第十四話 儚い命

「ゲルグ……ゲルグ……」

 声がする。レーテーではない。この声の主は。

「アイリス?」

 起き上がるとそこにはアイリスがいた。死んだ十歳の姿ではなく、成長し、成人した姿で。生きていればこんな姿になっていただろうか。

「ゲルグ、死んじゃダメ。生きて〈薬の国〉を救って」

「俺は死んだはずでは……」

 あの時、ネルケに負けた。炎に包まれ、俺は丸焦げになったはずだ。

「……今のゲルグは死んでいるし、生きている。だからまだ戦える。レーテーちゃんを守ってあげて」

 いつか見た夢では、アイリスはレーテーを恨んでいるような事を言っていたが、今は違った。これが本心のような気がした。

「ゲルグはレーテーちゃんを守りたい?」

 俺の答えは決まっていた。レーテーを守り、〈薬の国〉を救う。その為には生きてネルケに打ち勝つしかない。

「ああ。勿論だ」

 俺は生きたい。


目が覚めると、ルナリアが血塗れで倒れていた。そして、その血を必死に止めようと、大量の布を泣きながら傷口に押し付けているレーテーがいた。カガチは無い両腕でレーテーを止めようとしていた。

「レーテー……」

俺はふらつく足取りでレーテーの元に行く。

「ねぇ! 起きてよ! また本を読み聞かせてよ!」

 目を真っ赤にしてレーテーは叫ぶ。

「レーテー」

 呼びかけるとレーテーは泣きはらした目で振り返る。

「ゲルグ! 生きていてよかった!」

 俺の足に抱きつくと、絞るような声で叫んだ。

「ルナリアちゃんが! ルナリアちゃんが死んじゃう!」

 ルナリアを見ると、衣服は真っ赤に染まり、瞳孔は開いている。助けられなかった。

「レーテー、ルナリアは——」

「ゲルグ! ルナリアちゃんを助けて! お願い! ゲルグなら出来るでしょ! 美味しい料理も作ってくれたし、ゲルグの何倍もデカい相手も倒しちゃった。なんでもできるゲルグなら、ルナリアを助けてよ!」

「レーテー……俺は……」

 その時、森の方向から爆発音がした。先ほど聞いた爆発音と同じものだ。まだネルケが近くにいる。

「カガチ、レーテーを頼む」

 そう言い残すと、ネルケとの決着をつける為、駆けた。

 途中で俺の大剣が道端に突き刺さっていた為、回収した。

 やがて、宿敵ネルケが遠くに見えて来た。ネルケは土の鎧を身にまとったアダリスと戦っている。そして、アダリスの兜が砕けた。

「⁉」

「……ゲルグ?」

 そう言い残すと、恩人は死んだ。


「ネルケ!」

 腹の底から雄叫びをあげる。

「ゲェルグゥゥ!」

 ネルケも負けじと雄叫びをあげる。

 手に持つ武器は、左手にメイス。右手にナイフ。どちらも近接用武器だ。自分の間合いを保って戦わねば。

「ふうぅぅ……」

 深呼吸をする。

 こいつはアダリスを殺し、ターコイズの腕を奪い、ハイネルを殺し、ルナリアの命までも奪った。十年前、俺はこいつを殺し、数々の仲間の仇を討った。だが奴は蘇った。殺意と狂気のみを宿した人外の怪物となって。再び息の根を止め、更なる血を流させない為に。

 そして俺は大木のように巨大な剣を構える。

「うおおおおおおおお!」

 鼓膜を破らんかの声量で雄叫びをあげ、剣を振るう。

「おらああああああ!」

 対してネルケはメイスで大剣を受ける。大剣は先ほどのようにメイスで受け止められるかに思えた。だが結果は違った。大剣はメイスを破壊し、ネルケを切り裂いた。

「がああああああ!」

 ようやく剣が届いた。いける。今ならネルケに勝てる。その証拠に、俺の体温は振れただけで茶を沸かせるのではないかと思うぐらい高かった。

 しかし、ネルケはその程度の傷ではなんら怯まなかった。右手のナイフで俺の腹を突き刺しにかかる。

 すかさず膝蹴りでナイフを落とすと、柄頭で殴りにかかった。

「がはっ!」

 柄頭はネルケの鳩尾に入り込む。腹の中にはほとんど入っていない気がした。

 ネルケは後ろに飛びのき間合いを取る。そして新たな武器を手に取る。

「あんたにはやっぱり剣だよなぁ」

 取り出したのは二本の長剣。その腹のどこにそんな長い物が入るのか疑問だったが、考えるのをやめた。だがその口調には僅かな焦りが見えた。

 そしてネルケは長剣で隙の無い構えを見せた。十年前は突破できなかった最強の構え。

突破する方法は十年の間に編み出した。だがそれにはリスクが大きすぎる。

いや、今はあの方法が最適解のはずだ。先ほど腹を殴った時、確信した。ネルケにもはや武器は残されていないと。

そして俺は剣を投げた。

「なっ⁉」

超質量の剣は左手の長剣を容易く破壊し、ネルケの姿勢を崩した。最強の構えは崩れた。

「この野郎! また壊しやがって!」

 そう吐き捨てると、残った右手の剣で胸を突き刺しにかかる。

 大剣を失い、素手となった俺は焦げた外套を手に巻き、向かい打つ。

「死ねぇ!」

 矢のような一突き。その突きを俺は外套で受けた。そのまま剣を包む。〈薬の国〉の厚手の外套は、巻いて使えば簡易的な盾となる。

 そのまま包んだ剣に向かって膝蹴りを叩きこむ。そして剣は真っ二つに折れた。

「……ちっ」

 ネルケは舌打ちするが、新たな武器を取り出す様子は無い。全て失ったからだ。戦闘用ダーツすらも使い果たした。

 両者は素手となった。

 二人の戦士は睨み合う。夜の森の静けさが背筋を伝ってくる。

 両者は立っていられるだけでも奇跡というほど、疲労していた。ネルケに関しては戦闘が始まってからほぼ休みなく戦闘を続けている。

 永遠にも思える一間。先に動いたのは……ネルケ。

 疲労が溜まっているはずだが、矢のような速度の拳を打つ。俺はしゃがみ込んで躱すと、腹部に拳を叩きこむ。

「ぐっ」

 拳はネルケの腹に文字通り入り込んだ。昔、アイリスと料理をした時の、生肉に触れた嫌な感じと似ていた。ネルケの腹の中は、何もなかった。筋肉も、内臓も、骨だけは辛うじてあった。

「手を抜け!」

 そう吐き捨てるとネルケは頭突く。

「があっ!」

 意識を刈り取られないよう、頬で受ける。頬が痛むが、すかさず後ろに飛びのき距離を取る。

「痛ってぇな!」

 頬にはヒビが入っただろう。痛む頬をよそに頭に向けて蹴りを叩きこむ。

 ネルケは籠手で受ける。お返しとばかりに手刀を肩口に向けて叩きこむ。

 すかさず手刀を左腕で受ける。手刀の威力は凄まじく籠手を割られた。追い打ちとばかりに籠手を無くした左腕目掛け拳が来る。

「くっ!」

 戦闘狂の拳を受けた左腕の骨は折れる。

 歯を食いしばり痛みを捨て置くと、強烈な踏み込みで体当たりを食らわせる。防御に使った両手が悲鳴をあげた。

 怯んだところに拳を数発叩きこむ。だがネルケはまだ立ち上がる。

 胸にむかって掌底を食らわせる。ネルケは倒れない。

 肘鉄を打ち、その反動で裏拳を叩きこむ。

「どうだ!」

 言い放つがネルケは未だ倒れない。疲労が溜まった両腕はあがらないだろうに。

正直俺も体力の限界だった。連撃に次ぐ連撃で限界を迎えた俺は、次の一撃を放てば倒れてしまうだろう。

「……まだだ」

 力なく構える。

「これで終わりだ」

 ゆっくりと右腕を引く。汗は体温によって蒸発している。悲鳴をあげる身体に鞭打ち、最後の一撃を放つ。

「おらああああああ!」

 矢よりも速く打ち出された拳は、ネルケの傷だらけの顔をまともに捉えた。その勢いでネルケは吹き飛ぶ。

 そのままネルケは森の斜面を転がり落ちていった。下は崖。助かるはずもない。

 勝負は決した。俺はその場に崩れ落ちる。


 日が昇り、死者を埋める穴を掘った。失われた命は多い。

 穴を掘る間もレーテーは金切り声をあげ泣いていた。

 アダリス、ハイネルの埋葬が終わり、ルナリアの遺体を埋めようとしたころ、ようやく落ち着いて木陰に座り込んでいたレーテーが、消えそうな声で尋ねる。

「ゲルグ、ルナリアはどこに行くの?」

「……ルナリアは土に還り、主神の元に帰る」

 故人が土に還りやすくなるように土葬をする。

「……しゅしんの所に帰ったらどうなるの?」

 顔を膝に埋めたままレーテーは聞く。

「主神の元で善行を積めば、やがてこの世界に生まれ変われる」

 レーテーは顔をあげる。

「生まれ変わるって、何日ぐらい?」

「……わからない、生まれ変わるときに皆、全て忘れるから誰にも分からない。……たとえ生まれ変わったとしてもそのヒトは既にルナリアではないだろう」

 その言葉を聞いたレーテーの表情は曇っていく。

「……もうルナリアと会えないの?」

「そうなるな」

「そう……」

 そう言って再びレーテーは膝に顔を埋める。

 いよいよルナリアを埋葬する時になってレーテーが声を掛ける。

「待って!」

「……どうした、お別れか」

 レーテーの口調は何かを決めたかのようだ。

「ゲルグ、ルナリアに“授命”をしたい」

 掻き消えそうな声でもその目には決心が詰まっていた。

 レーテーならそう言うと思った。レーテーは優しい子だ。

 だが、それは許さない。目的はあくまでもオルデアの蘇生だ。こんなところで逃げられては困る。

「……どうしてそう思った?」

「……ルナリアには……病気のお母さんがいる。お母さんの為にも……ルナリアは生きていなくちゃ……」

 途切れ途切れながらもレーテーは言う。

「“授命”をすればお前は死ぬ」

 俺は強い口調で言う。

「……わかっている」

 俺の言葉を聞いて、死への恐怖が生まれたのか、少し弱弱しく返事をする。

「死んだらレーテーの花も見れなくなるぞ」

「わかっている……」

 レーテーの目には涙が滲む。

「ヌスミドリももう食べられなくなる」

「………………ている」

「お前が死ねば皆悲しむだろう。俺もカガチも、ルナリアも」

 いつの間にかレーテーの両目からは大粒の涙があふれていた。

「……わかっている」

「そして何より、ルナリアはお前に生きてほしいと思っているはずだ。ルナリアは誰かの命で生きたいとは思っていないはずだ」

 俺は淡々と言葉を並べていく。その言葉一つ一つが彼女の胸に深々と突き刺さり、涙へと変えていく。

「また明日もルナリアに本を読んでもらえると思っていた……」

 姉とも慕った友がこんなにも唐突に奪われるとは、十歳ほどの子供には耐えられないであろう。

「……ゲルグ、命ってこんなにも儚いの……?」

命は唐突に奪われる。昨日共に飯を食べた相手が今日死ぬなんて、何度もあった。

「……お前はこの儚い命をどう使う?」

 俺の問いにレーテーはしばらく考え込む。やがて答えが出たのか真っすぐと俺を見る。

「いつ死んでもいいように後悔なく使いたい」

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