霧島貴音の光、そして影

第17話

 ドクリ


 心臓が音を立てて、緊張が僕の中を巡る。

 今夢道さんが言ったこと。


 待ってるって本当に?

 霧島さんが……僕を。


「まっ待ってください‼︎ 霧島邸に行きたいのは僕だけじゃ」

「誰が霧島邸と言いました? 私は貴音様としか言ってません」

「それじゃあ、何処に?」

「すぐに着きます。屋敷にはみんなで来るのでしょう? 手紙に入っています、雪斗様からの招待状が」


 どうしよう。

 いろんなことが動こうとしてる。

 霧島が学校に来るよう説得することと霧島邸に行くこと。ふたつの目的の中、霧島さんに向けて書いたメッセージ。読んでもらえただけで奇跡なのに。


 会えたらいいなって思ってた。

 それなのに。

 叶ったことが嘘みたいで体がふわふわしてる。


 生徒達が不思議そうに僕達を見る。

 学校から離れていく僕と前を歩くメイド服の女性ひと。僕が見てる立場でも何事かと思うよな。


「夢道さん、寒くないですか? その格好」

「私服だと気づいてもらえないじゃないですか。貴音様のそばにいれば、寒さなんて忘れてしまいます」


 冷たい風の中、夢道さんの弾む声が響く。

 陽に照らされて輝くメイド服。霧島の私服もこんな感じだったりするのかな。


「ここです。都筑君知ってましたか? 学校のそばにこんな場所があることを」


 夢道さんが足を止めたのは公園。落ち葉が散らばる入口と、人の気配を感じさせない寂れた空気感。


「私もさっき知ったばかりですけどね。さぁ、行きましょう」


 夢道さんを追って公園の中を歩く。

 錆びたジャングルジムと鉄棒。地面を覆う落ち葉とまばらに落ちている紙屑。


 なんだか……オモイデ屋に似てる。

 居場所を無くし、忘れられたものを包み込む場所。

 何処かから響く鳥の鳴き声と、遠のいていく人のざわめきと車の音。


 夢道さんの背中の先、見えだしたベンチと人影。

 風に揺れる白い髪と黒いロングコート。

 空を見上げる横顔。


 霧島さん。

 彼に……近づいている。


「貴音様っ‼︎」


 夢道さんの声に向けられた顔。

 リリスと同じ顔が僕を見つめている。  


 なんだか妙な感じだ、リリスに見られているような。ふたりは同じ顔をしてるだけなのに。霧島さんの目は僕から離れ空に流れていく。


「何してるの? 都筑君」

「え?」

「ベンチ空いてるじゃないですか。貴音様の隣が」

「いや、僕は隣なんて」

「ほらほら、遠慮なくどうぞっ‼︎」 


 僕の背中を押した夢道さんと、思いもしない行動に大声を上げた僕。体が熱くなったのは間違いなく夢道さんのせいだ。


「美結、何をしてる。空気を読めと言っているだろう」


 喋った。

 霧島さんが……僕の目の前で。


「読んでますよ、ちゃんと。この頃は先輩達と仲良くしてるんですからね。下っ端から1番になる日は近いかもしれません。柚葉さんが厳しくなったのはちょっとだけ悩みの種ですけど。……都筑君、貴音様を特別視しずぎじゃない?」


 夢道さんは破天荒な気がするけど。

 特別視……そんなつもりはないけど緊張する。話したいことも聞きたいこともいっぱいなのに。どう切りだしたらいいのか。


「飲み物買って来ますね。都筑君、貴音様と同じものでいいでしょう? 選ぶ手間が省けるもの。貴音様、すぐに戻りますから」


 夢道さんを追い響く、踏まれる落ち葉の音。

 まいったな、いきなりふたりきりなんて。


「ノート」


 霧島さんの声にどきりとする。空を見上げたまま僕を見ようとしない。呟きのように思えるけど話しかけてくれたんだよな。


 夢道さんは言ってくれたんだから。

 霧島さんが……僕を待ってるって。


「君は何故、手に入れようと思った」


 黄昏の慟哭。

 執筆した作者のノート。どんなことが書かれてるのか気になったから。


 言えない。

 答えなきゃいけないのに。答えれば、霧島さんと話が出来るのに。


「捨てることが出来なかったもの。寂れた店の中、眠らせるはずだった」

「……すみません」


 込み上げる緊張の中、ひとことだけを絞りだした。近づけないまま立ち尽くす僕。


「僕のことを語る前に確認するが。君は知っているか。リリスという名の天使を」

「はっはい。彼女から……霧島さんのことは」

「知っているならいい」 


 霧島さんの髪を揺らす風。

 それはやけに緩やかだ。


「何もかもを知っただろう。ノートに書いたものはすべて事実だ。絵梨奈という少女。彼女に出会い、人になることを願った死神。僕は死神の望みが、歪んだ形で叶った者と言えるだろう。僕は死神の翼から生みだされた不死の人間だ」


 ノートを読んでから。

 僕の中を巡り続けたものを彼が語っている。驚きも失望もなく僕に浸透する事実。


 彼の顔が何かを追うように動く。つられて空を見ると、大きな鳥が飛んでいるのが見えた。


「長いこと僕を苦しめた事実。僕は何者かを考え続けた。僕の中を巡る死神の記憶……本当の僕は何処にいるのかを」


 大きな鳥を追うように現れた鳥。

 寄り添うように飛ぶ鳥が、見えなくなった空にある太陽と小さな雲の群れ。


「見つけたひとつの答え。僕は僕として生き続ける。捨てられない現実いまを受け入れながら、与えられた運命ものを手放していく。雪斗の成長を見届けたら旅に出るつもりだ。……彼女を連れて」


 彼女って、夢道さんのことか。


「僕のそばで彼女は老い死んでいく。それでも、いつかの再会を約束した。何度でも出会いそばにいるのだと。死神に支配されようと……僕は、僕の日々を生きると決めた」


 彼の顔が僕に向けられた。

 僕が話せることはなんだ?


 僕のこと。

 リリスのこと。

 霧島雪斗のこと。


 彼が聞いてくれることは。

 風の中、僕を包み流れる香水の匂い。


「いい匂いですね、香水」

「なんのことだ?」

「その……霧島さんから」


 変なこと言ったかな。

 オモイデ屋に向かい、すれ違ったあの日にも嗅ぎ取った。


「違いますか? 花のような」

「おそらくはリリスが纏う匂いだろう。僕が生みだされた時の残り香に過ぎない。皮肉なものだな、匂いさえ僕に付きまとうとは」


 彼の顔に宿る翳り。

 彼にとって、リリスは嫌悪の対象でしかないんだろうか。


 彼に伝えなきゃ、リリスのことを。

 僕が話すのは、彼に知ってほしい真実ほんとうだ。


「霧島さん」


 彼を見ながら思う。

 どうしてリリスは、彼の顔を自分と同じにしたんだろう。それに彼が持つリリスと同じ匂い。残り香って言われても妙にひっかかる。


「夢道さん遅いですね」

「美結なりの配慮だろう。空気を読むよう言い聞かせている」


 霧島が学校に来た。

 たぶん夢道さんは、霧島を送るのを口実に彼を呼んでくれたんだ。話をしてみては……と。

 背中を押されたのはびっくりしたけど、あれも夢道さんなりの配慮かもしれない。

 僕がありのままでいられるようにと。


 ちゃんと話さなきゃ。

 僕の話が変えられるものがあるはずだから。


「僕はリリスが作った世界を知ってるんです。そのひとつは思い出の図書館、螺旋状の本棚があってハムスター達が働いている。管理人はマユリという女の子、僕よりしっかりした子です」


 風に撫でられ音を立てる落ち葉。

 彼は手を伸ばし落ち葉に触れた。

 血の色を思わせる赤色。


「リリスから受け取ったものがあるんです。羽根のネックレス、思い出の図書館へ導いてくれるもの。何度も訪ねて知ることが出来ました。リリスが秘める本当の」


 握り潰された落ち葉。

 乾いた音のあと、舞い散って地面に消えた。


「リリスの声に耳を傾けないことだ。君はノートを手に入れ目をつけられた。僕への興味は、リリスにとって遊びの対象でしかない」

「違います、リリスは」

「何が違う? 君は僕を蔑む駒に選ばれた。でなければ、なんのためには与えられた」


 リリスが僕に託した理由。


 リリスが現れた時、僕に語ったこと。


 ——霧島貴音、彼は優しくて悲しい者。


 あれは、彼を想ってのものだ。


 リリスと同じ顔、同じ匂いが意味するもの。

 僕を思い出の図書館に導いたのは。


「たぶん、リリスは願ったんです。種族と世界の隔たりがない、繋がりが紡ぐ世界を」

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