11.各々の目的

「アフテプは、人間を怖いと思う?」


 セスファリナへと帰る道中、アフテプへと語り掛けた。

 フリットとドルテの過去を目の当たりにした事によって憂いが生まれてしまった。

 彼女はドルテのように陸へ特別な憧れを抱いていたという印象は無い。どちらかと言うとまだ見ぬ新天地としての期待を抱いていたように思う。

 だから人間への失望によって意気消沈するような事は起こりにくいだろうとは思うのだが、同族の凄惨な経験を見て心変わりを起こしていないかと心配になった。


「難しい質問ね」


 対するアフテプは珍しく思い悩むように腕を組んだ。普段の彼女であれば『怖くはない』と即答しそうだが、流石にあの記憶を見た直後だとそうはいかないようだ。


「『はい』か『いいえ』で言うなら『はい』ね。あれを観て人間は私達人魚にとって警戒する必要のある種族だと思ったわ。


「……そっか」


「でも人間以外の者だって怖いと思う瞬間はある。人間だけ特別に怖がっている訳ではないわ。ノカだって同じでしょ?」


「え? うん」


 フリットがこちらを静観する。その眼差しから察するに、彼もアフテプの感情について心配していたようだ。


「怖いという感情のみを以て人間を観ている訳ではないから安心してね、騎士様」


「うん」


 その視線に気が付いたのか、アフテプが堂々とした態度でフリットへと告げた。

 そしてもう一度こちらを向いたアフテプは少し考えるような間を置いて、再び自らの考えを僕に伝え始めた。


「極論を言えば、私は人魚ですらも怖いと思うわよ」


「……」


 思えば、確かにそうだ。


「私達の記憶に新しい例は"人間から殺意を向けられた人魚"の話だけど、その裏にあったのは人魚から人魚へ向いてしまった殺意だったわ。明確な動機なんて知りようも無いけど、だからこそ恐いの」


 考えを纏めるようにフリットが顎に手を当てた。

 同時にアフテプも一つ息をついた。個人規模の感情的な問題に関しては揺るぎない考えを持っている彼女だが、僕と同じく今回の問いは彼女の中で何らかのもう一段階大きな自問へと繋がったようだ。


「結局のところ、皆が怖がっているのは異種族ではなくて自分とは異なる意思や思想なんじゃないかしら」


「……人間だって人間を怖がっているからね」


 フリットが呟く。それに同調するようにアフテプが頷いた。


「人間にも人間を怖がる人は居るし、私だってミプルのような人魚は恐ろしいと思うわ」


「そっか…… 確かになあ……」


 アフテプの価値観に触れ、思わず空を見上げた。こちらの表情を探るかのように一度だけ僕の方を見たアフテプは、地面の小石を道の外へと蹴飛ばしながら言葉を続けた。


「なんて、脱線した上に悲観的な事ばかり話しちゃったけど基本的に私は人間が好き…… と言う程でもないけど、まあ好意的に捉えたいと思っているわ。ドルテと同じように陸の世界への憧れも持ってる」


「……うん」


「だから暗い話はおしまい! 騎士様達が守ってるセスファリナは良い国じゃない。きっと重苦しく考える程の事ではないのよ」


 笑顔を浮かべたアフテプが水面を優しくつついた。

 彼女としては後に語った『好意的に捉えたい』や『陸への憧れ』といった気持ちの方が恐れよりも大きいのだろう。その事が確認できただけでも十分安心できた。それに、彼女は元から一例を以て全体を判断するような性格でもなかった。全て僕の杞憂だったのだろう。

 彼女は今も変わらず弔いを終えた後の"自分の旅"への期待を抱いている筈だ。


「……そうだね。ごめん、ちょっと重く考えすぎてたかもしれない」


「それはそれで正しい思考だとボクは思うよ、ノカ君。 ……さて、じゃあ湿っぽい話はこの辺にして今後の相談でもしようか」


 そう言ったフリットが一度立ち止まって地図を広げた。


「続けて案内してほしい場所があるって話だったけど、次は何処へ行きたいんだい?」


「街を一望できる丘に行きたいわ」


「丘…… だとすると他の町まで行かないと無いな……」


 身を屈めて僕達に地図を見せながら、セスファリナから少し離れた二つの場所を指で示した。

 描かれている町一つ一つの大きさからしてあまり広範囲を示す物ではないようだ。


「候補としては農村のリエンシって所と小さな町のソルファって所がある。景色が目的なら好みに合わせて決めようか。どっちが見たい?」


 乃愛達の記憶に準拠するならばそれなりに栄えている町であることが好ましい。あの二人の思い出に残っている景色には農村らしい特徴は無かったように思う。


「ソルファにしようかしら。ノカはどっちがいいと思う?」


「僕もソルファかなあ。あの二人が住んでた町は農村ではなかったよね?」


「そうね。見渡す限り町って感じだったわ。きっと都市に住んでいたのよ」


 即決したアフテプが地図の一点を指さした。現在地からであればセスファリナまでの距離とさほど変わらない位置にあるように見える。


「"あの二人"? もしかしてこれも頼み事なのかい?」


「今回のはそういう訳ではないの。なんて言えばいいのかしら」


「僕達二人の前世となる人達が丘から町を見下ろす風景を見たがっていたんです」


「……」


 脳内で情報が渋滞を起こしたかのようにフリットが固まる。

 説明を付け加えようと慌てて思考を巡らせると、アフテプが代わりに説明を始めた。


「海底王国の文化で"自分の前世を見る"という行事があるのよ。その行事で見た前世の記憶がきっかけになって私たちは陸へ出て来たの」


「そう。そして前世の僕達自身を弔う意味も込めて、彼らが見たがっていた景色と似た物をこの世界で探してみようって思ったんです」


「へええ、海底ではそんな文化が……」


 関心を示すように声を漏らしたフリットが歩き始めた。行先はソルファという事で決まったようだ。


「騎士様もマヨちゃんに頼めば前世を見せてもらえるんじゃないかしら。どう? きっと人生を決める上で大きな経験になると思うわ」


 ちょこちょことフリットの隣についたアフテプがフリットの顔を見上げる。彼女の視線を受けたフリットは少しも迷う素振りを見せずに首を横に振った。


「確かにいい経験になりそうだけど、遠慮しておくよ」


「フリットさんはもう騎士って職に就いてますからね。今更他人の人生から影響を受ける必要は無いんじゃないかな」


「ふふ、うん。今背負っている分だけでも十分良い人生になると思うんだ」


 そう言ったフリットは燦々と輝く太陽を仰いだ。


「あらそう。 ……良い出会いもあったみたいだし、蛇足かしらね」


 ニヤリと笑みを浮かべたアフテプがもう一度フリットと目を合わせた。


「蛇足と言ってしまえるかは分からないけど、これ以上は却って迷いに繋がるかもしれないね」


 風が草原を撫でる。そんな風景を眺めたフリットは清々しい笑顔を浮かべた。

 苦しい過去を経験していた彼は今、自らの人生を迷いなく見据えている。

 ドルテや師匠との出会いを経てそうなったのか、それとも彼自身の潜在的な人間性なのか。どちらにしても、今の彼が笑顔を浮かべている事実が何よりも僕の心を救ってくれたような気がした。


「ねえ騎士様、貴方が師事していた魔女に興味があるわ。姉弟子のティナって方にも」


「……僕も少し気になります」


「ん、なら少し話そうか」


 フリットを教え導いた人物と考えると、彼の師匠となった陸の魔女は図らずもドルテの無念を継いだという事になる。一体あの後フリットはどのような人物に囲まれて過ごしていたのだろう。


「師匠は…… ソレイユさんでしたっけ。どんな方だったんですか?」


「先生は使命感の強い人だったな。ボクが師事していた時から今に至るまで、『完成させたい魔法がある』って言ってずっと同じ魔法の研究をしているんだ」


「魔法の研究かあ。やっぱり海の魔女も陸の魔女も似たような事をしているんですね」


「そうだね。でも蒼海の魔女みたいに文化的に重要な役目を担っている訳ではないんだ」


「あくまでも呼び名としての側面が強いのかしらね。ティナって方はどんな感じだったの?」


 続けて姉弟子のティナについて訊かれたフリットは言いにくそうに眉をひそめ、困ったような笑みを浮かべた。


「兎にも角にも魔法が好きって感じの人だった。職人気質でありながら魔法以外の事はかなり適当で、それでいて何事においても自信に満ちている人…… だった」


「……随分と言葉を選んでいるわね。癖が強い方なのかしら」


「一言で言うならマイペースなんだ。待たされる時もあるし、一人で先へ行ってしまう事もある」


 苦笑いも相まって、振り回されているフリットのイメージが自然と湧いて出た。


「でもまあ、姉弟子ならそれくらいの方が丁度良いのかもね。引っ張ってくれそうな印象だわ」


「そうだね。まさに誰よりも先に立って堂々と誰かを導くような人だったよ」


「へえ」


 想像を膨らませたアフテプが遠くを見つめた。波のように揺れる草を眺める彼女の隣で、僕の中にふと一つ好奇心程度の疑問が生まれた。


「ところで、フリットさんって二人の魔女の弟子だった訳ですよね。フリットさんご自身は魔法の研究に携わったりはしていないんですか?」


 それをありのまま明かすとフリットは困ったような笑顔で僕を見た。


「今はあんまり。手伝い程度に先生の研究に関わっているくらいだよ」


「魔法への興味が無くなった訳ではないんですよね?」


「もちろん。アイデアが今の所無いから本格的な研究をしていないだけで、魔法という分野そのものは今も変わらず好きだよ。勉強も続けてる」


 笑顔で告げたフリットは歩きながら視線を少し下げ、そのまま何を見つめるでもなく呟いた。


「……それに、ドルテさんの記憶を見てやっと生み出したい魔法を思いついた。これからはボクも魔法を追求するつもりだよ」


「良いじゃない。どんな魔法?」


 周囲を見回しながらアフテプが訪ねる。近くに人は見えない。僕たち以外に会話を聞く人は居ない状況だ。


「今はまだ秘密。浮かんだと言っても曖昧だから上手く説明できないや」


 同じく周囲を見回したフリットが空を見上げた。

 ドルテの事に一区切りついても、まだまだ彼にはやりたい事ややるべき事があるようだ。

 僕も人間になればもしかすると何かしらの形で彼に協力できるだろうかと、そんな事を考えながら水面越しに遥か遠くまで続く草原を見つめた。


「さて、そろそろソルファの街が見えてくる頃だよ」


「あら早いわね、もう?」


「高い丘に建っている街だから遠くからでも良く見えるんだ。見えてからが長い道のりなんだよ」


「へえ、大変そうね……」


 ソルファに辿り着けば、一先ず僕たちの小規模な冒険は終わりを迎えるだろう。乃愛と輝樹は満足するだろうか。彼らが求めた風景とは全く異なる世界だが、願わくば彼らの大切な思い出に見合う景色であってほしい。

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