死神と黄昏庭園《2》

 リオンの消滅から数日後、リリスはカレンと共に現れた。金色の長い髪と真っ白な翼。美しい顔立ちのリリスを前に微笑んだ絵梨奈。


 ——はじめまして。カレン、あなたの仲間なら彼女は死神さん?


 ——リリスは天使よ、創造の力を持っている。リオンの翼に興味があるんですって。


 絵梨奈に歩みより、細い体を引き寄せたリリス。絵梨奈の耳元で彼女の唇が開かれた。


 ——私達は不死の命を持つ、これが意味することを教えてあげるわ。彼の翼は生きているのよ。


 ——……え?


 リリスが告げた事実。

 それは絵梨奈をどれだけ驚かせたことだろう。


 ——翼は何処? 私はリオンと同じ疑問を持っている。何故、不死の命を与えられたのか。私を信じてくれるなら協力してほしい。


 ——協力?


 ——創造し生みだすのよ、永遠とわに生きる人間を。ある目的を果たすために。私が目指すもの……あなたにだけ教えてあげるわ。


 絵里奈の耳元で囁いたリリス。

 何を語ったのか僕にはわからない。だが僕が生みだされ生きていること。それはリリスの目的が、絵梨奈を納得させるものだったのだろう。


 翼を地下室に置き、鍵をかけていた絵梨奈。

 柚葉とふたりだけになった屋敷で、思い出を慈しんだ日々。両親が好きだった料理を作り、黄昏時は庭園でひとり空を見上げた。

 リオンに会いたい、そう願いながら。

 リリスとの出会い、それは絵梨奈にとって奇跡なのか絶望だったのか。


 絵梨奈と肩を並べ地下室に向かったリリス。

 ふたりを追うカレンの物憂げな顔。


 ——考えもしなかった。翼が生きているなんて。


 ——皮肉なものよ。体が焼かれ燃え尽きても死なないなんて。天界の住人は、綺麗な体を与えられた化け物にすぎない。


 リリスの顔に浮かんだ自虐的な笑み。


 僕が持つ記憶の多くはリリスに与えられたものだ。リオンの記憶を秘め、霧島貴音となって生きている。不死の人間として足掻き生き続けるために。

 老いることなく、同じ姿のまま。


 目を覚ました時、最初に見えたのはリリスの微笑みだった。体が感じ取った凍えるような寒さ。

 目を覚ます前に感じていた包まれるような温もり。おそらくは翼に注がれたリリスの力が感じさせたものだ。


 ——はじめまして、坊っちゃん。


 呟いたリリスと体を震わせた僕。


 ——坊ちゃんなんて失礼かしら? あなたは生まれたばかりだけれど大人を姿をしているもの。


 リリスを前に何も言えなかった。

 自分が何者なのか。

 見えるものも聞こえるものも、自分に向けられたものだと思えなかった。


 ——怯えた顔をしないで、私はリリス。彼女は霧島絵梨奈、あなたを守ってくれる人間よ。


 リリスのそばで、僕に笑いかけた絵梨奈。

 カレンはふたりから離れ僕を見つめていた。


 ——私があなたを生みだしたの。あなたの元の姿は黒い翼、翼の持ち主はリオンという死神。


 リリスの指が僕の頬をなぞり、リオンの記憶が僕に押し寄せてきた。


 悲鳴を上げたリオンの想い。

 僕の中に響いた嘆きと絶望。


 ——リリス、彼の名前私が決めていい?


 ——ご自由に。坊っちゃんが生きること以外興味はないもの。


 ——貴音、私の弟の名前なの。気に入ってくれたらいいのだけれど。


 ——彼女はそう言ってるわ。どうなの? 坊っちゃん。


 答えることが出来なかった。

 何も言えずふたりを見るだけだった僕。


 リリスとカレンが去り、絵梨奈と過ごす日々が訪れた。僕を見た柚葉の驚きを今もよく覚えている。


 ——絵梨奈様を疑うつもりはないのですが。翼から生まれた……死なない人……ですか? 突然のことでどうしたらいいのか。ようするに、絵梨奈様のご家族として世話をすればいいのですよね。……では貴音様、どうぞこちらへ。部屋の準備から始めましょう。


 絵梨奈に勧められるまま、読み漁った本や描きだした絵。死んだ弟は空想好きで、思いつくままの空想を語っていたらしい。絵梨奈は大人の姿をした僕に、成長した弟の姿を重ねていた。

 穏やかな日々の中、絵梨奈の体を蝕んだ病。

 死が近づく中で絵梨奈が望んだこと。


 ——描いてほしいの、リオンの記憶の中に息づいている私を。リオンの目に私はどう映っていたのかしら。ずっと……貴音を守ってあげたかった。柚葉……私の代わりに貴音を守ってあげてね。……お願いよ、柚葉。



 絵梨奈が死に柚葉とふたりだけになった屋敷。

 遺された資産を糧に、霧島貴音として生きることに没頭した。リリスから受け取ったノートを傍らに。


 ——苦しみと嘆き……思うままに書いてみればいいわ。リオンの想いを受け止めながら。長い時の中で見つけるものは何か、あなたはあなたとして生きていくの、命の終わりを見つめながらね。あなたは特別な人、天使と死神……不死の命の持つ者の嘆きを理解するひとつだけの存在もの


 日々ノートに書き続けた。

 時々描いた絵梨奈のスケッチ画。

 ノートを閉じたあと、書庫室に籠り夜を迎えた日々。本を読み漁る中、芽生えたのは創作への願望だった。


 世界を描き育てていけるなら。

 自由に、思いのままに……と。


 ドアをノックする音と込み上げる寂しさ。

 今日はやけに感傷的になっている。ノートを手放したことを悔いているのか。

 破ることも燃やすことも出来なかったノート。それは人知れず眠り続けていくだろう。いつか世の中に忘れられていく寂れた店の片隅で。


「貴音様、少しいいですか?」


 ドア越しに聞き慣れた声が響く。

 召使い、夢道美結むどうみゆが来た。美結はクッキーを持って現れる。ドアを開けると、美結の親しげな笑みが見えた。


「今日はチョコチップを入れてみたんです」


 可愛らしくラッピングされたクッキー。仕事をこなす中、クッキーを焼く時間があることに驚かされる。


「今夜の食事はステーキのようですね。ナイフとフォーク、雪斗様は慣れたのかしら」


 雪斗を引き取る前に雇った召使い達。

 僕を見た誰もが顔をこわばらせたが、美結だけは恐れもせず笑顔を見せた。黒い眼帯と頬に刻まれた傷痕あとを前にして。


 絵梨奈の死後、僕は自身の顔を切り裂いた。

 黄昏に染まる庭園で。

 痛みを代償に手に入れた、美貌とおぞましさが入り混じる顔。

 リオンの記憶から逃れたかった。

 僕の中を巡る望みもしない記憶。それは僕を捉え支配し続けた。

 リオンの幻影まぼろしを殺そうと振りかざしたナイフ。

 リリスは現れた。

 血に濡れた僕を前に、唇を緩ませたリリス。


 ——坊っちゃんったら。私と同じ顔が気に入らないの?


 リリスの声は僕の心をえぐり、傷よりも鋭い痛みみを呼んだ。力なく膝をつき、花をむしり潰した僕。


 ——冗談よ。生みだした者として、坊っちゃんの気持ちはわかるつもりよ。リオンの記憶から逃れたかったのね。


 僕に触れたリリスの手が血に染まった。雫になり、地面に落ちていく血と僕に向けられた美しい笑み。


 ——坊っちゃん、自分を傷つけるのはここまでにして。あなたが望むなら残してあげるから。生の希望と不死の絶望を刻む傷痕あとを。永遠に……ね。


 傷ついた左目は眼帯で隠れているものの、傷痕は生々しい赤みを帯びたまま頬を覆っている。今にも血が滴りそうな傷痕を前に、美結は何故笑っていられるのか。


「君は……僕が怖くないのか?」

「どうしてそう思うんです?」


 ラッピングを開ける音が響く。香ばしい匂いに包まれる中、美結が手にしたひと粒のクッキー。


「雇ってくれたことに感謝しかありません。私に出来ることは、貴音様の役に立てる召使いになること」


 クッキーを食べ美結は微笑む。

 いつもなら、押しつけられるように渡されるクッキーだが。


「チョコ入りもたまには悪くない」


 手を伸ばすと、美結は意外そうに目を見開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る