10.あの日と同じ

 記憶の再生が終わり、祠の前で目が覚めた。あの後、アフテプとマヨは結局僕達を屋内へ運ぶ事はできなかったようだ。


「目を覚ましたようね、ノカ」


「あ、うん……」


 アフテプの声に反応して振り向くと何とも言えない表情を浮かべた彼女の顔が目に入った。僕自身も、自分が今どのような感情を抱いているのかよく分からない。

 同じタイミングでフリット達も目を覚ましたようで、放心したように頭上の水面を眺めていた。 


「ここで終わりなんですか?」


「はい。あの後、お師匠様は眠りに就くように亡くなられました」


「……まるで明日も生きて目覚められる事を疑っていないようだった」


「……はい」


 フリットとマヨの語らう声が聞こえてくる。聞いていい物なのだろうかとアフテプへ視線を送ると、彼女は毅然とした表情のみを僕に返した。


「あの後の事を伝えないとだね」


 フリットが祠へと跪き、姿勢を正す。そして僕達とは別の誰かへ語り掛けるように、彼の歩んだ"あの日の続き"を話し始めた。


「ボクはあの後、リトアの魔女に拾われました。ボクが起こした雷の調査を依頼され訪れた際、現場に倒れていたボクを見つけたそうです。そのおかげで一命を取り留め、見ての通り今現在まで生き伸びる事が出来ています」


 裾を捲って矢を受けた脚を見せる。ドルテの記憶で見たような変色はもうすっかり治っていた。


「毒が回復した後はその魔女、ソレイユさんに師事して魔法の勉強をしながら旅をしていました。姉弟子のティナという方も居て、とても楽しい毎日だった。今は夢の他に成さねばならない大きな目標もできて、明確な生きる意味を見つける事ができたんです」


 フリットが手に持ったペンダントを見つめる。魔法陣はもう無い。きっと、あの記憶を見る事はもうできないのだろう。


「だからもう、心配しなくても大丈夫」


 ペンダントを握りしめたフリットが固く瞳を閉じる。

 祈りを捧げているように見えるが、その表情は何か感情を抑え込んでいるかのようにも見えた。


「……たとえ幻影でも、この場に貴女が現れてくれたらどれほど良かっただろう」


 フリットが呟く。

 ドルテの言葉は確かにフリットへと届いた。しかし彼の言葉はどうだろう。

 これまでの彼と同様に、ドルテもフリットの安否が分からず心配していた。

 そして彼と違って、真相を知ることが出来ないままあの世へと旅立ってしまった。

 せめて一言、今も生きていると伝えることが出来たのなら。第三者である僕ですらもそう思わずにはいられなかった。


「このペンダントから貴女に繋がっていたり、しないのかな」


 しかし現実は物語のようにはいかない。フリットの呼びかけに対し、ペンダントの宝石は何も応えなかった。


「きっと、繋がっています」


 だが、その代弁者たるマヨが声を上げた。


「あの人の事ですから、きっと一方的にこちらを見ているに決まっています」


「……そうだといいですね」


 拳を握り目に涙を浮かべたマヨにフリットが笑顔を向ける。そして、手に持っていたペンダントを彼女に握らせた。


「貴女はこのペンダントをボクに貰ってほしいと言っていましたけど、ボクは貴女が持つべきだと思います」


「え……?」


「極端な事を言うと、ボクはポッと出の余所者に過ぎません。自分の事ながら、彼女の遺品を受け取る資格があるとは思えないんです」


 ぶつかり合う視線には互いの譲れない思いが現れているように見えた。


「蒼海の魔女の座を継ぐ者としても、最後まであの方の側に居た者としても。貴女にこそ相応しい物であるとボクは思います」


「それでも、私は貴方に持っていてほしい」


「どうして……」


 フリットの手を取ったマヨが再びペンダントを強く握らせる。


「私が持っていると、お師匠様の魂をこの海底に縛り付けてしまうような気がするのです」


「……」


「彼女は陸を夢見ていました。だから、貴方が連れて行ってあげてください。そして広い世界を見せてあげてほしい」


「……ボクに務まるだろうか」


「きっと、あの方は貴方に連れて行って貰った方が喜びます。彼女を看取った私の願いでもあるのです。どうか」


 その言葉を受け止めたフリットは目を瞑り、深く頭を下げた。


「分かりました」


 確かな決意を感じさせるようなその声にマヨが頷くと、彼女は僕とアフテプの方へと視線を向けた。

 その瞳は涙が残りつつも何処か晴れやかで、喜びに満ちているかのようであった。

 この出来事が救いになったのだろうか。そうであるのならば僕としても気持ちに整理をつけられそうだ。


「ありがとうございました、アフテプ様、ノカ様。あなた達が陸へ足を踏み入れる勇気を持っていなければ、きっとこのような日は訪れなかったでしょう」


「私のおかげじゃないわ。私は私の思い付きに突き動かされて陸へ出ただけ。そんな大それた事はしていないわよ」


「そうだね。僕達からすれば全部偶然の出来事だもんね」


「ええ。きっとそちらの騎士様がドルテの事を強く想っていたから実現した事なのよ」


 立ち上がったフリットをアフテプが見やる。

 僕達からすれば偶然。されど、この出来事はフリットが掴んだ必然なのだろう。

 彼の時間で何年も経過して、新たな生き方を見つけて、それでも尚ドルテの事を気にかけていた。だからこそ巡り合う事が出来た。


「礼を言うならそちらの騎士様に、ね」


「……ありがとうございます」


「もう、私じゃないってば」


 アフテプが照れと呆れが混じったような表情を浮かべると、マヨは改めてフリットの顔を見上げた。


「ありがとうございます、フリット様。お師匠様の事を忘れないでいてくれて」


「こちらこそ、ありがとうございます」


 出会った時のような爽やかな笑顔を浮かべたフリットがこちらへ歩み寄る。


「アフテプちゃんとノカ君も。ありがとう」


「貴方に対しては私は本当に何もしてないわ。ノカが全部話したおかげでしょう」


「海底王国まで連れて行こうって言いだしたのはアフテプでしょ」


「ははは、どっちにしてもありがとう。君達には本当に感謝しているんだ。どうかこの気持ちは二人に受け取ってほしい」


 そう言ったフリットが騎士然とした佇まいで畏まった礼をするとアフテプが微笑みを浮かべた。


「分かったわ。じゃあ一つ貸しって事で」


「望むところだよ。助けが必要になったら何でも相談して」


「ならもう少しだけ陸の案内をしてもらおうかしら。行きたい所があるの」


「分かった、任せて」


 互いに頷きのみを以て会話を終えると、フリットは何かを思い出したようにマヨの方を向いた。


「ところで、コモさんは今どこにいるのでしょう。一度挨拶をしておきたいのですが」


「彼は今遠方へ出向いています」


「……もしかして、ドルテさんの言っていた陸の調査の関係でしょうか」


「はい。こちらの時間で数日待っていただければお会いできると思いますよ」


 その言葉を聞いたフリットは思い悩むように俯き、懐から手帳を取り出した。


「こちらでの1日は陸の時間に直すとどれくらいになります?」


「おおよそ84日程になります」


「はっ、はち…… 流石に無理だ……!」


「ふふ、彼には私から伝えておきますね」


「すみません、そうしていただけると幸いです」


 陸の社会で生きる者を海底に長居させるのは色々と問題がある。その事を改めて悟ったのかマヨが頭上の水面を眺めながらフリットの手を取った。


「まだまだ話したい事は沢山ありますが、それはまたの機会にいたしましょう。陸へお送りいたします」


「名残惜しいですが…… そうですね。今回はこれで一度帰らせていただきます」


「アフテプ様も陸へ戻られますか?」


「そうね。私たちの目的はまだ達成できていないし」


 迷わずに答えたアフテプがマヨ達の居る空気の玉へと飛び込み、人間の姿へと戻った。


「え、すぐ行くの? せっかく帰ってきたし、人間化の儀式を受けようと思ってたんだけど」


「私としても人間になったノカを見たい所だけど、騎士様を待たせる訳にはいかないわ。話していた通り弔いが終わった後にしましょ」


「んん、確かにフリットさんを待たせるのは良くないか……」


「ええ。課題だってどうなるか分からないし、一先ず私の用事に付き合って頂戴」


 海底では陸よりも緩やかに時が進む。アフテプの場合、儀式の始まりから陸へ出るまでに二時間ほどかかっていた。陸の時間に換算すると一週間ほどになる。その間フリットに海底王国で待っていてもらう訳にはいかないので陸へ帰ってもらう事になるだろうが、その後改めて合流するというのはなんとなく段取りが悪い。


「分かった。このまま付いて行くよ」


「不便を強いてしまうけど許してね」


「僕の方こそごめん、最初にやっておけばよかった」


 アフテプが再び魔法で水の玉を作り出した。最初に陸へ出た時と同様にその水の玉へ飛び込むと、マヨが立体魔法陣を出現させた。


「フリット様、いつかまた遊びに来てください。その時は私にも陸の事を教えてくださいね」


「はい。きっと、また会いましょう」


 魔法陣が光を放つ。

 目に焼き付けるように祠を見つめたフリットがもう一度祈るように目を伏せると、次の瞬間には元の砂浜に戻っていた。


「……」


 静寂の中で余韻を噛み締めるように海を眺めたフリットがペンダントを陽光に掲げた。


「きっと、太陽は一番最初に見たいんじゃないかって思っていたんだ」


 宝石を通った陽光が屈折によって色とりどりの光を地面に落とす。


「貴女の好きな朝日ではないけれど、それでもいつも通り黄金色に輝いてる」


 包み込むような波の音が響く中、宝石越しに太陽を見つめる。

 場所も時代もあの日とは全く違う。それでもフリットの瞳にはあの日ドルテが見た通りの輝きが秘められていた。


「ふふ、目が灼けそうだ」


 心地よい潮風に金の髪の毛を揺らしたフリットは微笑みを浮かべ、目元を拭った。

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