3.紡ぎ繋げる為のケジメ
「──いかがでしたか?」
目を覚ました。意識を失っていたとは思えない程に頭がすっきりしている。気分は淀んでいるが。
何となく辺りを見回すとマヨの足元に透明な破片が散らばっている事に気が付いた。水晶玉が割れたのだろう。
「……何とも言えません。何も言えません…… どうしてあんな……」
僕はこの手の話が苦手だ。
愛し合う二人が病や争いなどによってどうにも出来ずに引き裂かれる。現実には『末永く幸せに生きてめでたしめでたし』で終われない事ばかりである事はよく知っている。だが、どうしても心には重苦しい物が残ってしまう。
「お二人の前世はあの男女のようですね」
「僕達が、あの二人……? アフテプも同じものを見たの? 輝樹さんと乃愛さんの……」
「……ええ。同じ人の人生を見たわ」
神妙な面持ちで頷いたアフテプがマヨを見つめる。
「マヨちゃん、どっちがどっち? 私が乃愛?」
「いいえ、アフテプ様の前世は輝樹様です。ノカ様の前世が乃愛様です」
「ふうん…… イメージに合わないわね」
アフテプがちらりとこちらを見る。
そして数秒凝視した末に、首を横に振った。
「……駄目ね。前世の二人には悪いけど、私はノカを"そういう風"には見れないわ」
「何の話?」
「恋人にはなれないって話よ。あの二人、来世という物が本当にあると知ったらきっと『また結ばれたい』って思うんじゃないかと私は感じたの」
「ああー、そうだろうね」
「でもやっぱり…… うーん…… ノカに対しても失礼な事を言ってしまうけど、やっぱり"そう"なるのは無理ね」
悩んだ末に結論を出したアフテプが僕の頭を撫でる。
「生まれた頃から一緒だもんね。なんか関係性がもう固定化されてるような感じ」
「まさにそれよ。歳を重ねてから出会っていたらまた違ったのかもしれないわね」
互いの顔を見ながら考えていると、不意にアフテプが上を見上げた。
遥か遠くに見える水面へ向けた視線を可視化するように昇ってゆく泡が見えなくなった頃、彼女は再びマヨの方を向いた。
「マヨちゃん」
「はい?」
「今回の継承の儀式、あと何人残っているのかしら」
アフテプが背後を確認しながら尋ねる。
「お二人で最後ですよ」
対するマヨは水晶玉の破片を触手で集めながら答えた。
「じゃあこの後お時間を頂いても?」
「ええ、構いませんよ。どのようなご用件で?」
「脚を得て陸へ出たいの。その儀式をお願いするわ」
アフテプがきっぱりと告げるとマヨは指を合わせて考えるように首を傾げた。
「以前のような安全は保証できませんが、よろしいのですか?」
「……ドルテの件ね」
「はい」
ドルテの死亡以降、新たに人間になった人魚は居ない。故に今現在人魚が陸に出るとどのような危険があるのかが分からない。
厳密に言えば調査隊や陸から様々な物を仕入れて来る人魚達はごく普通に陸と海を行き来しているが、彼らが"自らの素性を隠すプロである"という事を考えると『陸地は人魚にとって危険か否か』という判断材料には出来ない。
ドルテが攻撃された理由すらも不明な現状において、陸へ出る事はそれなりの危険が伴う。
「危険そうだったらすぐに逃げ帰るから大丈夫よ」
「承りました」
「よし。ノカ、陸へ出るわよ」
「は?」
流れるように進む話に突然巻き込まれた。訳が分からず雑になってしまった返事をするとアフテプは両手で僕の身体を優しく押し上げ、自らの顔の高さまで僕を移動させた。
「乃愛は街を一望できる公園に行きたいと言っていたわ」
「え? うん」
「でもそれは叶わずに死んでしまった」
「そうだね」
少しだけ悲しそうな表情を浮かべたアフテプが自らの胸に手を当てる。
「だから、あの二人の生まれ変わりである私達がその願いを叶えるの」
「……前世をなぞるのは嫌なんじゃなかったの?」
「そういうのじゃないわ。言うなれば弔いかしら」
アフテプが少しだけ考えるように視線を下に向ける。
「記憶も愛も、全てがリセットされた状態の魂を引き継いで生きる。そうする上で必要なケジメと言うか…… 前世の無念を晴らしてから私達の人生を始めないと、何だか彼らが浮かばれないような気がするのよ」
「……」
僕はアフテプの言う弔いが必ずしも必要な事だとは思わない。彼女の言葉を借りる訳では無いが、今の命と意思は今の自分の物だ。実際、"ちっぽけなゴマサバのノカ"の感情としては陸の公園などに興味は無い。だから僕が僕の人生を送る上では陸に上がらなくとも何ら問題は無いのである。
「……少し、分かるな」
しかしながら、この魂は乃愛に繋がっている。あるいは乃愛"から"繋がっている。
それは僕の価値観で言うと"乃愛が記憶を失って
そう思うと、
この先の全てを"彼女の為の行動"にするのは正直言って嫌だが、それでも一番大きいであろう未練を少しでも埋められるような何かがこの世界にあるのであれば、探してみたいと思った。
「マヨの言うように安全は保証できないけどついて来てくれるかしら。 ……ついて来てほしいわ」
「分かった。行ってみる」
「ではノカさんも一緒に人間化の儀式を受けられるという事で──」
「あ、いえ…… 僕は魚のままで居たいです」
だがそれとこれとは話は別だ。僕は今の所、人間になる事を望んでいない。
これと言って特別な理由があって人間にならない訳では無いが、強いて言えば"人間になる理由が無い"という理由がある。
"人間になれるけど、そうする理由が無いからならない"という状態と、"何となく人間になった結果魚に戻れなくなった"という状態は大きく違う。
申し訳なさは勿論あるが、ここだけは譲れない。
「ごめんね、これから陸に出るって話をしていたのに」
「姿形が変わるものね。元から強制するつもりなんて無かったから気にしなくて良いのよ」
「ではノカさんはどのようにして陸へ出るつもりなのですか?」
「王家にそういう魔法が伝わってたよね、アフテプ」
大昔、地殻変動によって我々の住んでいる海域が陸に閉じ込められるという出来事が起こった、その際に当時の王が自らの下半身を人間と同様の物に変え、そして巨大な水の玉を作り出す魔法によって民を外の海へと導いた。
脈々と受け継がれるその魔法は例外なくアフテプにも受け継がれており、『血が薄まった今でも全国民を包み込める程の魔法を使える』と聞いている。アフテプ本人から。
「水の玉を作り出す魔法ね。私も今まさに考えていたわ」
「……王家にはそんな魔法があるのですね」
「"大移住"の時に使った魔法らしいわよ。王が脚を得て、そしてこの国の民全員を水の玉に乗せて大陸を横断したって。貴方達蒼海の魔女が受け継いでいる"脚を与える魔法"もその時に作られたの」
「ほへー、まだ学校で習っていない所です。かっこいい歴史ですね」
「ふふ。私達が広い海で暮らせるのは大移住が成功したおかげなのよ」
マヨの年相応の姿に微笑んだアフテプが頭を撫でる。
「八歳ならもうそろそろ習う頃かしらね。とにかくそういう魔法があるからノカの件については心配無用って訳。改良が加えられて当時みたいな酸欠事故も起こらないし」
「酸欠事故? あ、あれ? もしかして黒歴史?」
「部分的には、ね。是も非もまるっと伝えてこその歴史よ。貴女も昔の失敗を沢山学びなさい」
「……わかりました!」
笑顔で頷くマヨを見たアフテプは満足そうに微笑んだ。
「脱線しちゃったわね。人間化の儀式、そろそろ始めましょうか」
「はい。では人間化、訓練、そして試練の提示という流れで進めて参ります。よろしくお願いいたします」
「ええ、よろしくお願いするわね」
少し距離を取って儀式の様子を眺める。
マヨが深く祈るように手を合わせると立体的な魔法陣がアフテプを包み込み、その内側の水が徐々に空気へと置き換わっていった。
「……流石魔女ね。ここまで大きな空気を作り出せるなんて」
水の嵩がどんどん下がってゆく。
危険な物を見ているような気がして少しだけ心配になってきた。
「ご存知の通り、水が無くなったら暫く呼吸ができなくなります。すぐに人間化の魔法を掛けますので取り乱さないようお願いしますね」
「分かったわ」
魔法陣の中の水が完全に無くなった。
動く事も呼吸も出来なくなったアフテプは重力に対して成す術もなく地に手をつき、ただ耐えるように瞳を閉じていた。
それでも弱々しさは見えない。腕のみで上半身を支えて決して地に伏せない姿からは確たるプライドがある事を証明するような力強さを感じた。
取り乱すなと言う指示は僕にも向けられていたのだろう。そう思って心配な気持ちを抑えていると、アフテプの全身が眩い光に包まれた。
「いきます!」
マヨが掛け声と共に両手を突き出すとアフテプを包む光が散り、完全に人間と同じ形の姿が現れた。
衣服も今までと比べて大きな変化を遂げていた。フリルの飾りを施された丈の長い可愛らしい服が肩から膝下までを隠すように包んでいる。あれでは抵抗が大きくて水中での行動には適さないだろう。
「アフテプさん、もう呼吸ができますよ。普段やっている要領で吸い込んでみて下さい!」
「ふおおおぉーっ」
「あ、あ、吸いすぎ! 肺での呼吸は吸った後吐き出す必要があるんです! 吸った物をまた口から吐いて下さい!」
「ほハァッ…… 胸の辺りが破裂するかと思ったわ」
水に濡れた髪の毛を手で横に流すと、アフテプは改めて深く空気を吸い込んだ。
「ふう。それにしても空気に触れるとこんな感じになるのね。髪の毛も服もベッタリと纏わりついて気持ち悪いわ。なんとかならないかしら」
「ああ、それは空気じゃなくて水のせいです。身体や服に水が付いた状態で空気中に出るとそうなるんですよ」
そう言ったマヨは新たな魔法を使ってアフテプの身体から水分を取り除いた。
「乾燥の魔法を使いました。いかがでしょう?」
「あら、ありがとう。少しだけ体が軽くなったような気がするわ」
アフテプが座ったままの姿勢で脚や腕を動かす。
「衣服に吸われていた水が無くなりましたからね。その分軽くなったのでしょう」
「……結構重かったのね、水って。座学よりも体験した方がより強く実感できるわ」
「海底に住んでいる我々は知らぬ間にこの水の重さを全身で受けている。でしたっけ?」
「そう、水圧ね。魔女の仕事も忙しいでしょうに、しっかり勉強しているのね」
会話の息継ぎによって呼吸のリズムを掴んだらしいアフテプは、先ほどよりも自然に呼吸ができるようになっていた。
それでもやはり肺呼吸への慣れが浅いせいか、少しだけ苦しそうに大きな呼吸を合間に挟んでいた。
「……肺呼吸ってどんな感じ? エラ呼吸と比べてどう?」
好奇心から来る疑問を投げかけると彼女は更に三度深く呼吸をした。
「なんと言うか、軽いわ。スカスカしてる。それに吸った空気をそのまま吐くなんて、これが本当に呼吸になっているのかどうか少し不安になるわね」
話した後も続けて大きく吸って吐いてを繰り返す。
言葉とは裏腹にきちんと呼吸が出来ているようで顔色などには特に異常は無い。
「エラから出すか口や鼻から吐き出すかの違いですよ。肺呼吸は入り口と出口が共用なだけでやっている事はほぼ同じです」
「ふうん、そう聞くと納得できるわね」
「私も元は体表呼吸でしたのでその違和感、少し分かります」
マヨが自らの身体を人間化させて空気の中へと入ってゆく。
へたり込むように座っているアフテプの正面に立つと彼女の脚を手で動かして姿勢を作り、最後に手を取った。
「さあ、次は訓練です。立ち上がってみましょう」
「分かったわ。よいしょ」
マヨの助力もあって難なく立ち上がったアフテプは少しだけ揺れながらも立ち上がった姿勢を維持できている。
どのくらい難しいのか分からないが、ちゃんと出来ているという事に少しだけ感動した。
「手を放してみますね。水中での姿勢の制御とは何もかもが違いますから、先ずはただ立って感覚を掴みましょう」
「転びそうになったら支えて頂戴ね」
「はい、勿論」
そのようにして始まった訓練を、僕は何となくずっと見学していた。
もしかすると、いつか僕もやる時が来るかもしれない。そう思いながら無い脚を動かすように尾びれを振った。
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