8.七年越しの感情

 魔法で広場に飛ぶと、そこには誰も居なかった。

 早朝と言うだけあってまだセミの声も人が発する物音も微かにしか聞こえない。

 世界から切り離されたような、どこか心地の良い疎外感に包まれながら朝日を見上げるとアフテプは凍結したセミが入ったままの篭を揺らしながら僕の顔を見つめた。


「答えは出た?」


「ううん」


「ふうん」


 それ以上の事は何も言わない。

 ただその面持ちからは『なあなあにするべきではない』と思っている事が見て取れる。


「フリットさんの為には話した方が良いとは思ってる」


「そう」


「でも、それを伝えた結果あの人がどうなるかって考えたら…… 心配で……」


 俯くとアフテプは考えるように顎に手を当てて地面を見た。


「まあ、そう心配する気持ちも分かるわよ」


 その言葉に何かが続く訳でも無く沈黙が流れる。相談に乗るつもりは無いのかもしれない。

 大人しく自分自身の思考を纏めていると、遠くから小走りの足音が聞こえて来た。

 遠くでフリットが声を出さずに満面の笑みで大きく手を振っている。近隣の住民に配慮しているのだろう。

 息を切らさずに僕達の元まで来たフリットは爽やかな笑みのまま髪の毛を整えた。


「おはよう、ノカくん、アフテプちゃん! ごめんね、待たせちゃったかな」


「おはようございます。ついさっき来たところですよ」


「おはよう。ノカの言う通り数分も待ってないわ」


「良かった。じゃあ早速行こうか。カブトムシは人気の虫だからね、時間との勝負だよ!」


 そう言ったフリットは再び静かな駆け足で移動を始めた。


「そ、そんなに急ぐの? こんな朝早くから行動してる人が他にも居るって言うの?」


 駆け足で息を切らしながらアフテプが尋ねる。

 少し走る速度を落としたフリットはこちらを振り返りながら頷いた。


「居てもおかしくはないよ。昨日の夜、木に蜜を塗りに来てる人達を見つけたんだ」


「蜜? 虫を寄せる為にって事かしら? そんなズルみたいな事をする人が居るのね」


「え? ズル…… なのかな?」


 アフテプの独特な価値観に対してフリットが困惑の表情を浮かべる。


「というか、フリットさんも昨日あの林へ行っていたんですね」


「え、うん」


「あら、もしかして貴方も蜜を塗りに?」


「……ううん、夜の見回りだよ。騎士団の仕事」


 奇妙な間を置いたフリットが笑顔で答える。恐らくは彼も昨晩蜜を塗ったのだろう。

 アフテプの小さく首を傾げる仕草からして、彼女はフリットが隠し事をした事に気付いていないようだ。


「さて、到着だね」


 騒音に気を付けながら街を駆け、公園にたどり着いた。セミ達の声はまだ僅かにしか聞こえず、ザワザワと風に揺れる葉の音のみが聞こえていた。


「薄暗いから周りには十分気を付けてね。怪我をしたり、あるいは不審な人物に絡まれたらすぐに戻っておいで。大声を出しながらね」


 フリットがアフテプに網を渡す。


「それと、一昨日みたいな雷は使っちゃダメだよ。騎士達がすっ飛んでくるから」


「肝に銘じておくわ。じゃあ行ってくるわね」


 アフテプもまた昨日とは打って変わった様子で、落ち着いた足取りで林へと向かって行った。低血圧が影響しているのだろうか。

 一方でフリットはアフテプが林に消えてから暫く経つまで神経を研ぎ澄ますような眼差しで林を見つめていた。瞳の中に魔法陣が見える。


「何を見ているんですか?」


「あの林の中に居る人の数と年齢だよ。曖昧にしか見えないけどね」


 緊張を解いて笑顔を浮かべたフリットがベンチへと腰を下ろす。


「大人と子供のペア…… 多分親子かな。それが二組だけ。多分不審者は居ないから大丈夫。ボクも一緒に行ければもっと安心なんだけどね」


「多分『ここで待ってろ』って言われますよ」


「ふふふ。意志の強い子なんだね」


「そうですね」


 徐々に蒼くなってゆく遠くの空を見つめたフリットが深呼吸をして瞳を閉じた。目元に隈は見えないが、睡眠の時間がちゃんと確保できているのか心配になってしまう。

 なんて事を考えていると、不意に彼が言葉を発した。


「アフテプちゃんは、人魚なんだよね?」


「……そうです」


 気付かれているだろうとは思っていた。だが少しだけ返答の瞬間に迷いが生じた。

 フリットへの警戒はもう殆ど無い。今頭を過ったのはアフテプのプライバシーの問題についてだ。

 だがその懸念は瞬時に霧散した。恐らくフリットが相手であれば言っても怒られないだろう。


「ちなみに、どういった所から気付いたんですか?」


 認めるついでに探りを入れる。陸で素性を隠すコツの修得に繋がるかもしれない。


「雷の魔法だね」


「え? 海の近くで迷子になってたとか、魚と話せるとかではないんですか?」


 僕の予想ではこの二つが決定的な証拠になると思っていた。しかし彼が見ていたのは魔法だった。


「そういった所からも予想していたけど、確信に至ったきっかけはやっぱりあの魔法だよ」


 足元の小石を拾ったフリットが姿勢を正して僕の方を向き、手元に魔法陣を展開した。


「現段階で陸には"天から雷を落とす程の魔法"をうまく制御する技術は存在しない」


「え、そうなんですか」


「うん。発動そのものはできるけど、彼女がやったような"命を奪わずに無力化"なんて芸当ができる使い手は聞いた事が無い。せいぜい今僕たち人間ができるのは"雷を模したエネルギーを放つ"程度。こんな風に」


 拾った小石を宙へ投げ、それに向かって手から魔法を放つ。

 一瞬の閃光と共に小石が砕け散った。目が眩む寸前に確認できたエネルギーの軌跡は正に雷であった。


「なるほど…… そんな所からバレるのか」


「そうだね。この大陸ではそんなに神経質になる必要は無いけど、旅をするなら注意するに越したことは無い」


 手元の魔法陣を消したフリットが頷く。


「見慣れない魔法を酷く警戒する人も居るからね。文化圏によっては悪者扱いされる事もある。覚えておいてね」


「分かりました」


 頷くとフリットも同じく頷き、先程のように空を見上げた。視線の先にはこれと言って何も無い。強いて言うなら空しかない。それでも彼は何かを注視するように一点から視線を外さなかった。


「これを伝えようと思ってさっきの質問をしたんだ。別れる前に言えてよかった」


「ああ、そうだったんですね」


 しばしの沈黙に包まれる。

 空はまだほんのりと暗い。それでも徐々に上昇してゆく気温を全身で感じていると、活動時間を迎えた小鳥達が思い思いに鳴き始めた。

 空白が生まれた脳に過る考え事はやはりドルテの事だ。今日を逃せば恐らくフリットには伝えられなくなってしまう。


「……っ」


 "口が勝手に動く"なんて事は起こらない。腹の底から漏れ出そうになる声を理性が必死に抑えている。

 気持ちに反して言ってしまえたのならどれだけ楽だっただろう。


「ん、どうしたの? 伝えたい事でもあるのかい?」


「え、あ」


 喉元の苦しさを吐き出すか悩んでいるとフリットが声をかけて来た。

 "自らを警戒する気配が分かる"のと同様に、何らかの感情が向いている事は察知できるのだろう。


「……」


 この返答で全てが決まる。

 一晩考えた結果答えは見えなかった。

 だが、どちらが良いのかは曖昧ながらも少しだけ見えたような気がした。


「おっしゃる通り、伝えないといけない事があります」


 伝えた方が良い。結局その結論に行きついた。

 伝えない事によって保障される物はなけなしの心の安寧、それと安定。一方でその代償として生じる物は"停止"だ。求めた真実を知る事が出来ず、現状維持の感情のまま生きる事になる。良かれと思っていようが、望んでもいない他人にそれを強いるのは良くないはずだ。

 一時の悲しみが在ろうと、真実を知って次へ行ける強さがあるのならば知った方が良いのだ。例え足を引きずってでも、その先に"次"が生まれるのならば知るべきなのだ。

 僕にはそれが出来なかった。拒んだ。安寧と安定に甘えて自ら停止を望んだ分際でありながら、あえてそう判断した。

 何よりも、フリット自身が知ることを望んだのだ。

 だから今ここで、僕は伝えなければならない。


「ドルテさんの事です」


「……」


 フリットの瞳孔が少しだけ開いた。

 元々正しい姿勢で固定されていた背筋を改めて正した彼は、続きを催促するように小さく頷いた。


「彼女の安否について、昨日僕は分からないと言いましたが本当は知っているんです」


「そっか。まあ、仲間の事を会ったばかりの人にペラペラと喋る訳にはいかないよね」


 理解を示すような眼差しが心に突き刺さる。


「先ずは嘘を吐いた事に関して謝罪させて下さい。ごめんなさい」


「いやいや、気にしなくていいよ。本当に」


 フリットの笑顔がさらに深く心に刺さった。

 その表情がどのように変化してしまうのか、考えたくもない。


「それで…… 彼女はあの後どうなったんだい?」


「ドルテさんは…… 亡くなりました」


 言ってしまった。背けそうになる顔を必死にフリットへ向けていると彼は寂しそうにくたびれた笑顔で首を傾げた。


「……そっか」


 ただ一言だけ、彼はそう呟いた。

 すっきりしているのか、それとも笑うしかないのか。彼の笑顔に秘められた感情が一体どんな物なのか僕には分からなかった。


「教えてくれてありがとう、ノカくん」


「いえ……」


 会話が続く様子は無い。

 これで良かったのかと自分に問うていると、遠くからアフテプの声が聞こえて来た。


「二人ともーっ!! 捕った! 捕ったわ私!!」


 手に何やら黒い物を持ちながらこちらへと走って来る。

 朝露に濡れた芝生に足を滑らせながらも、見事なバランス感覚で走り切った彼女は手に持っている物をフリットへと見せつけた。


「ほら見て、角が一本よ。これがカブトムシよね?」


「おお、これまた大物だね! そう、この生き物がカブトムシだよ」


「ああ、良かった。似てる虫ばかりで間違えそうだったのよ」


 安堵の表情を浮かべたアフテプが魔法陣を展開してカブトムシを冷凍する。

 セミに対して行われた冷凍をリアルタイムで目の当たりにしても、フリットはあの時のような反応は見せなかった。


「これで頼まれていた物は全部揃ったのかな?」


「ええ、後は届けるだけ。お世話になったわね、ありがとう」


「ボクはただ案内をしただけだよ。お礼をされるほどの事じゃない」


 首を振ったフリットがベンチから立ち上がり、誰も居ない方向を向きながら背伸びをした。

 そして目元を触るような仕草ののち、深く息を吐きながら少しだけ俯いた。


「……フリットさん」


 やはり、ドルテの事で心を痛めているのだろうか。


「ちょっと、話したの?」


 アフテプがフリットに背を向けて小声で話しかけてくる。


「うん」


 それに対して僕も小声で答えると、アフテプは把握した事を示すように小さく頷いて再びフリットの方を向いた。


「……今日中に届けるのかい?」


 少し遅れてフリットもこちらを振り向いた。表情は先程までと同じく笑顔だ。


「ええ、もう今からでも出発するつもり。 ……私達が最初に出会った所までお願いできるかしら。あそこからなら帰り道が分かるから」


「え? あの辺は…… あ、あー」


「何よノカ」


「何でもない」


 あの辺なら一度行った事があるから魔法で移動できるはず。そう言おうとしたが途中で彼女に考えがある事を察した。

 何を思っているのかは分からないが、何か考えている時の顔をしていた。


「お時間が許すのならお願いしたいのだけれど、いいかしら? 街の外を歩くのはまだ不安なのよね」


「うん、そういう事であれば同行するよ。いつでも出発できるのかい?」


「ええ」


「そっか。じゃあ行こうか」


 笑顔で頷いたフリットが先導する。その背後をアフテプが歩き始めた。

 林へ来る時に使った道には既に人混みが出来ており、その中を器用にアフテプが歩いてゆく。

 人ごみに紛れてフリットとの距離が開いた瞬間を見計らって僕はアフテプへと声をかけた。


「どういうつもり? フリットさんに付いて来てもらって何をするの?」


「ドルテの墓参りをして貰おうかと思ったのよ。亡くなった事を伝えてそれで終わりなんて良くないわ」


「ええ? じゃあ海底王国まで連れて行くって事?」


 海底王国に人間が立ち入ったという前例は無い。

 それに加えてドルテが人間に殺されたという事は周知の事実だ。人魚が陸へ出る事と同様に、人間が海底に来る行為もまた危険だろう。


「別に無理ならそれで良いのよ。マヨちゃんに掛け合ってみて、それから判断すれば良いわ」


「……うーん、大丈夫かなあ」


 アフテプが何処まで考えているのかは分からない。もはや僕にはこの状況をどうにかできる気がしなかった。

 何がどうなってしまうのか、彼の心に追い打ちをかけてしまうような結果にならないか。そんな事を悩みながら、二人の背中を見つめる事しか出来なかった。




──────────


 フリットと最初に出会った場所から暫く歩き、僕達が陸へ上がった海岸までやって来た。

 岩場に囲まれた狭い風景の中には僕達以外の人間は存在せず、胸の底がざわつくような静けさのみが広がっていた。


「ここで良いのかい?」


「ええ」


 周囲を見渡したフリットが首を傾げる。それに対してアフテプは静かに頷き、フリットへと視線を送った。


「私が人魚である事は既に聞いているかしら」


「うん。丁度さっき確認したよ」


「そう、なら改まった説明は不要ね」


 フリットに背を向けて波打ち際へと歩いてゆく。

 一点で立ち止まり、背を逸らしながら大きく息を吸いこんだアフテプは大声で魔女の名を叫んだ。


「マヨちゃああああん!! 持ってきたわよーっ!!」


「ま…… え?」


 突然の大声にフリットがびくりと身体を震わせる。僕も驚いた。

 二人して様子を見守っていると、海の中から何者かが歩いて出てきた。


「こんにちは、アフテプ様。ご用件は?」


 出てきたのはマヨだった。海水に濡れた全身を魔法で乾燥させながらアフテプへと微笑みかけている。


「試練の終了を伝えに来たの。これが例の品よ、どうぞ」


「まあ、これが……」


 アフテプが虫篭を渡すとマヨはその中身を観察しながら目を輝かせた。

 あらゆる角度から興味深そうにセミとカブトムシを数十秒見つめ、気が済んだように深く頷いた。


「確かに受け取りました。ではここに人間化の儀式の終了を宣言いたします。お疲れ様でした!」


「ありがとう。それともう一つ用事があるの。聞いてくれるかしら」


 虫篭を開けたマヨへ向けてアフテプが呼びかける。それと同時にフリットの方を振り向いて手招きをした。


「騎士様、こちらへ」


「ん、ボクにも関係のある話なんだ?」


「ええ、そうよ」


 指示に従ったフリットがアフテプの隣に立つ。

 目の前までやってきたフリットを足の先から頭まで眺めたマヨは不思議そうな顔をしながら瞳を見つめた。


「ええと、こちらの男性は?」


「色々と手助けをしてくれた方なの。 ──騎士様」


「はい」


 自分と何の関係があるのか分かっていない様子でありながらも、フリットは騎士然とした規則正しい仕草で頭を下げた。


「セスファリナ王国騎士団所属、フリット・クランツと申します」


「フリット…… クランツ……?」


 フリットの名を呟いたマヨは暫く呆然と彼の顔を見つめ、そして一粒の涙を零した。


「えっ……? いかがなさいました?」


「す、すみませっ……」


 頭を下げたマヨが次々と零れる涙を両手で拭い、呼吸を整える。そんな想定外の反応を目の当たりにしたフリットは地に膝を突いて奇麗な布切れを取り出した。


「その反応、やっぱりこの人で間違い無いのね」


 アフテプが確認をするようにマヨへと語り掛ける。対するマヨは声も出ない様子で頷いた。


「アフテプ、どういう事? 話が見えてこない」


「ドルテが死に際に"誰も知らない名前"を呟いたって話、覚えてる? 彼女を看取ったマヨも交えて最後の本人確認をしようと思って」


「……随分と怖い事をするね」


「あら、どこが怖いって言うのよ?」


 白々しい態度で笑みを浮かべたアフテプがフリットの背中に手を添える。


「ねえ騎士様、ドルテに貴方を合わせてあげたいの。私達と一緒に海底王国へ来てくれないかしら」


「……お墓参りを、させてくれるのかい」


「ええ。マヨ、いいかしら?」


 胸に拳を握り締めたフリットが目を瞑る。そして意を決するようにマヨの方を向いた。


「ボクからもお願いします、マヨさん」


「ええ、勿論許可いたします。きっと彼女も喜ぶでしょう」


 涙を拭ってフリットの手を取ったマヨはそのまま海へと歩いてゆき、膝まで海水に浸かった状態で僕達に近くへ寄るように手招きをした。


「陸地へ送った時のように、魔法で移動いたします。離れないようお願いいたします」


「はい」


「お願いね、マヨちゃん」


「……よろしくお願いします」


 厳かな様子で頷いたフリットが水平線を見つめる。

 全員を包み込むような立体魔法陣が展開されると視界の全てが光に包まれ、次の瞬間には継承の儀式を執り行った神殿へと辿り着いていた。


「ドルテ様のお墓はここから数分もしない所にありますが、アフテプ様はどうします? このまま気泡の中を歩かれますか?」


 マヨが尋ねる。対するアフテプは気泡の中から海へと飛び込みながら答えた。


「せっかくだし人魚に戻って泳ぎたいわ」


 それと共に僕を包んでいた水の玉の魔法も海へ放り込まれる形で解除された。


「ノカも一緒に泳いで行きましょ」


「うん。お疲れ様、ありがとうアフテプ」


 二人揃って思う存分ヒレを伸ばしていると、人魚となったアフテプの姿をフリットが不思議そうに眺めていた。


「まだ実感が湧いていないかしら」


 視線に気付いたアフテプが笑顔で首を傾げる。


「うん。まさか叶うとは思っていなかったから」


 対するフリットも微笑みを浮かべた。


「大人になるにつれて"やらなければならない事"が沢山積み重なって…… いずれ諦めなければならない時が来るって思ってた」


「そう、間に合ってよかったわ」


「……うん。ありがとう」


 遥か彼方の水面を見つめる、暫くしてフリットがマヨと視線を合わせると、マヨは彼の手を取ったまま建物の出口を指差した。


「お墓はこの建物の裏にあります。行きましょう」


「はい」


 フリットが一歩を踏み出す。

 その脚に込められた感情を汲むように、マヨは歩幅を合わせてゆっくりと歩いた。

 マヨの言った通り、お墓はすぐ近くにあった。

 サンゴや海草で彩られた建物の裏の空間は、賑やかでありつつもどこか寂しげで、中央の少し開けた空間にはぽつりと小さな祠が建ててあるだけであった。


「これが…… お墓?」


 フリットが祠を見つめる。

 その祠の中には小さな箱が一つ置いてあった。水流に攫われないように金属の重りを付けられ、そして魔法陣の装飾が施されていた。パッと見て分かるのは開けられないように保護する魔法陣であるという事だけだ。


「陸の物とは様相が異なっているでしょう? 海底王国では遺骨や遺体の代わりに遺品を納める事が弔いになるんです」


「そうなんですね。遺骨は別の所に?」


「……いえ、遺骨などはありません」


「えっ?」


 海底王国では仲間の死体を魔法によって泡に変える水沫葬すいまつそうという文化がある。文字通り"遺体を残さない"葬儀方法だ。


「ドルテは水沫葬によって泡になりました」


「水沫葬?」


「魔法で遺体を泡に変える葬儀方法ね。人間で言う火葬や土葬と同様に、海の底ではメジャーなのよ」


「泡にって…… そんな事をしたら何も残らないんじゃ……」


 フリットが絶望したかのような表情を浮かべた。

 彼と同様に、人魚達にもその葬儀方法を受け入れられない者は未だ大勢いる。だがそういった文化が根付いた理由はちゃんとある。


「そうしないと、大型の肉食魚や海獣が遺体に集まって他の者が危険に晒されるのです」


 遺体を埋めても肉食生物に掘り返され、そうでなくても遺体の中にガスが溜まって浮力で出てくるという事が多々あった。そして、その遺体の腐臭を嗅ぎつけた肉食生物が街中を闊歩するという出来事もまた沢山起こってしまった。もう何百年も前の出来事だが、それによって亡くなった者も大勢いると記されている。


「そ、そっか、身を守る為だったんですね。知らない者が口を出してしまって申し訳ありません」


「いえ、ご理解いただけたのなら幸いです」


 マヨが繋いだ手を引いて小箱の前にフリットを立たせる。


「……」


 すると彼は跪いて深く祈るように胸に手を当てた。

 涙も流さず、ただただ心の底に押し込んだ感情を捧げるように目を伏せ、そして──


「ごめん」


 その一言だけを呟いた。


「フリット様、そちらの箱を開けて下さい」


「え、いいんですか?」


「はい、中の物を貴方に貰ってほしいのです」


 その言葉を聞いたフリットは納められていた箱を恐る恐る手に取り、魔法陣の解読を試みようと目を凝らした。すると不意に刻まれた術式が光を帯び、何もしていないにも関わらず魔法陣が消え去った。


「……一体何が入っているんだろう」


「全てを知ってもらうための物だと仰っていました」


「全て? どういう意味合いなんでしょう……」


 フリットが箱を開ける。その中にはこれまた魔法陣が刻まれた水晶のペンダントが入っていた。


「これは──」


 ペンダントを取り出して箱を丁寧に置いたフリットが水晶に触れる。

 すると突然頭を激しく揺すられたような眩暈と激痛に襲われた。


「いっ! な、何だ!?」


 思わず叫ぶと隣でアフテプも頭を抱えて苦しみ出した。


「──っ、なによ、これ……! 何かの攻撃!?」


 どうやら僕達二人だけではない。フリットとマヨも苦しそうな表情を浮かべていた。


「これは、魔力干渉です……! 継承の儀式の際に私が行った物と同じ……っ」


「じゃあ何かを見せようとしているって訳!?」


 怒鳴るアフテプにマヨが頷くと、ついにフリットが倒れてしまった。

 僕ももう限界だ。僕達を屋内へ運び込もうとするアフテプ達の姿を朦朧と見つめながら、辛うじて意識を保とうとしても抗えない波に精神が飲まれてゆく。

 抗う気すらも失せるような感覚の中で、僕は意識が途切れる瞬間を待つしかなかった。

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