12.共に先へ
ソルファの町は、思ったより広かった。
『セスファリナと比較すると小さい』という話は道中で聞いていたが、規模そのものはかなり大きいようだ。
「……思ってたのと違うわね」
「どっちの意味で?」
「いい意味で。とても良い景色よね」
アフテプが遠方へ目を凝らす。丘に沿うように作られた高低差のある街並みは、ある意味でセスファリナよりも見ごたえがある景色だった。
町の外から続く石畳の大通り、そこから路地へ分かれた道の先は階段と更なる分かれ道で入り組んでおり、そして少し遠くの丘を見上げると学校と教会のような建物が目に入った。騎士団の支部と思われる施設も見える。
「でも首と目が疲れるわねえ。騎士様、どこからあの上へ行けるの?」
アフテプが丘の上を指差す。その先を見上げたフリットは先行するように一歩前に出た。
「案内するよ。どこからでも行けるけど、近道を知っているんだ」
そう言うと人の少ない道へと入って行った。
その後に続いてアフテプもしばらく歩いてゆく。道を曲がり、橋の下をくぐり、階段を上り、時に少し下り。そんな風にしばらく歩いた所でアフテプは来た道を見下ろしながらため息をついた。
「……ふう。"観光目的で色々見て回る"なんて、この街じゃとてもできそうにないわね」
次に進行方向を見つめる。続々と目に入った分かれ道にアフテプが視線を泳がせるとフリットがこちらを振り向いた。
「そうだね。入り組んでるし、階段も沢山ある」
「どうしてこんな構造なんですか?」
自然の傾斜を含む街だから階段が多くなるという点は理解できる。だが案内が無いと迷いそうな程に入り組んでいる件については理由が分からない。後先考えずに街を造ったとしても、逆にここまで複雑な造りにはならないだろう。
「防衛の為だよ。ここはセスファリナみたいに街を守る壁が無いから、代わりに複雑な造りにすることで侵攻を遅らせるって考え方らしい」
「へえ…… 考えられた結果がこの形なんですね」
「うん。ただ今となっては争いなんて滅多に起こらないから、この複雑な造りも殆ど意味を成さない物になっているんだけどね」
「それはそれで良い事なんだろうけど、不便さだけが残っちゃうってのは考え物ね…… ふうっ」
「ふふ、そうだね。 ……さて、もうひと頑張りいけるかい?」
「やってやるわよっ、ふうっ!」
額の汗を拭ったアフテプがずんずんと階段を上る。目的地である丘の上はもう少しだ。
輝樹と乃愛が求めたような景色が、すぐそこにある。
「──」
今の僕には脚が無い。それでも確かに覚えている感覚だ。長い距離を自転車で移動して、筋肉が悲鳴を上げる感覚。そして、最後に眼前に立ちふさがる長い坂道。
"公園への上り坂を行く時は自転車から降りて歩く"と、自分の中で決めていたのを覚えている。
そうして、息を切らし汗を拭いながら辿り着いた公園は──
「……ベンチと柵があるわね」
ただそれだけの場所だった。
広大な空と小さな町、それらを繋ぐ空気と草花の音、香り。
何もないようでいて、かけがえのない場所だ。
「どうだい? 見たい景色と違っていたらもう一か所の方にも案内するけど……」
「いえ、広さはちょっと違うけど雰囲気は結構似てるわ」
「うん…… うん、そっくりだ……」
「そっくり? 貴方、はっきり覚えているのね」
屋根と机とベンチ。まさに毎日のように輝樹が絵を描いていた場所だ。
そこへ僕、あるいは私が途中から合流して、背中越しに同じ時間を過ごしていた。
「……」
──彼との日々がついに終わったと一度思ったその後も、彼は何故か当たり前のように公園に現れて、絵を描いていた。別の題材の絵でも、なぜかあの公園で。"私"と言葉を交わしながら。
「──っ」
「……ノカ? どうしたの? ボーッとして」
「具合でも悪いのかい?」
「なんか…… なんだろう」
思い出す、という表現でいいのだろうか。まるで僕の中に何かを蘇らせるかのように情景と感情が想起されてゆく。
「……なんなんだろう」
──すぐに終わる関係だと思っていたから病気の事は黙っていた。しかし想定とは反対に徐々に関係が続き、深くなってゆく。そんな日々に焦りと葛藤が募っていた。
「アフテプ」
「ん?」
「"覚えのない情景が見える"って話したの、覚えてる?」
──辟易し軽蔑していた物を受け入れると楽になった。結婚の話が出始めた頃、彼は『私には必要ない』と思っていた理解者になってくれた。
──だからと言って甘えすぎる事も共感を求めすぎる事も是とせず強く精一杯生きる事を心に決めて人生を歩み始めた頃、程無くして"その瞬間"が訪れた。
「前世かもしれないって話してたやつ?」
「うん。多分、今それと同じ事が──」
アフテプの顔を見ると、記憶の再生は止まった。
「……同じ事が起こったのかも」
白い天井、スリッパを履いた足音、それと消毒液の香り。
かつて幾度となく過った断片的な記憶は全て乃愛の物だった。その事を裏付けるかのように、僕の中に彼女がまだ存在している。
「そうだったのね。体調に問題が無いなら良かったわ」
「アフテプは? 何か思い出したりとか……」
「残念ながら特に無いわ」
「そっか」
どういう気持ちなのか自分でもわからない。これが自分の気持ちなのかどうかすらも分からない。
ただ、心の奥に何かが閊えているような感覚がした。
「それにしても、足が竦むような景色ね」
柵へと歩み寄ったアフテプが街を見下ろす。事故を心配するような顔のフリットがその隣に立った。
「……なんと言うか、あっけないわね」
「あっけない? どういう事?」
「騎士様の助力があったとはいえ、随分と簡単に辿り着けてしまったわねって事。"二人一緒に公園に行きたい"なんて、健康体の私からすればこんなにも些細な願いだったんだなって思っちゃったのよ」
「"些細な願い"、だって……?」
あまりにも本質を見ていない言葉に思わず怒りが漏れる。
そんな僕の表情を見たアフテプが柵から離れてベンチに座り、空を見上げた。
「乃愛の言葉の表面しか見ていない感想だと思ったでしょう?」
「思った」
「彼女の気持ちを分かっていない訳じゃないわ。彼女はなんというか…… そう、彼女にとっての公園は輝樹との楽しい日常を象徴する物だったんじゃないかと思うの」
自らの隣まで僕を動かした彼女は尚も言葉を続ける。
少し離れた場所からこちらを見るフリットが顎に手を当てた。会話を聞いて僕達の前世について憶測ながらも察しがついたのだろう。
「そして公園で彼と共に過ごしていた時間は彼女にとって最も輝かしい時間でもあった筈。死を望んでいたからこそ死に怯える事も無く日々を過ごせていた。そして悪い意味ではあるけれども、一応は未来への不安も無く彼と向き合う事が出来ていた」
乃愛の感情が溢れ出る。
希死念慮が揺らいで輝樹と共に過ごす日々が始まった頃、彼女は己の命と未来を悲観した。
輝樹にその事を明かして結婚してからは、幸せでありながらも病についての不安が常に二人の頭を悩ませていた。
「彼女にとって、"ごく普通の青春"とか"ごく普通の幸せ"に最も近かった時間はあの瞬間…… "輝樹と共に公園に居た時間"だったんじゃないかしら」
何も知らない輝樹との日々は全てが何気なくて、二人とも自然体でいられた。
普通の一生が送れない事を覚悟して諦めていた彼女にとってその記憶は何よりも重く、甘く、残酷で大切だったのだろう。
「だから彼女はせめて最後に── いや、違うわね」
僕の瞳を真っ直ぐに見据えたアフテプが首をかしげる。
以前にも感じたように彼女の表情からは別の人物の面影を感じた。
「死ぬ前に思い出に浸りたいのではなく、思い出に存在する日常を取り戻したかった。そういう意味で『再び公園へ行きたい』と願ったんでしょう」
乃愛のあの願いの真意は、『死ぬ前に思い出の場所へ行きたかった』ではなく『元の日常に戻りたかった』。止め処なく溢れる乃愛の感情を受け止めると、その解釈に間違いは無いように思えた。
「分かっているならなんで"些細な願い"って──」
「"健康な私からすれば"、ね。確かに言葉が悪かったわ、ごめんなさい。でも訂正をするつもりは無いわ」
「なっ…… なんで?」
「今の私達ならいくらでも叶えてあげられるから」
「……」
少しの静寂。落ち葉を纏った風が街へと吹くと、少し遅れてアフテプの髪の毛が揺れた。
「私達にとって、普通の日常を送れるのは当たり前の事。なのにそれは乃愛にとってあまりにも大きく遠い願いだった。輝樹もその事実を受け止めて、彼女の悲しみをも背負っていた。 ……ただ一か所の公園だけを見てその思いにケリをつけるだなんて、今思えばあまりにも浅い考えだったわ。弔いどころか冒涜ですらある」
風に解かれた横髪を耳にかけなおしたアフテプが立ち上がり数歩前へ出た。
「だから私、区切りを付けた後も"この旅を"続けたい。小さくて何気ない願いの成就を積み重ねるの」
「続けるって、弔いの旅を?」
「ええ。というより、弔いだとか願いだとか考えなくても私達なりの日常を過ごせばそれが自然と弔いになるのかもね」
「……それは、"自分の為の生き方"なの?」
「そうね、気持ちとしては前世に縛られるんじゃなくて前世に見せつけてやるつもりでいるわ。『貴方から続いている命はこんなにも自由だ』って、『来世でも仲良しだよ』って」
グッと握り締めた拳を自らの胸にトンと当てる。
「ね、だからノカも一緒に来てくれないかしら?」
そして振り向いたアフテプの顔は笑顔に満ちていた。
その顔を見ていると何故か自然と僕の心も軽くなったような気がした。
「……」
「……ノカ?」
まだ乃愛の魂を鎮められたような気はしていないが、陸での旅の行く末に何かがあるのならば今はそれを信じたい。
「ねえ…… 理屈っぽく言葉を並べてみたけど、私の本心としては弔いとか関係なく私一人だけは嫌なの。貴方と一緒に旅がしたいわ」
それに、僕自身アフテプと離れ離れになるのは嫌だ。
「弔いの為に僕を連れて行こうとしている訳ではないんだね」
「……そう言ってるでしょ。一番の友達と世界を見て回りたいの。あんまり捻くれていると置いて行くわよ」
「ご、ごめん…… 訊いただけ。疑ってる訳じゃないから……」
「そう必死に謝られると調子狂うわね。で、どう? ついて来てくれる?」
数日前までの僕であれば、この問いに対して葛藤を持っただろう。だがもう答えは出ている。
「うん、ついて行くよ。今度こそ人間の姿で」
この旅を通して思った事がある。少しでも"一緒に居たい"と思う気持ちがあるのなら、その気持ちに対して素直になるべきだ。
海から出て陸で生きる事に関する不安もあるし、故郷を離れたくない気持ちも確かにある。今の姿を捨てる事への抵抗もまだ少し残っている。
だが『障壁も何も無いのにわざわざアフテプと離れ離れになるような選択をするべきではない』と、この短期間での経験が語っている。
このまま海に残って魚としての生を歩むことを選んだ場合、数年後には死よりも辛い後悔で苦しむ事になるだろう。
なんて後ろ向きな思考ばかりが僕の中に渦巻いているが──
「僕もアフテプと一緒に旅がしたい」
「……んふふ」
僕も彼女と共に陸を見て回りたい。なんて照れくさくなるような気持ちが芽生えている事もまた事実であった。
「ありがとう、騎士様。今回の旅はここで一旦終わりにするわ」
「ありがとうございました」
フリットへと頭を下げる。すると彼は心配そうな表情で歩み寄り、僕達の顔を見つめた。
「ボクと別れた後も旅を続けるつもりなんだね?」
「ええ。そのつもり」
「……正直、君達二人だけを送り出すのはとても心配だ」
「旅の知識も何もありませんからね…… お金も道具も無いし」
あるのはやる気と体力くらいだ。考えなしに旅へ出ると野垂れ死ぬだろう。
「だからお節介かとも思うんだけど、知り合いに声をかけてみようと思うんだ。面倒を見てくれそうな人に心当たりがある」
「え! ありがたい話ですけど…… いいんですか?」
「うん。教え子を欲している旅人が知り合いに居てね。陸での冒険について教えてくれるかもしれない」
魔法陣を展開したフリットが言葉を書き込んでゆく。遠くの者に文章を送る魔法のようだ。
「教え子を欲している…… そういう事であれば是非ともお願いしたいです。なんという方ですか?」
「ティナだよ。ボクの姉弟子の」
「旅人になっていたのね。騎士様とは正反対というかなんというか……」
「正反対か…… 確かにそうかも」
適当な書き出しを埋めたフリットがこちらを振り返る。
「一度海へ帰るんだよね。その後陸へ出てくるまでどのくらいかかるか分かるかい?」
「人間化が大体二時間くらいで、その前に人魚化もしないといけないから…… 陸だと二週間くらいかしら?」
「人魚化は三十分もかからないって聞くよ。休憩と人間化も合わせて合計で三時間くらいじゃない?」
「じゃあ一週間と三日か四日くらいだけど…… 試練がどうなるかが問題よね。合流した後さらに待たせる事になったら失礼になるわ」
「うーん……」
マヨに話せばある程度は配慮してくれるはずだ。だが特に切羽詰まった事情は無いので真面目に取り組みたいのが本心ではある。
「とりあえず合流場所を先に決めましょうか。セスファリナの…… 虫捕りをした公園でいいかしら?」
「分かった。日時についても一週間と三日って事でいいんじゃないかな。数日くらいならゆっくり待っていてくれるよ。ましてや種族の文化の関係って事なら逆に興味を持って助けてくれるはず」
「そうなんですか?」
「うん、人魚ともなれば特にね。あの人はそういう人だから」
要件に加えて日時を書き終えたフリットが魔法を送信した。
「『一週間と三日後にセスファリナの公園で』、これで良し。僕から大体の話は通しておくから、君達はゆっくり用事を済ませておいで」
「何から何までありがとうございます」
「ありがとうね」
「いやいや、これも恩返しの一つだよ。さて……」
襟を正したフリットが背筋を伸ばす。
「アフテプちゃんもマヨさんみたいに移動の魔法が使えるのかい?」
「ええ、使えるわよ」
アフテプが僕と視線を合わせて立体魔法陣を展開した。
「凄いな…… じゃあここで一旦解散だね」
「あら、いいの? 必要とあらばセスファリナまで送るつもりだったんだけど」
「有難いけど、この街にある騎士団の支部に少し用事があるからここで解散した方が僕にとっては好都合なんだ」
困り眉で笑ったフリットが遠くの建物を指さした。風になびく旗にはフリットの鎧に刻まれた紋章と同じ模様が見えた。
「そう。じゃあまた今度よろしくね。今回は本当に助かったわ。ありがとう」
「フリットさんが居なかったら今頃路頭に迷ってました。ありがとうございました」
「うん。気を付けて帰るんだよ、またね!」
手を振るフリットに会釈を返しながら、僕たちの身体は光で包まれた。
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