第9話

「いらっしゃい。お茶は用意している、ゆっくりしていくといい」


 時雨さんが顔を出してにこやかに笑う。


「颯太君、大福餅を買っておいたんだ。柏餅やどら焼きもある」

「すみません、気を使わせてしまって」

「涼太君に世話になっている、ちょっとした恩返しだよ。皆で茶飲みを楽しもうじゃないか」

「はじめまして、店主さん。三上理沙といいます、隣は友達の夏美です。私ったら……近くに住んでるのに来たことがなくて」

「構わんよ。この店が気に入ったなら何度でもおいで。颯太君、今日は特別な日のようだね。気兼ねなく過ごせばいい」

「はい、時雨さん」


 時雨さんを追い、入った和室へやで手紙を書く準備を進めていく。坂井達が便箋と筆記用具を並べる中、僕が手にしたのは父さんから借りたポラロイドカメラ。


「颯太君、写真撮るの? もしかして私達みんな?」

「兄貴の提案なんだ。僕達の顔を知れば、霧島が学校に来やすくなるんじゃないかって」

「そっか。うん、そうだよね」


 みんなの写真と一緒に撮りたいものがある。鞄の中にある黄昏の慟哭。


 毎日いろんなことを考えた。

 夢から覚めた時思ったんだ。本を手に写真を撮って、夢道さんへの手紙に入れてみようかなって。

 写真を見た夢道さんが僕達のために動いてくれる。そう信じてみようと思ったんだ。


 驚いたな。

 クラスメイトと何かをしようとか、誰かを信じてみようとか考えたことないのに。

 人を遠ざけたいと思ってた。

 人付き合いが苦手で、面倒だと思っていた僕を変えだしたもの。オモイデ屋で感じる温もりなのか……霧島さんへの思いなのか。


 店から響く兄貴の笑い声、風丸の鳴き声があとに続く。坂井は眉をひそめ『あのさ』とぽつり。


「都筑君、ここお店よね? どうしてお兄さんは猫と遊んでるの?」

「そんなこと、僕に言われても」

「お兄さんにとって、気心知れてる場所かもしれないけど。お給料をもらってるならちゃんと働かなくちゃ。どんな時もお店の中ではちゃんとするものよ」


 正論だ。

 これは、兄貴は何も言い返せない。


「お客様がいないのは、暇とは違うのよ、暇とはっ‼︎」

「お嬢さん、この店で出来ることは限られているんだ。客が来ない日は何日も続く」

「あっ‼︎」


 大声を出すなり、坂井は立ち上がり深々と頭を下げる。まっすぐに時雨さんに向かって。


「ごっごめんなさい店主さん。私ってば軽はずみなことを。お店を悪く言ったつもりはないんです、ごめんなさい……ごめんなさいっ‼︎」

「落ち着いて夏美。店主さん、私からも謝ります。夏美に悪気はないですから」


 三上は立ち上がり、坂井と一緒に頭を下げる。

 本当に……誰にでも親身になるんだな、三上は。優しさは時に、自分を痛く傷つけるのに。


「お嬢さん達、顔を上げてくれ。僕は誰も悪者にするつもりはないんだから。……友達がいない風丸を、可愛がってくれるのも大事な仕事なんだ。颯太君のお兄さんはいい店員だよ」


 時雨さんの笑みを前に、坂井の顔が和らいでいく。

 不思議な人だ、時雨さんは。

 厳しさも優しさに溶け込んでいくなんて。時雨さんにもあるのかな、誰かに向ける優しさに傷つけられることが。


 三上と坂井が笑い合う中響いたスマホの音。相変わらず野田はマイペースな奴だ。


「野田、ゲームはアップデート中じゃなかったの?」

「馬鹿だな君は。調べごとだよ、僕なりに手紙に書けそうなこと。転校生にオタクだと思われたくないからね」

「その行動がオタクっぽいっての」

「もう、夏美ってば」

 

 坂井のツッコミと慌てる三上。坂井は思ったことを黙っていられないらしい。ひとつ間違えればトラブルメーカーだ。


 野田は気にする様子もなくスマホの操作に没頭する。『さて』と時雨さんが呟いた。


「まずは茶を飲んでくれ。熱いうちが美味い」


 和やかな空気の中、ペンを手に便箋を見る。

 夢道さんと霧島、先に手紙を書くの……どうしようか。


「ごめん、ちょっとだけ店を見てくる」

「颯太君? どうしたの?」

「手紙のこと、兄貴にアドバイスをもらおうと思ってさ。すぐ戻るから」


 迷ってるうちは何も書けない。

 まずは出来るだけのことをしなきゃ。





 和室から出て店の中を歩く。

 目的はひとつ、ネックレスの力を知るためだ。


「どうした颯太、疲れたか?」

「ううん、商品が見たくなったから」

「気に入ったものがあったら言えよ。お土産に買ってやるから」


 商品が並ぶ陳列台。

 選んだのは宝箱をイメージしたオルゴール。ネックレスの羽根を握りしめオルゴールに触れた。剥がれたメッキと少しだけのひび。

 指先でひびを撫でた時だった。

 感じとったもの。

 それはオルゴールから流れ込む温もりと鼓動を思わせる振動。


 オルゴールの中。

 眠り続けた思い出の目覚め。


 オルゴールからこぼれだした水が陳列台を濡らしだした。商品を濡らし、床に落ち流れていく水。それは靴を濡らし、生き物のように動きながら僕に絡みついてきた。


「兄貴」


 掠れた声が漏れる、自分のものだとは思えない。

 恐怖が……僕を支配していく。


「ごめんなさい。ボクを怖がらないで」


 声が聞こえる。

 小さな子供の声が。

 もしかして、オルゴールの声なのか?


「ボクは水に落とされて、綺麗な音が出せなくなっちゃった。ボクは壊れて、女の子を泣かせちゃったんだ」


 この水は、オルゴールの思い出が溢れでたもの。


「女の子は悪くないんだ。汚れたボクを綺麗にしようとしてくれたんだから。もう1度だけ……綺麗な音を聞かせてあげたかったな」


 濡れ光る木張りの床。

 見えだした女の子と流れ響く音色。


「颯太? オルゴールが」


 途切れた兄貴の声と、ピチャピチャと何かが響かせる音。


「ニャァ〜」


 僕のそばで風丸が鳴いた。

 風丸の足音だったのか。音色に混じり響く和室からの笑い声。


「颯太、なんだ……これ」


 振り向くと兄貴が立っている。

 ずぶ濡れになった僕と兄貴を濡らしだした水。


「お兄さん、ボクを磨いてくれてありがとう。お兄さんの優しい手が大好きなんだ」


 目を見開いた兄貴。

 兄貴の顔に浮かぶ戸惑いと困惑。


「颯太、どうなってるんだ?」

「ネックレスの力だよ。この水、オルゴールの思い出なんだ。女の子がオルゴールを綺麗にしようとした時の」

「驚いたな、こんなことが……本当に」

「物の思い出を知る……どうするのか気になってたんだけど」


 たぶん、羽根を手放せば水も音色も消えていく。思い出への媒介、今といつかの過去を結ぶもの。

 握りしめた手から力を抜いていく。


「待って、少しだけお話させて。ありがとうって言いたかったんだ。ずっと……お爺さんに」


 キラキラと輝きだした水の中で、風丸が僕を見上げている。怖くないのかな、猫は水を怖がるはずなのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る