貴音と美結、貴音と雪斗《2》
「よかった。強いんだね、夢道さんは」
そう、美結は強い。
彼女のような強さが僕にあったなら。
「雪斗、まだ怖さを感じるか? 学校も見知らぬ人達も」
足を止めた雪斗。
闇に染まる窓は、鏡のような鮮明さで僕達を映す。傷痕すら血が滴りそうな生々しさだ。
もしも……雪斗と美結が僕の血を飲んだなら。
不死の命を巡らせることが出来るだろうか。そして……若いままの姿で僕と共に生き続ける。
だが……運命も命の巡りも、変えることを許されるのは神と呼ばれる創造主だけだろう。
「僕が勇気を出せたらいいのにね。貴音兄様に会えて僕の世界は変わった。今……幸せだから怖いんだ。外に出て……また傷つけられるんじゃないかって」
手紙のことを話すべきだろうか。
心を壊された雪斗にとって、書かれたものが恐れを呼ぶものでなければいい。
「制服すごく気に入ってるんだ。似合うって柚葉さんが言ってくれる。……貴音兄様も似合うって言ってくれるかな」
微笑む雪斗の顔が微かな赤みを帯びる。
屋敷と広大な敷地。
林道と離れた先にある静かな住宅地。
住宅地を出た先で雪斗を待つ新しい出会い。
雪斗と美結への手紙。
何が……書かれている?
「都筑颯太……か」
「何? 貴音兄様」
「ただの独り言だ。雪斗、明日またミルクティーを飲もう」
「うん。いつか夢道さんも招待しようよ。怒られてばかりじゃ可哀想だもん。黄昏時のティータイム、夢道さん喜んでくれるよね」
雪斗を追いながら窓の外を見た。
闇に眠る黄昏庭園。
そこに隠れ蠢く異形の者。
僕とリオンの血が生みだした妖魔。
妖魔が目を覚ます黄昏時。
それが意味するのは僕とリオンの絶望の嘆き。
そして……足掻き生きようとする執念だ。
どんな姿になろうとも願いを選び生き続ける。
醜くとも
恐ろしくとも
足掻き
苦しみながら
どんな姿になろうともひとつだけの願いを求め続ける。
人になりたい。
僕とリオンの絶望が希望に転化するなら。
何かが変わっていくだろうか。
僕とリオンの悲願の果てに。
***
昼時の商店街。
活気ある店を通り過ぎながら、僕が向かうのはノートを手放した場所。
捨てることも燃やすことも出来なかった僕の分身。
だから……僕から離れた場所で眠らせることを選んだ。
ノートを手に入れた少年、都筑颯太。
リリスは嘘をつかない。
それでもこの目で確かめなければ。本当に、ノートが眠ることは許されなかったのか。
朝の食事を終えたあと、美結に書庫室の掃除を切りだした。長いこと人を寄せつけなかった書庫室。ひとりで片付けるには、時間も負担も相当なものだろう。
それでも美結は笑顔でうなづいた。
——任せてください、隅々まで綺麗にしますから。
そばにいた召使い達の美結に向けられた目。雪斗が言うとおり、美結が嫌われるのは何故なのか。
知る必要はないようにも思う。
召使い達はいつかは別れゆく者達だ。彼女達が思い、考えることは過去へ遠のいていく。
そしてそれは……美結も同じだ。
——がんばらなくちゃ、貴音様が喜んでくれるなら。
意気込みを示すように袖を上げた美結。細い腕に見えた鋭利な傷痕、それは見覚えがあるものだった。
遠のいた過去、僕が助け息絶えた猫。
猫を思わせる美結の大きな目。
「いらっしゃいませ〜っ‼︎ 美味しい揚げ物はいかがですか〜? メンチカツ揚げたてですよ〜っ‼︎」
威勢のいい声に足を止めた。
流れてくる揚げ物の匂いと、店主らしき女のにこやかな笑顔。声につられ店に近づく人々。
売り物を一瞥し目的の店に向かう。
店の名はオモイデ屋。
数々の古物商店を調べる中、目についた奇妙な名の店。買い取った物を売る店に何故思い出が絡むのか。微かな疑問と共に店について調べ続けた。
商店街の中、浮き立つようにある古びた建物。
ノートが隠され、眠りにつくにはいい場所のように思えた。僕と向き合い、ノートを買い取った老人。彼は驚きもせず僕の顔を見つめていた。
店を出る間際。
陳列台に並ぶ物を見たが、どれもが商品とは言い難いガラクタのように思えた。
自虐的な笑みが浮かぶ。
ガラクタなんて……僕そのものだ。
通り過ぎた自動販売機。
『当たった‼︎』という無邪気な声が響く。振り向いて見えたのは、ジュースを手に喜ぶ子供と母親。
僕を見た子供から消えた笑顔。
僕に流れる母親の目。顔をこわばらせながらも、微笑む母親を前に心が軋む音を立てる。
僕の姿は……屋敷から出れば恐れの対象でしかない。
柚葉。
美結。
雪斗。
浮かんで消えた温かな残像。
逃げるように走りだした。
不死の僕が、急ぐ先に終わりはないと知っている。
それでも、衝動が僕を突き動かす。
僕は……人として生きることを許されない化け物だ。
オモイデ屋。
店に入る前に息を整える。
長いこと走っていなかったように思う。早まった鼓動、静まるのを待ちながら見渡す空。
商店街の中、人通りが少なくなった場所は不思議な空気に包まれている。オモイデ屋という店がそうさせるのか。
鼓動の静まりと共に戸を開けた。
僕を見るなり逃げだした猫。
ノートを手に来た時と同じだな、狭い店の何処に猫の隠れ場所があるのか。
老人の姿はなく、静かさだけが僕を包む。
歩き見る無人の店の中。陳列台に並ぶ物は変わっていないように思う。
時が止まったような感覚。
古ぼけた本が並ぶ棚。
ノートが置かれるとしたら。近づいて本をなぞり見るも目に止まるものがない。やはり……ノートは買い取られたのか。
「おや? 客人かい?」
背後からの声。
振り向くと老人が立っている。持っているのは猫の餌か。
「この前の客人か。すまないね、風丸はまだ君が怖いようだ」
カウンターに餌を置き、老人は陳列台を覗き込む。
「好物の猫まんま、出来たてが美味いんだが。風丸は何処にいるんだ?」
老人にも猫の居場所はわからないのか。
「ノートはどうなった」
「君には知る権利がある。すぐに売れたよ、君から買い取った日にね」
猫を探し老人は店内を歩く。
音を立てず隠れる猫。僕の風貌は猫にとっても怖いものらしい。
「手に入れたのはここで働く青年の弟だ。今日は休みだが。……ふむ」
何かを思いついたようにうなづいた老人。猫を探すのをやめ僕に近づいてきた。
「君、昼飯を食べてないだろう? ここで食べていくといい、出前を取ろうじゃないか」
「ノートのことを聞きに来ただけだ。買われたならそれでいい」
「長く生きていると感じ取るものが多くなる。君は苦しんでいるね。手放したノート……それが君の苦しみに繋がっているなら僕が受け止めよう。茶飲み話をしようじゃないか」
茶飲み話?
何を言い出すかと思えば。
話すことは何もない。
「断る、僕はノートのことで来ただけだ」
老人に背を向けて出口へと向かう。
奇妙な古物商店、もう来ることはないだろうが。
古ぼけた書物に興味を感じるのは、物語を書き続けた意欲の名残りだろうか。
戸に触れようとして、壁にかけられた油絵に目を止めた。絵があるなど陳列台を見るだけでは気づきもしない。
「……
描かれているのは地球といくつかの
紺碧の宇宙の中、散りばめられた白いものは雪を思わせる。
丁寧に塗り込まれた色。
素人が描いたものだろうが、古物商店で売られていることに寂しさを感じるのは何故なのか。
「涼太君にもいつかは奢らないとな。客人、頼んだのは天丼。漬物と味噌汁付きだ」
カウンターに見える電話。
「老舗の丼物屋でね、大きな海老天が評判だよ」
「断ると言った」
「そうかい。どうやら僕は耳が遠くなったようだ」
愉快そうに老人は笑う。
素の行動なのか演じてるのか。
「その絵が気になるか? 若い
老人は店から離れ裏方へと姿を消した。
断るというのに何をしようというのか。
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