みの屋上、僕を囲むのは三上と坂井。遠慮がちについてきた霧島と、暇つぶしを口実に追ってきた野田。みんなを呼びだしたのは霧島からの手紙を渡すためだ。
「その……教科書、1冊入れ忘れててさ」
思いついたごまかしを前に『そうなんだ』と三上。
僕が持っていた手紙入りの紙袋。
僕が夢道さんと会ったこと、霧島はすぐに察したようだった。
「ごめん三上、変に気を使わせて」
「いいよ、そんな……謝ることじゃないし」
三上の顔が微かな赤みを帯びる。
僕達を見るなり『さて』と坂井。
「お返事は個々で読むとして。霧島君、クラスのこと教えたいから一緒に来てくれる? あと野田君も」
「なんで僕が?」
「私ひとりじゃ説明しきれないでしょ? アシスタントをお願い」
「そんなの、三上さんでいいじゃないか」
「野田君の言う通りよ夏美、私が」
「駄目よ。せっかくの機会だし、野田君のコミニュケーション力を上げなくちゃ」
坂井の奴、僕達をふたりにさせる気満々だな。
「さぁ立って、野田君‼︎」
「さっ坂井さん。僕は……少しずつで大丈夫だよ」
「霧島君が良くても私が駄目なのっ‼︎」
どんな理屈だよ、まったく。
「野田君、一緒に来ないならお屋敷へは出入り禁止よ‼︎ それでいいのね」
「委員長の権限は絶大だな、わかったよ」
野田が了承し、坂井は満足げにふたりを連れていく。
遠ざかる坂井達を見ながら『夏美ったら』と三上。
僕を見るなり、三上は僕から離れ立つ。
三上の髪を揺らす微かな風。
とりあえず、何か話さなきゃな。
「三上は読んだのか? 黄昏の慟哭」
「まだ、本屋巡りを考えてる所。見つかればいいな」
「ネットならすぐ見つかるだろ?」
「そうだよね。……でも、自分で探したいんだ」
三上を見ながら思いだす。
夢道さんがくれたクッキーを。
「クッキーがあるんだ。夢道さんの手土産だけど、半分ずつ食べないか?」
「颯太君がもらったものなんでしょ? 私はいいよ」
「唐揚げのお礼出来てなかったからさ」
差し出したラッピング袋と嬉しそうに微笑んだ三上。
いい子だな本当に。
どうしてこんな子が……僕のことを。
次章〈黄昏庭園の妖魔〉
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