幕間・霧島貴音の独白

霧島貴音視点

死神と黄昏庭園《1》

 黄昏の慟哭。


 僕が書いたものの中で最も読まれ話題になったもの。

 主人公はリオンという名の死神。

 死に導く者でありながら死ぬことを許されない存在もの。リオンにとって与えられた命と、死者を導く使命ことは苦しみでしかなかった。


 ——何故、死神として生きることとなったのか。


 それはリオンが秘め続けた疑問だった。


 答えなどありはしない。

 ただ、事実だけがある。


 人を慈しみ、生の喜びを象徴する天使と絶望を象徴する死神。彼らは神と呼ばれる創造主から、不死の命を与えられた者達だ。


「……兄様? 貴音兄様」


 僕を弾く雪斗ゆきとの声。

 雪斗の背後に見える夜に染まる窓。今日も黄昏のひと時は過ぎた。


「貴音兄様、今日制服を着てみたんだ。紺のブレザーとと緑のネクタイ。召使いは似合うって言ってくれたよ」


 雪斗の幼い顔に嬉しそうな笑みが浮かんだ。


「制服か。雪斗、僕に見せようとは思わなかったのか?」

「ごっごめんなさい。貴音兄様に見られるのは恥ずかしくて。こんな……屋敷に住めるだけで夢みたいなのに」


 赤みを帯びていく雪斗の顔と軋み痛む僕の心。

 僕を包む現実いま真実ほんとうが夢だと言えるものならば。


 黄昏時が過ぎ、夜が訪れるまで雪斗は僕の部屋で過ごす。1ヶ月前、雪斗を引き取った時から続くこと。

 ひとりで黄昏時を迎えることが怖い。

 そして……庭園にわに眠るものの目覚めを誰にも知られたくはない。


「雪斗、人との関わりに慣れてきたか?」

「うん、貴音兄様もみんなも優しくしてくれるから。だけど外には出たくない。知らない人に囲まれるの……怖いんだ」

「そうか。学校にはまだ行けないな」

「ごめんなさい、迷惑をかけて」


 ティーカップを手に雪斗は涙ぐむ。

 半年前、公園で見かけた時も雪斗は泣きそうだった。家から出てひとりブランコに乗っていた雪斗。寂しげな目がリオンに似ていると思った。


「雪斗、霧島家の人間としてプライドを持つだけでいい。思うままに生きればいいんだ。僕は君を、家族として迎え入れたのだから」


 うなづく雪斗を見ながら思う。

 雪斗を大事に思いながら憎しみを募らせる矛盾。公園に足を運んだことも、雪斗に出会ったのも偶然だった。


 雪斗に重なるリオンの影。

 それは、記憶と共に僕を苦しめている。

 リオンの翼から生みだされた僕は、霧島貴音として生きながらリオンに支配され続けている。

 僕の命は僕のものなのに。


 黄昏の慟哭。

 それはリオンの想いを吐き出した、絵梨奈が読むことのない恋文だ。


 翼を斬り落としたリオン。

 体を血色に染めて願った。

 僕の中に響くリオンの声。


 ——不死の命と引き換えに人になりたい。


「雪斗、明日もミルクティーを飲もう。ティーカップを片付けてくれ」

「うん、貴音兄様」


 ティーカップをトレーに乗せ雪斗は微笑む。リオンの記憶の中で、絵梨奈が穏やかに微笑んだ。


 人には見えないものが見えた少女絵梨奈。彼女は自身の存在に疑問を持ち続けた死神リオンにひとつの願いを呼び寄せた。


 人になって絵梨奈と一緒に生きていく。


 ソファに身を沈め、闇に染まった窓の外を見る。窓の外にあるのは、リオンと絵里奈が出会い絆を育んだ場所。


 遠い過去、黄昏の光に包まれていたリオン。

 死者を導くため降り続ける人間界で、彼の心を温めたのは夜に沈む前のひと時だった。

 死者が待つ場所へ向かう途中、彼が目にした美しい光景もの。金色の光の中、咲き乱れる花と樹木。光に溶け込むように降り立ったリオン。

 空を見上げる彼に絵梨奈は近づいた。


 ——真っ黒な翼。あなたは天使様? 


 リオンを驚かせた絵梨奈の声。

 死ぬ者でない限り死神を見ることは出来ない。何故、この少女には死神が見えるのか。


 ——びっくりさせちゃったわね。あなたの翼、輝いて綺麗だったから。私は霧島絵梨奈、資産家の娘なの。あなたの名前は? 天使様。


 絵梨奈の艶やかな黒髪が風になびく。


 ——お前は天使だと思うのか? 死を象徴する黒い翼、僕は死神だ。


 ——そらの使いに変わりないでしょう? 死神さん、私はこの庭を黄昏庭園と呼んでいるの。黄昏時、何もかもが優しさに包まれる。気に入ってくれたなら、いつでも遊びに来てね。


 黄昏に包まれた庭園で、ふたりは逢瀬を重ね語り合った。互いのことを、何ひとつ隠さずに。


 ——天使と死神が持つのは不死の命だ。僕は未来永劫、この姿のまま生き続ける。死者を導く……望みもしないことを続けたまま。僕だけなのか? 不死に疑問を持っているのは。天界の誰ひとり、声を上げはしない。


 ——私はね、リオン。両親に嫌われているの。宇宙そらの使者や妖精、見えるはずのないものが見える。この力は貴音……弟が死ぬ前に現れたものなの。貴音は生まれた時から病に冒されていた。『絵梨奈、すぐに貴音君の所へ行って。貴音君はもうすぐ』。夜が開ける前、聞こえた声と現れた影。教えてくれたのはリズと名乗る女の子で木の妖精よ。リオンには見えるかしら、私達を見てるあの子がリズ。人ではない者達、彼らと話す私を両親は化け物だと言うの。不思議な力……怖がらずにいてくれるのは、召使いの柚葉ゆずはだけ。


 語り合い、惹かれあっていく中で絵里奈の両親は死んだ。

 旅行先での不慮の事故。

 天に導いた死神はカレンという女。黒ずくめのリオンと対象的な赤で統一された風貌と褐色の肌。

 絵里奈の前に現れたカレン。


 ——あなたは知っていますか? あなた達が不死の命を与えられたのは何故なのか。死ぬのは怖い、でも死があるから生きることは光輝く。神様は何故、あなた達を生かそうとするのですか?


 絵梨奈の問いかけを前に微笑んだカレン。

 赤い目に宿る冷ややかな光が絵梨奈に向けられた。


 ——私が知るはずないでしょう? 知ってたとしてもあなたに話す理由はない。あなたが死を迎える時、ここに来るのは誰なのかしら。私かリオン……あるいは別の誰か。


 絵梨奈は柚葉を残し召使い達を解雇した。母のように姉のように、絵梨奈に寄り添った柚葉。

 リオンのことを絵梨奈は語り続けた。


 ——リオンといる時が1番幸せなの。リオンもそうなら嬉しい。私といる時だけは苦しみを忘れられたらって思うの。永遠とわに生きるリオン。私が死んだら……彼はずっと、苦しいままなのかしら。


 リオンは願い続けた。

 不死の命を捨て人として生きる。

 天使と死神を生みだした神。伝えられる想いがあるならば。

 痛みと苦しみを代償に。


 黄昏に包まれた庭園の中。

 金色の空を見上げながら、リオンは翼を斬り落とした。寂しげに微笑む絵梨奈に見守られながら。


 ——絵梨奈と共に生きていきたい。絵梨奈を守り……愛しながら。


 叶わなかった願い。


 リオンは消滅し、絵里奈に残されたのは血に濡れた黒い翼。翼に近づき、触れようとした絵梨奈の前に現れたカレン。

 翼を濡らす血は、花を赤く染め地面をも濡らしていった。


 ——ずっと、あなたの気配を感じていたの。私達を見守ってくれたのね。


 ——見守る? 面白いことを言うわね。私が死神だと知りながら。


 しゃがみ込み、翼に触れたカレン。体を失った翼は風に揺れ力なく動く。


 ——彼が消えて、翼は輝きを失くしてしまった。


 ——翼を斬るなんて思いもしなかった。苦しみの先に何があるというのかしら。私達は与えられた命を生きて、仕事をしていくだけでいいのに。どうして……人になろうなんて……。


 声を詰まらせ、ちぎり取った羽根を握りしめたカレン。



 ドアを閉める音と同時にひとりになった部屋。雪斗がいなくなった部屋で思いを巡らせる。


 白で統一された家具と廊下を染める赤い絨毯。それは僕が絵梨奈と出会った時から変わらない。おそらくは絵梨奈が生まれた時から同じなのだろう。

 僕を貴音と呼び、支えてくれた絵梨奈が死んでからも日々は続いている。

 僕を生みだしたのは、僕と同じ顔を持つリリスという名の女天使。

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