死神と黄昏庭園《3》

 受け取ったラッピング袋がカサカサと音を立てる。美結の前でクッキーを食べるのは初めてだ。


「チョコを入れたかわりに、クッキーの甘さは控えめにしました。口に合えばいいんですけど」

「仕事に戻ったほうがいい。別の召使いが食事の知らせに来る頃だ」


『あっ』と声を上げ、あたりを見回した美結。美結はここで、何度か召使い達に注意を受けている。


「すみません、貴音様に迷惑をかけてしまいますね。私はまだ1番の下っ端ですし」


 ペロリと舌を出した美結。

 僕を見る大きな目は猫を思わせる。親しみを込めた目で飼い主を見るような。


 遠のいた過去。

 絵梨奈がいなくなった日々の中、屋敷に現れた真っ白な猫。ガムテープを体に巻かれ、傷だらけの姿で助けを求めてきた。毛を染めた血の色は今も脳裏に焼きついている。静かな町の中、猫はどんな思いで彷徨いここにたどり着いたのか。

 手当てしてから死ぬまでの数日間、猫は僕のそばから離れなかった。僕を見る目に滲んだ温かな光。それは生きる喜びを感じさせた。

 僕の腕の中で、眠るように死んだ猫。


「出来るだけのことをします。私の夢は、1番の召使いになって貴音様を守っていくこと。ずっと……貴音様に仕えさせてくださいね」


 ずっと……か。

 美結を前に乾いた笑みが漏れる。

 僕が死なない人間だと言えば、美結はどう反応するだろうか。


 振り返り窓の外を見た。

 夜の闇に沈む黄昏庭園。


 リオンが翼を斬り落とし、僕が顔を切り裂いた庭園そこにはが眠っている。ふたつの不死の血が混じり生みだした異形の者。それは黄昏時に目を覚ます。

 妖魔が眠る場所に誰が近づくことも許さない。

 醜く哀れな僕達の分身。


「何をしてるの? 美結、仕事に戻りなさい」


 凛とした声が響く。

 食事の知らせにと、現れたのは柚葉。


「いつまでも甘い顔はしないわよ。さぁ、早く」

あし……じゃなかった。失礼します、貴音様。ごめんなさい、柚葉さん」


 柚葉に頭を下げ、慌てたように去った美結。『まったく』と呟くなり柚葉は顔をほころばせた。


「あの子、私じゃなければ叱られていたのでしょう? 無邪気というか純粋すぎるのか。随分と、貴音様を慕っているようだし。夢道美結……彼女になら託せるかもしれない。絵梨奈様から引き継いだ、貴音様を守る役目を」


 短く切られた白髪はくはつと皺が刻まれた柚葉の顔。歳を重ね老いた姿は、絵梨奈と出会ってからの長い日々を感じさせる。


「幸いにも、貴音様のためにがんばることが生きがいのようですし」

「聞いてたのか? 僕達の話を」

「馬鹿なことを。聞き耳を立てるほど、意地悪く歳を取ったつもりはないの」


『ふふっ』と柚葉は笑い、ラッピング袋に手を伸ばす。


「お菓子作り、絵梨奈様と楽しんだのを思いだすわ。初めてのケーキ、絵梨奈様は真っ黒に焦がしてね」

「想像つかないな。僕が知る絵梨奈は器用で頭がいい人だった」


 優しくて。

 穏やかで。

 まっすぐにリオンを愛していた。


 記憶の中に浮かぶふたりを包む黄昏の光。


 ——ずっと……貴音様に仕えさせてくださいね。


 美結の声が僕の中を巡る。

 美結は、美結なら受け入れてくれるだろうか。自分が歳を取る傍らで、僕が若いまま生き続けても。

 僕は耐えられるだろうか、美結が歳を取り死んでいく現実に。


「……美結の目標は、1番の召使いになること。柚葉、美結のことを」

「もちろん、大事に育てるつもりよ。私がいなくなっても困らないようにね。明日からは少しだけ厳しく接しましょうか。あの子が誰よりも有能な召使いになるために」


 柚葉が浮かべた笑みと僕を包む寂しさ。

 いつか訪れる柚葉の死。

 出会った誰もがいなくなっていく。親しい者がいなくなる現実を僕は繰り返すのか。


「さぁ貴音様、食堂で雪斗様が待っていますよ」


 柚葉に言われるまま向かう食堂。

 雪斗との食事のひと時。


 血を分けた家族と離れ、僕と暮らす日々。雪斗は幸せを感じてるだろうか。

 出会った時、僕の目を引き寄せたいくつものあざ。家族に虐げられる苦しみの中、雪斗は生きていた。望まれるだけの金を払い、霧島家の養子として引き取った雪斗。


「今日、雪斗に制服を着せたのは柚葉なのか?」

「えぇ、褒めれば自信がつくと思って。よく似合ってたわ」

「学校にはまだ行けそうにない。臆病な所は僕にそっくりだ」


 足を止め窓の外を見た。

 黄昏庭園で眠る妖魔、見ている夢は希望か……絶望か。







 次章〈オモイデの目覚めと転校生〉

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