第四話
絵梨奈が本当にいたのなら。
天使と死神が……本当にいるのなら。
ノートに書かれてるのは物語の構想なんかじゃない。だとしたら誰なんだ? ノートに書かれている不死の人間は。
「転校生の名前を聞いた時僕も思ったよ。嘘みたいな偶然も上手い話もあるはずはないって。世の中にどれだけの霧島がいるのかってさ。だけど霧島を名乗る転校生は屋敷に住んでいる。委員長と話しながら思った、祖母が働いてた屋敷なら……転校生と話せば絵梨奈のことを知ることが出来るって。転校生は、絵梨奈の孫かもしれないな」
「違うよ、たぶん……孫じゃない」
「どうしてそう思うんだ?」
「僕が言った、黄昏の慟哭なんだけど」
僕の中を不安が巡る。
野田は僕が話すことを信じてくれるのか。
「都筑君?」
「出来過ぎじゃなかったんだ」
「は?」
「霧島絵梨奈、彼女は……ずっと前に死んでるんだよ」
「どうして、そう思うんだ?」
体を起こし息を吸い込む。
僕を見ながら寝転んだままの野田。
「黄昏の慟哭は死神と絵梨奈の物語なんだ。物語の中でも、絵梨奈は人には見えないものが見える。死神は消滅し、絵梨奈は病で死んだ。実際にあったことが、物語として書かれてるんだと思う」
「都筑君。その物語、作者のフルネームは?」
「霧島貴音だけど」
「君……ふざけてないよな?」
「どうしてそう思うんだよ」
「絵梨奈には弟がいたからさ。子供の頃に死んだ、貴音って名前のね」
ゾクリとしたものが僕を震わせる。
不死の人間は絵梨奈の弟なのか? 僕が出会った彼が……物語を書いた彼が。まさか、そんなこと信じられるか。
「死神の存在はともかく、都筑君の話信じる価値はありそうだな。絵梨奈が死んでるなら祖母の願いは叶わないけど。弟と同じ名の人物……霧島貴音か」
体を起こし、眼鏡をかけ直す野田。
「面白くなってきた。絶対に行かなきゃな、霧島邸。都筑君も来たいならいいよ」
「僕はダチじゃないんだろ?」
「うん、君は……そうだな。特別に雇う助手ってとこか」
雇われるのは癪だけど霧島さんに会えるなら。会って……何もかもを知ることが出来るなら。
「都筑君、教室に行こう。昼休みが終わる頃だ」
野田を追いながら朝のことを思いだす。野田の提案を前に眉をひそめた坂井。あまりいい感じはしなかったけど。
「坂井は提案に乗ると思う?」
「さぁね、話し合ってみなきゃわからないな。生真面目な委員長が、僕らの話をどこまで信じるか」
階段を降りる中、廊下を歩く生徒達のざわめきが響く。オモイデ屋を訪ね、ノートを手に入れなければ野田と話すことはなかった。野田と坂井が話すことにも無関心のまま。霧島が学校に来ても関わることはなく、霧島さんと接点がないままだった。
巡り合わせも起きることも、驚きに満ちた何かに包まれている。
「そうだ、次の授業数学だったけ?」
うなづくと、野田は顔を曇らせガックリと肩を落とした。
「まいったな、今日の宿題すっかり忘れてた」
「ゲームのことばっかり考えてるからだ」
「少しくらい、僕の集中力を褒めてくれないかな」
野田は笑った。
つられて笑いながら思う。
悩み、もがきながら。
それでも心は
チャイムが鳴り教室へ急ぐ中、廊下に立つ三上と坂井が見えた。
「颯太君、急いで。授業始まっちゃうよ」
三上が僕に叫ぶ。
三上の背を押しながら僕達を見た坂井。
坂井は野田の提案に乗るのか。
それとも……
***
静けさと退屈さが混じる空気。その中で過ぎていった午後の授業。休み時間、坂井が野田に話しかけることはなかった。
坂井にとって、野田の提案は突飛すぎたのかと思ったけどそうじゃない。学級委員長の立場で考えれば、すぐに返事は出来ないように思う。
野田と坂井を囲んだ朝のざわめき。それが意味するのは、霧島への好奇心と悪意だろうから。
調査という野田の発想と霧島が学校に来ない理由。好奇心と悪意が呼ぶ憶測は、霧島を傷つけながらタチの悪い噂になっていく。
慎重にならなきゃって坂井は思ってるのかな。
だけどなんらかの答えをだして動かなきゃ、好奇心と悪意は形を変えて動きだしてしまう。
世の中だってそうじゃないか。
憶測や批判がありもしない嘘を呼び込んで真実を踏み潰してしまう。
僕と野田が残る放課後の教室。
空を染める光が、窓際の机と椅子を金色に染めている。いつもならクラスメイトに紛れ早々と教室を出る。だから知らなかったんだけど、野田は帰宅するのが遅い奴だった。
居残る理由はスマホのゲーム。時間限定のクエストをクリアするためらしい。帰らないのか? と聞くと『今大事なとこだから』と真顔で言った。
ゲームと霧島邸……野田にとってどっちが大事なんだろう。
ゲームの音を聞きながら、メモを破り書き込んだメールアドレス。野田の机にメモを置きながら、鞄があるのを見て坂井が帰ってないことを確認した。
みんなが帰ったあと、坂井と話そうと思ったけど今日は諦めよう。学級委員長として帰れない事情があるんだろうし。
「野田、遅くならないよう気をつけろよ」
うなづきもせず、ゲームに没頭する野田を残し教室を出た。
誰もいない廊下を歩きながら考える。
霧島貴音、彼が絵里奈の弟で不死の人間だとしたら。子供の時に死んでいる……それが本当なら。彼は何故大人の姿で生き続けてるのか。
本当に絵梨奈の弟なのか?
霧島さんと話せれば何もかもがわかる。話してくれれば……だけど。
足を止め窓の外を見る。
赤く染まりだした空は夜の訪れを告げる。教室にいた時には金色の……黄昏時だったひと時。
カシャンッ‼︎
僕のうしろで響いた音。
なんだろう、何かが落ちたのか?
振り向いて見えたのは、金色に輝く羽根のネックレス。夕焼けの光が赤く照らしている。なんだこれ、誰もいないのに。僕が気づかなかっただけで誰かがいたのかな。だけどネックレスなんて校則違反じゃないか。
「先生かもしれない。そうだ、先生の誰かが」
職員室に持っていかなくちゃ、落とし物だって。ネックレスに近づいて手を伸ばす。触れた金属の羽根、冷たい感触を感じ——
「……っ‼︎」
僕の手に重なった誰かの手。
どこかで嗅いだ香水の匂い。どこで嗅いだっけ……そうだオモイデ屋に行った時。霧島さんとすれ違ったあの時だ。
これ、誰の手だ?
僕以外誰もいないはずなのに‼︎
顔を上げ見えた女。
僕に微笑む綺麗な顔。誰なんだ? 背中にあるのは……翼? それにこの顔、霧島さんと同じじゃないか。
「はじめまして、可愛い男の子君。私はリリス」
「……リリス?」
心臓がドクドクと音を立てる。
リリスって、ノートに書かれてた名前じゃないか。絵梨奈が出会った天使。まさか……天使なんて、僕に見えるはずが。
綺麗な顔が僕に微笑む。
「男の子君、君は彼が気になっているのでしょう?」
「……彼?」
「そう霧島貴音、私は彼を生みだした天界の者」
夢を見てるのか?
天使に会ってるなんて。
待てよ……『彼を生みだした』って言った。本当のことなのか? 霧島貴音、彼が不死の人間だって。
夢に決まってる。こんなことあるはずないんだから。そうだ……夢なんだ、なのになんで僕は震えてるんだ?
「怖がらなくていいわ。君に私が見えるのは、それが媒介になっているからよ」
ネックレスに触れる手がこわばっている。媒介ってなんだよ……僕に何が起きてるんだ?
「気にいってくれるかしら、君への贈り物。ネックレスはふたつの力を秘めている。男の子君? 聞こえてる?」
こいつ……何を考えてるんだ?
力ってなんだよ、いきなり現れて。
「霧島貴音、彼は優しくて悲しい者。君が
冷たい感触が僕を覆っていく。
砕け、消えていくリリスと遠のいていく意識。
何を考えてる?
リリスは僕を……どうする……つもり……
「……太、颯太」
兄貴の声がする。
見えてきた兄貴と真っ白な天井。何処なんだ……ここは?
「颯太、大丈夫か?」
「……兄貴?」
「びっくりさせやがって。母さんから店に電話があったんだ。先生が倒れてる颯太を見つけたってさ」
「ここは?」
「病院、救急車で運ばれたんだ」
僕は気を失ったのか。
あれは夢じゃない、間違いなくリリスは現れたんだ。
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