第5話

「検査の結果はなんでもなかった。点滴が終わったら帰れるけど夜も遅い。処置室ここでいいなら朝までいていいって看護師さんが」

「今何時なの?」

「8時を回ってる。颯太、大丈夫か?」

「うん、ごめん兄貴。心配かけちゃって」

「なんて顔してんだよ。しょうがないな」


 スマホを取り出した兄貴を見て野田を思った。あのあとすぐに帰ったのかな、先生に叱られてなきゃいいけど。

 僕はどうかしている。

 人に囲まれる中、ひとりになりたいって思うのになんで野田のことを考えるのか。

 霧島雪斗のことも。

 学校に来ないのは彼の事情だし考えることはない。それなのに……どうして僕は。


「ほら颯太、見ろよ」


 兄貴がスマホを向け、見せてきたのは大あくびする風丸の写真。


「兄貴ってば何撮ってるんだよ。ちゃんと仕事してるのかな」

「笑わせてやろうってのに。言っとくけどこれ、時雨さんの助言だからな」


 時雨さん、会ったばかりなのに心配かけちゃった。なんだか申し訳ないな。


「颯太を笑わせてやれってさ、笑うことは健康に繋がるって。まいったな……颯太が呆れてたって言えば、僕が時雨さんに笑われる」

「体調なんて悪くないのに」

「なんだよ、憎まれ口か?」

「違う、僕が……倒れたのは」

「颯太、大丈夫なの?」


 母さんが入ってきた。

 ガサガサと音を立てる買い物袋。


「父さんに電話してきたわ、明日みんなで帰るって。ひとりで留守番させるのは悪いけど」


 母さんから渡されたおにぎりに『ありがとう』と兄貴。

 点滴はあと少しか。

 喉が乾いてる、点滴が終わったら何か飲まなきゃ。


「颯太、明日は学校休んだほうがいいわ。先生には明日私から連絡するから」

「母さん、悪いけどゼリーか何か買ってきてくれる? 颯太に食べさせてやりたいんだ」

「いいわよ、すぐ戻るわね」


 母さんがいなくなり、兄貴とふたりだけになった部屋。

 消毒液の匂いと見慣れない器具。


「颯太、何があった」

「え?」

「体はなんでもないんだろ? 何かあったんじゃないのか?」


 僕を見ずに兄貴はおにぎりを食べている。

 子供の時から兄貴は変わらない。僕が落ち込んでいる時、見向きもせずに話を聞いてくれる。知らないふりをしながら僕を助けてくれるんだ。


「兄貴は信じてくれるかな。僕もまだ……信じられないのに」


 天使に会ったなんて誰が信じられる? 死なない人間がいるなんて……こんなこと誰が。


「颯太を疑ったこと、1度でもあったか?」

「……ない。だって兄貴は」


 どんな時も僕の味方でいてくれる。


「母さんもいるし帰ったら話そう。学校休むんだろ? 僕も仕事休むからさ」

「いいの? 兄貴が行かなきゃ、風丸が寂しがるんじゃない?」

「明日行ってみろよ。『颯太君より仕事を選ぶのか』って時雨さんに怒られちまう」


 僕を見て怖い顔をする。

 すぐに笑ってお茶を飲んだ兄貴。今の時雨さんの真似だったのか?


「兄貴が信じてくれるなら。他にもいるのかな、僕の話を信じてくれる」

「颯太が信じれば、信じてくれるよ」


 三上。

 野田。


 ふたりは、ふたりなら信じてくれるかな。

 呆れ、笑われたとしても。


 なんだか疲れた。

 気を失って、眠っていたはずなのに……また眠くなってきた。

 兄貴は信じてくれる。

 それだけで安心出来るんだ。


「兄貴、明日……約束だよ」


 呟いて目を閉じた。









 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


 犬が鳴いてる。

 何処からか聞こえる声。

 なんだろう、懐かしい響きだ。


 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


 この声……もしかしてチビ?


 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


 そうだ、チビの声だ。

 チビは何処にいるんだろう。


 僕を包む暗闇。

 怖さを感じない、妙に温かい場所。


 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


 僕のそばでチビが鳴いた。

 それが合図のように消えた暗闇。見えてきたのは不思議な場所。螺旋階段を思わせる本棚が天に向かって高く伸びている。びっしりと詰め込まれた本。


 チビがじゃれついてくる。

 前足で僕を叩き尻尾を振って。


「チビ、元気だったか?」


 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


 頭を撫でると、チビは嬉しそうに走りだした。

 僕のまわりをくるくると回る。折れていたうしろ足を少しだけひきずりながら。

 チビを見ながらここが何処かを考える。

 見たことがない世界、夢の中なのか?


「お客様でチュウ‼︎ いらっしゃいませでチュウ‼︎」


 子供のような声が響く。

 舌ったらずな口調でお客様って言われてもな。だいたいチュウってなんだよネズミじゃあるまいし。


 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


 チビの声を聞きながら声の主を探す。

 何処にいるんだ?


「お客様、ボク達はここでチュウ‼︎」


 ボク達って何人もいるのかよ。

 あたりを見回し声の主を探す。


「なんてわからずやでチュウ‼︎ お客様の足元にいるでチュウ‼︎」


 ……足元?

 言われるまま足元を見ると、ハムスターの集団が僕を見上げている。集団の1番前、ど真ん中にいる茶色いハムスター。かけている眼鏡がキラリと輝いた。もしかしてこいつがリーダーなのか?

 子供の頃から妙な夢を見てた気がする。ほとんどの夢は忘れちゃうけど、これは覚えていたいかも。


「ふう、やっと気づいてもらえたでチュウ。お客様、ここは思い出の図書館でチュウ」

「思い出……図書館?」

「みんなの思い出がいっぱいでチュウ‼︎ すごいでチュウ?」


 みんなって何を指して言ってるんだろう。手を叩くハムスター集団と僕のそばで彼らを見ているチビ。


「お前達では話にならない。私が説明しようじゃないか」


 高らかな声が響く。

 振り向くと近づいてくる少年が見える。黒の貴族服と薄青色の髪。僕より低い背は小学生を思わせるけど、これが夢なら間違いなく人じゃないんだろうな。


「マユリ様、お話はボクが」

「私がすると言っている‼︎」

「はっはいっ‼︎」


 蜘蛛の子を散らすようにバラバラになったハムスター集団。茶色いハムスターだけが僕のそばにいる。おいおい、眼鏡がズレてるぞ?


「ようこそ客人、思い出の図書館へ。お茶と茶菓子を用意している。遠慮なく座りたまえ」


 マユリと呼ばれた少年が僕をうながす。座れって言われても椅子なんてないじゃないか。


「えっと……椅子は何処に?」

「目の前だ。見えるものだけが本当ではないぞ? 客人」


 恐る恐る手を動かす中、背もたれらしいものに触れた。柔らかい感触を頼りに体を動かしてなんとか座ることが出来た。

 僕のそばに座り少年を見ているチビ。

 向かいに座った少年が、何かを持つように口元に手を動かした。何かを飲もうとしているのか。

 慎重に手を動かして触れたティーカップ。口に寄せてゆっくりと飲む。ほんのりと甘いミルクティー。


「マユリって呼んでいいのかな。驚いたよ、パントマイムをしてるような。君の名前も意外だし」

「意外? 何がだ?」

「女みたいだと思って」

「何を言っている。私は女だが?」


 僕を見る切れ長な目。

 言い方といい服装いい、女だなんて冗談だろ?


「ほんとなのか? ……君は」

「私は言った。目に見えるものだけが本当ではないと」


 気まずい空気が僕を包む。

 なんなんだこの世界は? 妙な奴が次々に現れる。チビに会えたことだけが救いだなんて。


「マユリ、ここ……どんな世界なんだ?」

「間違いの謝罪もなく質問とは。まぁいい、何も知らないうちは許してやろう。ここはすべての思い出が管理された世界だ。人、動物、植物や花、惑星と宇宙そら……語りだしたらキリはないが」


 数えきれない本。

 あのひとつひとつに思い出が記されてるのか。


「私は管理人でハムスターは部下達だ。彼らは訪れた者が望む思い出を探し運んでくる」

「お客様が探している思い出はなんでチュウ? すぐに探してくるでチュウ」

「話してる途中だ。ピケ、黙っていろ」

「……はいでチュウ」


 このハムスター、ピケって名前なのか。無邪気なようでマユリには忠実な奴らしいな。


「さて、客人」


 見えないテーブルの上、マユリは頬杖をつき首を傾げる。


「ここに来たということは、無事に受け取ったのだな。この世界への鍵を」


 ……鍵?


「羽根のネックレス、リリスに会ったのだろう?」


 細まったマユリの目。

 どうしてマユリは……リリスを知ってるんだ?

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