7.第三者の葛藤
「じゃあまた明日ね、二人とも!」
宿屋の前にて、僕達の部屋の手配を終えたフリットは夕空には場違いな程の笑顔で僕達に手を振った。
「え、明日も付き合ってくれるんですか?
「もちろん」
「あ、ありがとうございます……」
正直な話、フリットが昨日だけでなく今日も僕達の案内を申し出てくれたのはドルテの情報を得るためでもあると思っていた。
打算のみで動く人だと思っている訳では無いが、それでも嬉々とした態度で当たり前のように明日以降の案内も申し出てくれるその親切心には呆然とする他無かった。
「この虫篭、一度返した方が良いかしら?」
アフテプが首に提げた籠を揺らす。中では未だ冷凍されたままのセミがカランカランと音を鳴らしている。
「そうすると入れ物に困るんじゃないかい? 篭は君にあげるよ」
「あら、ありがとう。かなり助かるわ」
「網は嵩張るだろうから僕が持って帰るね」
フリットがアフテプから網を受け取る。そして何らかの魔法を用いてそれを消した。
「明日、同じ場所で日が出る頃に待ってるからね。 ……ああいや、急かすつもりは無いよ。君達のペースで大丈夫だから!」
自分の言葉に慎重かつ丁寧すぎる訂正を加えたフリットは小走りで去って行った。恐らく彼の向かう先に騎士団本部があるのだろう。
「……」
「どうしたのよ、ノカ。ボーっとしちゃって」
何となく彼の心情について考えていると、アフテプが水の玉の表面をつついた。
物理的な干渉を受けた水面によって歪まされる景色を見ながら、僕は何処からどう話すべきか頭を悩ませた。
「フリットさんと色々話をしたんだ。その事について考えてた」
「ふーん、気になるわね。話せる内容なら私も聞きたいわ」
「全部話すつもり。少し整理させて」
「分かったわ」
僕が黙って考え込んでいると、アフテプはその間に自分の部屋へと移動を始めた。
二階へ上がってドアの並ぶ廊下を歩いた突き当り、角部屋が今日の僕達の部屋だ。そこへ入室したアフテプは真っ先にバスルームへと向かい、魔法で浴槽に湯を張り始めた。
「……お風呂、入るんだね。昨日は適当に魔法で綺麗にしてたのに」
「ええ、入浴という文化? 習慣? に慣れておこうと思って。それに水中が恋しいし」
浴槽の端に手を掛け、水面を見つめながらしゃがみ込む。昨日と同様に疲れているようだ。
「そっか」
湯が溜まる音を聞きながら頭の中でフリットとの会話を思い出してゆく。
話すべきはやはり彼との会話の全てだろう。彼の目的、そしてドルテが何者によって攻撃を受けたのか。彼の個人的な事も含まれていると考えると少し話しにくい。
「そこまで悩むような内容って事は、やっぱり彼の言っていた人魚の知り合いに関する話なのかしら」
「うん、そう」
「誰の事なのか分かった?」
ここで先にドルテと知り合いだった事だけ話しておくのも良いかもしれない。
「ドルテさんの事だったよ」
「ふうん…… どんな関係だったのかしら。気になるわね」
抑揚のない声色で感情を示したアフテプが魔法を止めて服を脱ぎバスルームの外へ適当に放り投げる。そして一思いに湯に浸かると人魚の姿に戻った。
「たぶん友達だったんだと思う。ドルテさんが攻撃された時に海へ逃がしてくれたのはフリットさんだったみたい」
「ふむ……」
「ドルテさんに会いたがっていた」
「そうでしょうね」
呟いたアフテプがこちらを見る。
「ノカは彼にドルテの事を教えたの?」
「名前と蒼海の魔女って事だけ。亡くなった事は伝えていないけど…… 『察してた』って言ってた」
「……ふうん」
無表情ながらも心を痛めるように俯いたアフテプが尾びれの先を触る。広い浴槽だが人魚の姿では少し窮屈そうだ。
「何故伝えなかったの?」
「何故って…… もし再会を一番の目的としていた場合、亡くなった事を知ったら心のどこかが壊れてしまうんじゃないかって思って」
「そう」
「……アフテプならどうする? 亡くなった事、伝える?」
「伝えるわ」
考える間も挟まずに即答した彼女は僕の瞳を真っ直ぐに見つめた。
どうしてか、その瞳の奥には何か別の人物の面影が見えた様に思えてしまった。
「貴方の予想通り騎士様が再会を目的として動いていた場合、亡くなった事を知ってしまったら心底悲しむでしょうね。でも彼のような人間からすればそれ以前の問題なんじゃないかしら」
「それ以前の問題……?」
「彼はドルテの安否について察していた、と言ったのよね?」
「……うん。そう言っていた」
頷くとアフテプは浴槽の縁に頭を乗せて天井を見上げた。
「その上で尚真実を知ろうとしたのよ。きっと深い悲しみに包まれようが知る事を望んでいるわ」
「……」
「悲しみたくないのならそもそも知る事を望まない。もし彼がそのような選択をしていたのなら、今頃全て思い出にして多少モヤモヤしつつも自己完結させていたでしょうね」
口角のみに笑みを浮かべたアフテプが腕を撫で、髪の毛を解く。
「何の参考にもならないだろうけど、私が騎士様の立場ならどんな事実が待ち受けていようと知る事を望むわ」
そして備え付けのシャンプーボトルの説明文を読み、手の平にシャンプーを取って念入りに泡立て始めた。
「僕がフリットさんの立場なら……」
アフテプが語るように立場を変えて考えてみる。だが上手くイメージが膨らまない。
似たような経験をした事はある。何度も何度も仲間が捕食されて居なくなった。
フリットにとってのドルテのように、無事なのか亡くなっているのか分からない仲間だって大勢いる。会えなくなった彼らの事を想えばフリットの気持ちも分かる筈だ。
分かる筈なのだが、何故か自分自身の事を第三者目線で見てしまう。当事者なのに。
知りたくないのではなく、知るべきではないと思ってしまう。
「答え、出ない?」
結論の出ない自問に苦しみそうになっているとアフテプが僕に声をかけた。
「うん……。さっぱり分からなくなってしまった」
素直に答えると彼女はこちらを見ないまま言葉を続けた。
「知人の死を多く経験しているものね。恐らく貴方は死者の側に共感しているんじゃないかしら。今回の件で言うとドルテに」
「え?」
「騎士様自身の心を心配して真実を伏せるという選択をしたのでしょう」
「う、うん」
「ほら、きっとそうよ。貴方自身が生きている以上死者の代弁とまではいかないけど、きっと死者の意思を汲もうとしているんじゃないかしら」
唖然と話を聞いていると彼女は風呂の栓を抜き、頭髪の泡を流し始めた。
「まあ実際にドルテがどう思うかなんて正確には分からないけどね。でもノカのその選択は間違いではないと思う。さっき言った私の意見だって絶対的に正しい訳でもないし」
嵩が減ってゆく湯に泡が浮かぶ。
「じゃあ一体どうするのが正しいんだろう」
「各々の価値観の問題ね。きっと答えとか正しさとかが在ってはいけない問題なのだと思うわ。 ……ドルテについて騎士様と話したのは貴方だから、亡くなった事を伝えるかどうかの選択は貴方に委ねるわね」
「う、うーん」
「重ねて言うけど、私はどちらも間違いではないと思うわよ」
「うん……」
排水溝へと流れる水を眺めながら思いを馳せる。
結局、アフテプの入浴が終わるまでに答えが出てこなかった。
髪の毛を乾かし終えて寝巻に身を包んだ彼女は昨日と同じようにベッドへと座り込んだ。
「ふう。ところで貴方が騎士様と話した事ってさっき聞いた事で全部?」
「いや、他にもう一つ」
フリットと話した事は他にもある。
ドルテが攻撃を受けた件の真相に関わる話だ。
「フリットさんが言うには、"蒼海の魔女の噂"を吹聴した旅人の少年が居たらしいんだ」
「……」
アフテプが首を傾げる。眉をひそめる表情からして彼女もこの件については気になるようだ。
「意味合いとしては『蒼海の魔女が子供を攫いに来る』みたいな感じだったらしい。それを聞いた村人たちによってドルテさんが攻撃されたって」
「実際に蒼海の魔女という言葉を使ったって事?」
「うん」
正直、実際に話を聞いた僕でも信じ難い話だ。
もし事実であれば──
「その"少年"が元人魚である可能性が高いって事ね」
「そう」
「なるほど。 ……なるほどね」
情報を噛みしめるように数回頷いたアフテプがベッドへ身を倒す。
そのままモゾモゾとベッドの中心へ移動して照明を操作する魔道具を手に取り、昨日と同様に僕を水ごと桶に放り込んだ。
「とりあえずこの件はマヨちゃんに報告するべきかもね。探すにしても今は手掛かりが無いから」
「まあ、そうだね。モヤモヤするけど」
「ちゃんと相談すれば何かしら手掛かりが見えて来るでしょ。それまではあまり悩み過ぎない方が良いわ。私はもう寝るわね、お休み」
「うーん、おやすみ」
部屋の照明が落とされた。
アフテプの言う通り手掛かりの無い現状においてああだこうだと犯人に関する事を悩むのは良くない。というより意味が無い。それより先に僕はフリットにドルテの事を伝えるかどうかを考えておいた方が良いだろう。
アフテプの意見としては『諸々の覚悟を決めた上でドルテの情報を追っていたフリットには真実を話すべき』という物だった。
対する僕の意見は、『やはり彼の希望を打ち砕いてしまいそうな気がするから話せない』。
だが、本当にそれで良いのだろうか。
「……アフテプ、もう寝た?」
「ええ、もう寝たわよ。早起きしないといけないんだから」
「うーん、分かった」
明日以降も僕がドルテの死を秘匿したままで別れてしまった場合、フリットはこの先も真相に触れる事が叶わずに生きてゆく事になる。勿論他の人魚に出会えれば知る事が出来るかもしれないが、可能性が高いとは言えない上にいつになるのかも分からない。
騎士という危険な仕事もこなす職に就いている以上、次の機会が巡ってくる前に死んでしまう可能性だってあるのだ。
本当にそれで良いのだろうか。
真実を話せば、ある意味で彼の最後の希望を壊す事になる。
真実を隠せば、それはそれで最悪な結末に向かう可能性がある。
フリットはどちらが幸せなのだろう。
ドルテならどちらを望むのだろう。
「……」
結局、また僕は答えを出せずに朝日を拝んだ。
遠くの空が金に光り、太陽が徐々に姿を見せる。
水中から見る太陽は常に揺れていたが、陸から見る太陽は大人しい。ずっと同じ形のままゆっくりと時間をかけて少しづつ動いている。
水中と陸の物の見え方の違いに趣を感じながらアフテプの様子を確認すると、彼女は未だ心地よさそうに寝息を立てていた。
「アフテプ」
目を覚ます気配の無いアフテプへと声をかける。案の定返事は返ってこなかった。
「アフテプ! 起きて!」
今日は早めにフリットと合流する事になっている。
彼はこちらのペースで構わないと言っていたが待たせるのは忍びない。それに今日中に目的を達成して早い所彼を解放しなければならない。
「あーあーあー! 起きてーアフテプー!!」
仕事として僕達の案内をしているとは言っても、裏を返せばそれに取り掛かっている間は他の仕事が出来ない。騎士団がどういうシステムで運営されているのかは知らないが、早く済ませられるならそうするのが理想的だろう。
「んん…… 何よ、もう……」
「起きたね。支度して集合場所に行こう」
「……」
アフテプが沈黙する。そして微かな寝息が聞こえたかと思ったら、彼女は急に身を起こして毛布を跳ね除けた。
「そうだ。待ち合わせ、待ち合わせだから…… カブトムシ、を…… カブトムシが…… ふう」
「起きて!!」
「っ! あああ…… 起きた、起きたわよ…… はあ」
ベッドから起きてゆらゆらとクローゼットの前まで移動した彼女は、タオルを取り出しながら魔法で空中に水を作り出し、そこへ顔を突っ込んだ。
洗顔のつもりなのだろうか。ブクブクと息を吐きながら顔を擦り、そして苦しそうに水から離れた。
「ありがとうね、ノカ。起こしてくれなかったら遅刻していたかも」
タオルで顔を拭いながらこちらを見る。仕草からしてまだ眠気は残っているようだが一応目は覚めたようだ。
「と言っても結構ギリギリじゃない? 日が昇ってから何分か経ってるし、今から準備して向かうなら少し待たせてしまうかも」
「大丈夫よ。集合場所の広場はもう頭に入っているから魔法で移動できるわ」
「そう言えばそんなのあったっけ。王家の魔法は便利だなあ」
「平民になる前に忘れておいた方が良いかしらね」
明らかに本心でない軽口を叩いたアフテプが急いで歯磨きと着替えを済ませて魔法陣を出現させた。
「よし、行くわよノカ」
「待って、チェックアウトしないと」
「そうだった」
蹴り飛ばした毛布を整えたアフテプがドアを開けて廊下へ出る。
睡眠不足ながらもきちんと切り替えようとする彼女を見て、昨日の不安は少しだけ薄れた。
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