6.ある魔女と旅人の話

 公園の付近には様々な屋台が並んでいた。

 子供たちの遊び場であると同時に食事をとれる場所でもあるようで、芝生やベンチには屋台で買った物と弁当を合わせて持ち寄って遅めの朝食か、あるいは早めの昼食をとるグループが何組か見られた。


「林があるわね。ここが例の?」


「うん。丁度セミの声が聞こえているね」


「沢山居そうねえ、眩暈がする程の音だわ」


 食べ物の屋台に一切の興味を示さないアフテプがフリットに両手を差し出す。

 その意図を理解したフリットは虫捕りの道具を取り出してアフテプに手渡した。


「食事はしないのかい?」


「ええ。食べると身体が重くなって動きにくくなりそうだから。お目当ての虫を捕ってからでいいわ」


「そっか。ボクも手伝う?」


「ありがたいのだけれど、色々と事情があって私だけでやりたいの。ごめんなさいね」


 そう言ったアフテプは虫かごを肩に掛けて林へ向かって走り出した。


「ここで待ってるから! あまり遠くへ行かないでねー!!」


「わかったーー!!」


 大声で最後のやり取りを終えたフリットは周囲のベンチを見回し始めた。座れそうな場所を探しているのだろう。

 そして改めて僕の方を向き、水の玉の表面に触れて悩むように顎に手を当てた。


「アフテプちゃんが居ないってなると、この水は暫くボクが管理しないとだよね…… ちょっと動かしてみるね」


「あー、はい」


 早くも二人きりの気まずさを感じながらフリットの所作に注意を向ける。今の所これと言って不審な気配は感じない。手元に発生している魔法陣にも攻撃的な単語は無い。ただ物を動かすだけの魔法だろう。


「水を動かすのは初めてなんだよな…… 上手くできるかな」


 それにしても、警戒した方が良いという共通の結論を出した筈なのだが何故か僕一人だけ置いて行かれてしまった。何か意図があっての行動なのだろうか。

 万が一が起こった場合僕では何も出来ない。文字通り煮るなり焼くなり好き勝手されてしまうだろう。


「お、動いた。このまま座れる所まで行くね」


「はい」


 繊細な手つきでフリットが水を動かす。恐る恐るベンチの付近へと運んだ彼は少し気疲れした様子で腰を下ろした。


「ふう。大丈夫かい? 水圧とか水質とか、僕が触ったせいで変わったりしてない?」


「いえ、全然大丈夫です。ありがとうございます」


「そっか、よかった」


 ホッとした表情を浮かべたフリットが腰元に掛けていた袋の一つを手に取った。


「お腹空いてない? 実は昨日釣具屋で餌用のイカを買っておいたんだ」


 袋の口が広げられる。中には小さくカットされたイカを詰めた瓶が入っていた。

 正直、警戒だとか怪しいとかを抜きにしても彼の明るく距離を詰めて来る感じは少し苦手だ。岩場の影で心安らぐような魚からすると彼は眩しすぎる。

 そんな卑屈精神に自己嫌悪を抱いてしまう点においてもこのような相手は苦手だ。これはどちらかと言うと僕自身の問題なのだが。


「……いただきます」


 しかしながら、突き放すばかりではいつまで経っても"彼が共に居る"という環境には適応できない。

 半ばやけくそでフリットの言葉に頷くと、彼は嬉しそうに細切れのイカを一つ摘まんだ。


「じゃあいくよ、はい」


 上から水の中へとイカが落とされる。細かな水の流動に乗って左右へ揺れながら落ちてくるそれを頬張り飲み込むとフリットは瓶の中のイカをまとめて手に出した。そして僕は次々と放り込まれるイカを一心不乱に食べた。

 やがて良い感じに腹が満たされた頃、ストップを伝えようと彼の手を見ると丁度フリットの手に出されていたイカが無くなっていた。


「まだあるけど、食べるかい?」


「いえ、満腹です。ごちそうさまでした」


「そっか。またお腹が空いたら言ってね」


「はい」


 朝から何も食べていなかったせいでつい夢中になってしまった。

 アフテプが帰って来ていないか周囲を見渡すと、いつの間にか二人の子供が集まって僕を見つめている事に気が付いた。男の子と女の子だ。

 二人とも沈黙したままこちらを凝視している。傍から見れば僕らは宙に浮く魚と魚に話しかけながら餌やりをする騎士の男性だ。そんな光景、否応なしにも興味を惹いてしまうだろう。


「──おや、おはよう!」


 瓶を袋に仕舞い顔を上げたフリットが笑顔を浮かべながら挨拶をした。彼も今子供たちの存在に気が付いたようだ


「おはようございまあす!」


「おはよう!」


「お、元気一杯の良い挨拶だね!」


 純粋な子供達と明るいお兄さんのフリット。先程の卑屈精神に更なる自己嫌悪が向いてしまう。

 余計な考え事を振り払おうとエラをパクパクさせていると、子供達が僕の方を向いた。


「この子、お兄さんのペット?」


「ううん、お友達だよ」


「へー? お名前は?」


「この子の名前はノカくん!」


「かわいー」


「うちのペットよりでけー!」


 それぞれが感想を述べながら僕の姿をじろじろと見つめる。

 無邪気さ故に尾びれを掴まれたりしないかとハラハラしていたが、そこはフリットも注意してくれていたようでギリギリ子供達の手が届かない高さまで水を持ち上げてくれた。


「お兄さんはお魚とお喋りできるの?」


「さっき話してたよな!」


 一通り観察して好奇心を満たした子供達が再びフリットへと話しかける。

 やはり餌やりをしっかりと見られていたようだ。一人で喋る姿に言及されるのは流石のフリットも返答に困るのではないかと恐る恐る目を向けると、予想に反して彼は明るい笑顔を浮かべてひそひそと秘密事を話すように子供たちへと囁いた。


「──実はね、ボクはお魚さんの言葉が分かるんだ」


「なんで分かるの?」


「それはね──」


「ルディ! セナ! 帰るよー!!」


 フリットが質問に答えようとしたその瞬間、遠くから女性の声が聞こえた。それに反応するように背中を伸ばした二人はきょろきょろと辺りを見回し、声の主を見つけ出した。


「母ちゃんに呼ばれちゃった。またね、騎士様!」


「またねー!」


 途切れた話の先を気にする事も無く、二人は走り去って行った。遠くで頭を下げる母親に会釈を返したフリットは名残惜しそうな笑顔でアフテプの居る林へと視線を向けた。


「元気な子達だったね」


「そうですね…… 人間の子供、初めて見ました」


「あはは、確かに海で暮らしていたら見る機会は無さそうだね」


 フリットの魔法によって持ち上げられていた水が元の高さに戻ってゆく。

 彼との距離感が近くなってゆくのと共に、僕は二人の子供からの質問に乗っかって少し踏み込む事を試みた。


「魚と話せる理由…… フリットさんは人魚の知り合いが居るって言っていましたよね」


 言葉を発してから緊張が身体を走り抜けた。アフテプが居る時にこの話をするべきだったかもしれない。


「うん。僕が子供の頃知り合った人なんだ。今は何処に居るのか分からないけどね」


 少しの後悔を押しのけるように"人魚の知り合い"をテーマとする会話が始まってしまった。


「……馬鹿にする人も居るけど全部本当の事なんだ。今でも鮮明に思い出せる。村の近くの、岩場に囲まれた狭い砂浜で出会った筈なんだ」


「その方の名前って憶えてますか? もしかしたら僕の知っている人かもしれない」


「……」


 思いを馳せるような笑顔の中に少しの悲哀が見えた。

 その心情がどんな出来事に起因しているのか。情報不足の想像を膨らませるとフリットは風の音と共に答えた。


「実は知らないんだ。本当の名前は聞けなかった」


「あ、そうなんだ。ではフリットさんは彼女の事を何と呼んでいたんです?」


「……大抵は貴女と呼んでいた」


「では他の人が何と呼んでいたかは分かりますか?」


「"魔女"と呼ばれていた」


 そう語ったフリットは苦い表情を浮かべた。


「魔女、ですか……」


 フリットが知り合った人魚を、他の人は魔女と呼んでいた。

 その情報から真っ先に連想するのはやはり"蒼海の魔女"、つまりドルテだ。

 しかしどういう事だろう。蒼海の魔女は海底王国内での役職の名である。陸の者がその概念を知る事はまず無い筈だ。

 勿論ドルテ本人がそう名乗った可能性はあるが、彼女の死に関連する話題として『"魔女"という言葉が陸ではあまり良くない印象を持っている』という話を聞いた事がある。陸に詳しい彼女がそういった認識の違いを知らないとは思えない。そしてあえて魔女を名乗るとは考えにくい。メリットが無い。


「……ご本人がそう名乗ったんですか?」


 考えるよりも訊けばいいと思い直し尋ねる。


「いや、彼女は自分を魔女だと言った事は無かった」


 対するフリットは記憶を振り返る素振りすらも見せずに断言した。


「……では何故魔女という呼び方に?」


 話が見えてこない。ドルテは魔女を名乗らなかったのに、村人たちは彼女の事を魔女と呼んだ。

 ではその呼称の由来は何処にあるのか。


「気を悪くしたら申し訳無いんだけど…… 僕が当時住んでいた村では異種族はあまり良いイメージを持たれていなかったんだ」


「はい」


「そこへ火種を投下するように、彼女を"蒼海の魔女"と呼び噂を流した旅人の少年が居た。恐らくはそこから広まっ──」


「……なんだって?」


 驚きのあまり時間差で変に深刻な声が出た。その声に目を丸くしたフリットが言葉を止めてこちらを見る。


「あ、すみません。今のは怒ったんじゃなくて驚いたんです」


「表情から分かったから心配しないで。 ……驚いた訳を聞いてもいいかい?」


「は、はい。蒼海の魔女という呼び名…… というかそういう役職が僕の故郷、海底王国に実際に存在しているんです」


「……ふむ」


 フリットが違和感に気付いたような顔をしながら眉をひそめた。記憶の中に引っかかる出来事があるのだろう。

 僕もそうだ。ドルテが"とある人魚"の人間化の儀式を行うために陸へ上がった。そして同じ時期に蒼海の魔女の事を語る旅人が村に現れた。


「じゃああの旅人は……」


 フリットが険しい表情で呟く。ドルテが人間から攻撃を受けた原因が蒼海の魔女という呼び名にあるのだとしたら、僕の中であまり良くないストーリーが出来上がってしまう。


「……あの時村に来た旅人、第一声が『蒼海の魔女が来るからしばらく匿ってくれ』って内容だったらしい。又聞きした話だけど」


「……」


 普通の人間が第一声で人魚を"蒼海の魔女"と形容するとは考えにくい。匿ってくれと頼むような状況であれば、普通に"人魚が来る"と言う筈だ。脳裏にチラついていた認めたくないストーリーがより色味を増してきた。

 旅人の少年の正体はドルテが最後に人間化を施した人魚である可能性が高い。そしてその少年が吹聴した噂によってドルテは悪者に仕立て上げられ殺された。全くもって動機が謎だが、筋書きとしてはこれが一番しっくりきてしまう。


「その少年は蒼海の魔女についてどのように言っていたんです?」


「『子供を攫いに来る』と言っていた。実際にはそんな事しなかったけどね」


「……」


 明確な悪意を感じる。恐らくはドルテを殺害する事で試練をなあなあにして簡単に人間化を済ませるつもりだったのだろう。ドルテが課す試練は総じて人間との取引をする必要があった。人によっては難しい内容であると言える。


「その噂のせいで、貴方が知り合った人魚は村人たちから恐れられるようになったという事ですね」


「うん」


「その後、人魚はどうなったんですか?」


「……村人達に処刑されそうになったんだ」


 珍しく険しい表情を浮かべたフリットが拳を固く握る。


「助けようとしたんだけど、途中でボクもやられて逃がす事しか出来なかった。その結果彼女は崖から海へ飛び込む寸前に矢を受けた。 ……その後どうなったかは分からない」


「……」


「海へ落ちる彼女を見ている事しかできなったんだ。ずっと、ずっと後悔している。せめてもう少し足止めができていれば……」


 深く思い悩むように背を丸めて地面を見たフリットは、意を決した表情で僕の方を向いた。


「ノカくん、なにか心当たりがあるんじゃないか?」


「え?」


 そして言葉を選ぶように一息挟んだ彼は更に言葉を続けた。


「職業柄、僕の事を警戒する気配は分かるんだ。君もそうだった」


「あ、あー。すみません」


「不可抗力だから仕方ないよ。ただ、もしかすると"人間に攻撃された人魚の話"を知っているから、僕みたいに距離を詰めて来る人間を警戒していたんじゃないかと思って」


 その通りだ。ドルテの死という出来事が無ければ僕はここまで警戒していなかっただろう。


「……フリットさんの言う通り、思い当たる人物が一人だけいます。でも直接の知人ではないので僕が知っているのは彼女が怪我をしたという話だけです」


 驚くほどすんなりと嘘が出た。そんな自分に失望した。


「ん? "亡くなった"じゃなくて"怪我をした"って話が広まっているんだね」


「え、は、はい」


「じゃあ彼女は生きて帰る事が出来たって事かな」


「……恐らくは」


 確かに、ドルテは生きた状態で海底王国へ帰還する事には成功していた。その後亡くなってしまったが。

 僕の気持ちとは裏腹に、フリットは僕の言葉を聞いて少しだけ安心したように頷いた。


「そっか…… 名前を聞いてもいいかい? もし知っていれば教えてほしい」


「ドルテ・メルクーシア。恐らくその人が貴方の記憶にある人魚だと思います」


 そう伝えると、フリットは暫く沈黙して空を見上げた。


「怪我をしたという話が広まった後、彼女の様態がどうなったかは聞いているかい?」


「……すみません、あまり詳しい話は存じ上げていないもので」


 更に嘘を重ねた。本当の事など言える訳が無い。

 本当の事を伝えると彼の何かがここで終わってしまいそうな気がする。


「そっか。 ……少しだけ察してはいるけどね。ありがとう、ノカくん」


 僕の態度から読み取ったのか、それともずっと前から諦めのような感情を抱えていたのか。

 どちらにしても、"察している"と語る彼の笑顔を見て僕は心臓を締め付けられるような気分になった。


「……」


 乃愛と輝樹の例に漏れず、やはり僕は仲の良い二人が死によって分かたれる話が嫌いだ。よもや僕がその片割れの最期を秘匿する立場になるとは。

 今からでも真実を伝えるべきだろうか。それともこのまま知らないフリを続けるべきか。一体どちらがフリットにとって良い選択なのだろう。知らぬ間に仲間が食われて死んでいた、なんて事が日常茶飯事だった僕にはもう分からなくなってしまった。


「魔女の事を広めた少年は…… その後どこへ?」


「旅へ出たらしい。僕も村を出る前に探したけど見つけられなかった」


「うーん…… じゃあ行先は分からず終いなんですね」


「そうだね」


 結局、それ以降ドルテの話は出来ずに夕方になった。

 一方でアフテプの方の成果はと言うと──


「あ、居た。見てノカ! 二匹だけ捕れたわ!」


 セミを二匹捕って戻って来た。カブトムシの姿はない。


「おお、うわー。 ……え? なんで凍ってるの?」


「鮮度が落ちないように私が凍らせたのよ」


「鮮度? まさか食べる為に捕ったのかい?」


「私は食べないわよ、こんな物。知り合いが食べたがっているの」


 『どちらにしろ食用じゃないか』とでも思っていそうなフリットが困惑した眼差しで籠を見つめる。

 セミの表面に細かな結露が出現し始めた頃、彼はとんでもない物を見たような表情で目を逸らした。


「セミだけ?」


「ええ。結構探し回ったんだけどこのセミ二匹しか見つけられなかったわ。思い通りにはいかないわね」


 篭の中をカラカラと滑るセミを観察しながらアフテプがため息を漏らす。


「確か君達はカブトムシも探していたんだよね?」


「ええ。でも今回は姿すら見なかったわ」


「うーん、そうか」


 林の方を見ながらフリットが顎に手を当てる。考えるように数秒夕焼けを見たフリットは一つの結論が出た様子で僕達の方を見た。


「セミ以外に欲しい虫はカブトムシだけかい?」


「ええ」


「なら早朝がオススメだよ。今日はもう休んで明日早起きするのがいいかも」


 早起きと聞いたアフテプが眉を動かす。そして自信なさげな表情で小さくため息をついた。


「はあ、早朝…… そうね、じゃあ帰ろうかしら。宿屋までお願いできる?」


「もちろん。送っていくよ」


「助かるわ。帰り道忘れちゃってたから」


 アフテプは早起きが苦手だ。

 明日への不安を胸に、僕はアフテプの魔法に身を委ねて帰路に就いた。

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