第15話

 訪れた沈黙の中、冬馬先生は窓の外を見る。 

 繭が口にした死神。

 未知の存在を前にどう答えればいいのか。

 冬馬先生は優しい人みたいだし、子供の戯言だと思いはしないだろうけど。


 ——黒い翼なんてみんなが怖がるよね。僕も出会った時は怖かった。病気になっちゃったから怖いものがやって来たんだって。でもね、冬馬先生。夢の中は眩しくて黒い翼を綺麗に輝かせる。お兄ちゃんの手はとってもあったかいんだよ。友達だって言ったら……お兄ちゃんびっくりするかな?


 ぴけ太は何度も首をかしげる。

 繭の話を理解わかろうとするように。


 ——僕の死は、冬馬先生の夢に種を撒くよ。悲しみも悔しさも冬馬先生の力になるんだ。ねぇ、冬馬先生。生きてるって凄いことなんだね。夢を語り合って力を分け合える。僕の夢の世界は繋がりの場所なんだ。いつか……冬馬先生を招待出来たらいいな。そう思うだろ? ぴけ太。


 繭に答えるように、ぴけ太は跳ね冬馬先生の体を駆け上がっていく。繭のためにがんばる姿はピケそのものだ。


 ——ははっ。はははっ。


 手を叩いて繭は笑った。

 嬉しそうに。

 生きる喜びを噛み締めながら。


 ——笑ってよ冬馬先生。僕はみんなと一緒に笑いたいんだ。お兄ちゃんもいつか笑える時が来る。冬馬先生、僕の死はきっと……未来に何かを。


 繭を前に冬馬先生は微笑む。悲しみを隠す優しさを秘めて。冬馬先生の肩の上でコクリとうなづいたぴけ太。





 繭がリオンに導かれ迎えた死。

 繭の遺影を前に膝をつく冬馬先生。彼の手に握られたもの。それは繭の死後、母親から渡された冬馬先生へのラブレター。繭が男の子のように振る舞ったのは照れ隠しだったのか。


 ——……死神。


 遺影を前に冬馬先生は呟いた。


 ——本当にいるのなら。君は叶えてくれるだろうか、彼女の夢を。


 自虐的な笑みを浮かべ、冬馬先生は首を振る。


 ——何を考えてるんだ僕は。死神なんて……そんなものいるはずが。


 カタンッ


 何かが音を立てた。

 顔を上げた冬馬先生。見えるのは繭の遺影、その前にキラキラと輝くものがある。


 ——羽根? 何故……あんなものが。


 遺影に近づき、羽根へと手を伸ばした冬馬先生。


 ——……っ‼︎


 羽根に触れた手が止まり、声にならないものが口から漏れる。

 遺影に映り込む女の顔。

 振り向いて見えた白い翼を持つ女。

 リリスだ。

 彼女を包みだした真っ白な光。


 ——誰だ……君は。


 掠れた声で問いかける。

 震える手で指さした翼。


 ——まさか……死神。


 ——いいえ。


 リリスは答える。

 僕が知らない穏やかな声で。


 ——誰なんだ。……その翼。


 ——死神とついの存在、あなたはなんだと思う?


 ——天使……なのか? そんな馬鹿な、そんなもの僕に見えるはずが。


 ——あなたが持つ羽根、それが私への媒介よ。


 リリスを覆う光が広がっていく。

 光の中に見えだした人影とハムスター達。


 ——繭ちゃん? それに……ぴけ太。


 ——はまだ幻に過ぎない。あなたが望むなら彼女の夢を叶えてあげる。彼女が夢見た世界……それは、私が創造するひとつだけの温かな場所。


 ——本当に、叶えてくれるのか? その世界で繭ちゃんは……ずっと。


 冬馬先生は目を閉じる。

 握りしめたラブレター。


 ——ひとつ条件がある。僕のことは記憶に残さないでくれ。僕を想うまま、僕がいない世界で生きるのは残酷だから。僕は繭ちゃんを忘れない、彼女の思い出と共に夢を叶えていく。


 ——あなたは望む? 彼女の世界に訪れること。


 ——そうだな、死ぬ前に1度だけ。僕が叶えた夢を話せればそれでいい。これから沢山の思い出を作るんだ。……彼女の分も僕は生きる。



 繭の死と地球にある生と死の巡り。

 それはゼフィータから与えられた力と共にリリスを突き動かしたのか。


 ——私は世界に牙を向くわ。


 リリスの声が聞こえる。


 ——私の思いが不死を生みだした者に届くまで。変えられる力を私は手に入れたのだから。神と呼ばれる者よ、壊れゆくものの声を聞きなさい。不変などありはしないのだから。


 僕に流れ込む繭を想う温かさ。

 ひとつの死は繋がりの中で種を撒き未来に芽吹いていくだろう。不死の者が未来に残せるのは、生き飽きた怠慢と失望でしかない。

 だからリリスは。


 ——創造を繰り返した先にある天界の変革。天使と死神、彼らが不死を憎み生きることを取り戻すまで。閉ざされた心を開けてみせるわ。いつか罰を受け、私が私でなくなっていこうとも。


 思い出の図書館。

 マユリとピケ。

 彼らに仕えるハムスター集団。


 それはリリスが作りだした、悲しくも温かい場所だ。



 見えだしたリリスが創造した世界。それは痛みと嘆きに満ちた凄惨な光景。

 神と呼ばれる者が愛し、慈しむ世界を嘲るように。

 不死を生みだした者に訴えるため自身に閉じ込めた優しさ。


 リリスが秘める思いの強さは僕にはわからない。

 わかるのは、マユリ達の世界が作られてから長い時が過ぎていること。


 リリスは戦い続けている。

 罰を受ける覚悟を持って。


 神と呼ばれる者の、逆鱗に触れることと引き換えに訴えることが出来るなら。罰せられてでも変えられるものがあると信じている。

 リオンが翼を斬り落としたように。



 目を開け見えるマユリ達の世界。

 色鮮やかなマカロンタワーとミルクティーの匂い。


「マユリ……この世界なんだけど」

「ふむ、客人が知ったものはなんだ?」

「マユリに似た女の子。リリスは女の子の夢を叶えたんだ。洒落た貴族服も、客を出迎える菓子と茶も、ハムスター達も全部。……それで」


 マユリに話すべきだろうか。

 冬馬先生のことを。

 繭が冬馬先生を好きだったことも、マユリが冬馬先生の記憶を持たないことも。


「なんだ? 客人」


 話してどうなるのか。

 今のマユリにとって、大切なのはピケ達がいるこの世界だ。取り戻すことのない記憶……こんなこと、聞かされても困るだけだよな。


「ごめん、マユリに話せることじゃない」

「そうか、無理に聞くこともあるまい」

「頭が痛くなってきた、丸1日勉強してた気分だ。学校……休んだら心配されるかな」

「お客様、ズル休みは駄目でチュウ」


 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


「ピケもチビも。わかってるよ、ちゃんと学校に行く」

「さて、思い出帳はもう必要ないだろう。元の場所へ戻させてもらおうか」

「うん、ありがとうマユリ。これで」


 僕の声を遮るようにめくれていく思い出帳。

 なんだこれ、僕にはもう知りたいことなんて。


「マユリ、思い出帳が」

「何かあるのだろう、客人に伝えたいものが」

「なんだよそれ、僕には何も」


 指に触れた文字が鮮やかに浮かび上がる。


 ドクリ……ドクリ……


 感じ取るのは、脈打つような感覚。


 文字が僕の指をなぞる。

 マユリが言う通り、何かを伝えるつもりなのか。


 目を閉じて見えるのはキラキラと輝く光の群れ。それはゆっくりとひとつの形を作り上げていく。


 黒い翼。

 リオンのものだろうか。


 色の群れが描きだしていく見知らぬ部屋と黒髪の少女。スケッチに描かれていた……絵梨奈だ。


 ドクリ


 僕の心臓が高鳴る音を立てた。


 リリスと絵梨奈が見ているのはベッドに横たわる翼。近づこうとする絵梨奈を止め、リリスは翼へと歩み寄る。


 ——リオン、あなたも訴えようとしたのね。不死を憎み……否定して。


 翼の断面は生々しい赤みを帯びている。断面に触れ、瞬時に血に濡れたリリスの手。


 ——リオン、私に協力してほしいの。私達を生みだした者に声が届くように。天界の住人達、誰もが真に生きることを忘れている。訴えるため、私が作りだしたのは酷く残酷な世界よ。人の想像でしかなかった地獄と煉獄。力をくれた織天使も驚くでしょうね。


 滴り、落ちていく血。

 それは生き物のように床の上をなぞり動く。


 ——不死は残酷ね。体が消えてもあなたの想いは生き続けている。悲しみも苦しみも閉じ込められたまま。リオン……不本意でしょうけどあなたに自由をあげるわ。神を否定する存在として。人間界、いつかは命尽きる者達の中、永遠とわに生きる異端の者。それがひとつの訴えになるのなら。


 血に濡れた手でリリスは翼をなぞる。

 それは……新しい命を生むことへの躊躇いだろうか。

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