第4話 選択

 例えば誰かと仲良くなりたいとしよう。

 人はそれを目標とし、叶えるために労力を費やす。時間や金を使ってでも、本当にそれを望むなら全てを投げ打ってでも手に入れようとするだろう。それは誰だってすること。万人に当てはまる共通事項だ。


 例えば何かを手に入れたいとしよう。

 どれだけ無欲な人間でも、一度は欲するであろうその望みを果たすため、人は努力を惜しまない。人が何か行動を起こすきっかけは、結局のところそこに集約されるのだから。

 人は欲望こそに忠実に、それを叶えるためなら手段だって厭わない。

 だから文明は発達する。だから便利になっていく。今ある技術は、人の欲望の産物で、欲望の塊だ。楽に移動したい、遠くの人間と繋がりたい。共通の理想は優先的に形作られ、世界に広まっていく。


 ただそれは、あくまでも人々の根底で願われていること。ほとんどがそうなって欲しいと考え願うものだ。

 個人的な願い。誰にでも該当する望みは、当然それを優先して達せられ、ただ一人の願望は何時の時代も自分自身の力で叶えるしかない。だから人間は前へと進む。少しでも欲を満たすため。ほんの僅かでも安心するため、誰もが人生を賭して欲望に駆られる。

 それはきっと、これからも変わらない。そして、悪いことではないはずだ。

 人は願望無しでは行動出来ないのだから。


「最近、殺傷事件が横行しているわね」


 一人の少女が、映し出された映像を見てそんな感想を漏らす。

 病的なほど白い肌に、透き通るように黒い髪。この店の店主、透瀬水無美はテーブルに置かれたメモ帳に視線を落とし、再びテレビに目を向ける。


「どうやら警察は犯人の特定も出来ておらず、加えてそれまでの事件と関連性を持たせられないと言い張っているみたいだけれど」

「えーっと、やっぱりそれって……」

「まあ十中八九間違いないわね。数日前にあなたが売ったモノ、『証左の噴霧器』と思ってもいいわ」


 賢護は如何にもな怪しい恰好をした男が、店を訪れたことを思い出す。

 やはり、その怪しさに間違いはなかったのだ。人で見た目を判断してはいけないとよく言うが、それ以前にその男は常人とはどこか違っていた。

 何時までもそれについて考えていても仕方ないとは思うが、それでもあの時もっと未然に防いでいればと、今のニュースを見て後悔してしまう。自分がもっと早くに行動出来ていれば、これだけ人は死ななかったかもしれない。

 隣にいる笹川瑠璃もまた後悔しているようで、傍から分かるぐらいには肩を落としている。


「あの、売らない方が良かったんでしょうか」

「……いえ、どのような結果になろうと、あなたは人の願いを叶えている。私たちにとって、それが一番大切にするべきことなの。どんな人で、どれだけ信頼に欠けていても、望みを果たすための架け橋になるべきよ。その点で言えば、あなたたちは最もこの店にとって当たり前のことをしたのだから、気に病むことは無いわ」


 淡々と言葉は紡がれるが、その内容は瑠璃たちの感情を汲み取ったものだ。

 判断は間違っていなかったと言われ、幾分落ち込んだ気が和らいだのか、瑠璃の表情に笑顔が戻る。怒られなかったことに対してではなく、純粋に褒められたことで彼女の気持ちは晴れたのだろう。普段、笑顔が絶えない瑠璃だが、何時にも増して喜んでいるように見える。


「ただ、道具を簡単に渡し、見す見す逃がしたのは駄目ね。そこは十分に反省しなければならないところよ」

「……はーい」


 やはり目前で盗まれたことは窘められたが、それでも瑠璃の幸福値が変動することはなく、適当な相槌で返している。

 そんな一連の光景を、淡海賢護は眺めていた。

 ここで働き始めて、一週間が経とうとしていた。夢幻堂、透瀬水無美、笹川瑠璃。これらのことに関して、未だ知らないことの方が圧倒的に多い。

 唯一分かる点といえば、ここ夢幻堂が願いを叶えるための場所、という点だ。

 大衆が、万人が思い描くような良い願いではない。もっと自分本位で、役に立たない、個人的な願い。

 ここは、それが果たせる場所だ。

 話に上がっていた怪しい男の件についても、その男が求めるものが願いを果たすことであるのなら、提供する側としてはそれに出来るだけ近づけさせなければならない。

 そこに善悪の判断は無い。

 誰もが求めるものだから。誰だって一度は思う、当たり前で、正しいと信じるものだから。不適合な人間はいない。

 賢護自身もまた、望みを叶えてもらった一人だった。

 他人から見れば小さなことでも、本人からすればそれは人生に関わる。

 どれだけ実現不可能な願いであっても、ここはそういった願いこそ受け入れて、叶えてくれる。

 夢幻堂こと、透瀬水無美の理念はそれだった。


「はあ、全く……。賢護君、顧客名簿を取って頂戴。名前は分からないけれど、商品がここに無いのならきちんと記しておかないとね」

「はい。えーっと……」


 棚の上にきちんと並べられている書類の中から、大学ノートを一冊取り出す。この中に今までの顧客の情報が記されているが、正直、もっとしっかり纏められる形式のものにした方がいいとは思う。


「水無美さん。これ、もう少しなんとかならないんですか。大事な顧客名簿が、大学ノートって……」

「あら、私はそういうのが好きよ。如何にも個人経営店という感じがして」

「でも、分かり難くないですか? 半年前のとか、ぱっと見られないじゃないですか」

「それはあるけれど、別にそういうことで特別困ることは無いわね。それに、きちんとした書類に纏めるとして、そもそもそれを作る道具が無いわ。この店にはテレビはあっても、パソコンは無いもの」

「まあ確かにそうですけど……」


 経済的事情に言いくるめられ、水無美に顧客名簿を渡す。

 そう一日に多くの人間が訪れるわけでもない。一週間しか働いてないが、客が来ない日だってあった。

 賢護は顧客名簿を一度、流し見した程度でしかない。それもこの店のことをよく知らない時だったので、今見れば少し理解を深められるかもしれない。


 賢護は水無美が開いたノートを、脇から覗き込む。

 ノートにはこれまでに店に訪れ、商品を購入していった人間の名前と、日付、何を購入したのか、加えて価格が記されている。それなりに隙間無く書かれているので、全体的に黒く、じっくり見なければ判別が難しい。

 やはり、これに関してはどうにかした方がいいと、ぼんやり考えていた賢護は、名簿の中にある名前を見つけた。

 水無美が現在書いているその一つ上、比較的最近訪れたその人物の名前。珍しい名前なので、同名の別人ということは有り得ない。

 賢護は思い切って尋ねる。


「あの、その黄泉路芽生って……」

「これ? そうね。確かあなたたちは学校にいる時間だったわね。歳はあなたたちと同じくらい。結構整った顔立ちで、何か世界に絶望していたわ。知り合いかしら?」

「……黄泉路芽生って、あの黄泉路さん?」


 瑠璃にも思い当たる節があったのだろう。少し沈んだ顔で、水無美の質問に被せてきた。

 賢護は瑠璃に頷いて見せ、水無美の質問に答える。


「クラスメイトです。ここ最近見ませんでしたけど、ここに来てたなんて」

「そうだったのね。……じゃあ賢護君はクラスメイト、それなら瑠璃はどうして彼女を知っているのかしら? 有名人、ということでもないのでしょう?」


 水無美の言う通り、彼女は有名人では無い。持て囃されているわけでも、憧憬の対象になっているわけでもない。

 有名人と、そう彼女を認識づける場合、枕詞として「ある意味では」、を置かなければ言い表せられないだろう。


「苛められてるんです……、他のクラスにまでそれが伝わってくるほどには、深刻に。黄泉路さんは別のクラスですけど、私のクラスでそれを知らない人なんて、ほとんどいません」


 瑠璃は言い辛そうに、そう告げた。

 黄泉路芽生は苛められている。それも些細なものではなく、大規模で、性質が悪い。見ているこちらが気分を害することばかり、されているらしい。


「直接見たことはありません。全部噂で流れてきてて……。何度も苛めの主犯格をおさえて問い質したりもしたんですけど、証拠もないから適当に流されてばかりで……」


 瑠璃が申し訳なさそうに呟いた。

 黄泉路芽生に対する苛めは、一週間ほど前から起こっていた。クラス中では話題に上がっていただろうが、生憎その時の賢護は苛めに対峙する気力もなく、その一週の間で黄泉路芽生とは一度話したきりだ。

 その後、いざ彼女と話そうとすれば、当の本人は不登校。会う機会も話す機会も得られず、久しぶりにその名を見たと思えば、客としてこの店に訪れていた。


「不遇な少女、ね。確かにその通りなのかもしれないわ。彼女、黄泉路芽生は死にたい、としきりに言っていたから」

「……っ」


 予想出来ないわけではない。苛められたり、事故によって居場所が無くなった人間は、自己の存在さえ不確かになってしまう。無気力になる人もそこから死に行き着く人だって、いるだろう。

 その中の一つの選択肢として、死は十分に予測出来たはずなのに、それでも認めたくないのか、現実を突きつけられその事実が胸を締め付ける。

 クラスメイト一人さえ、救うこともままならないのか。

 そこに追い込まれるまで、気付くことは出来たはずなのに、彼女に死を選択させてしまった。

 夢幻堂内に、悲痛を含む沈黙が流れる。冷えた空気を生み出す機械音と、遠くから耳に障る蝉の声が一層その静けさを浮き彫りにさせていた。


「彼女が、手にしたのは『死神の御守』」


 水無美の声に抑揚は無い。

 沈黙を破る気まずさも、苛めに対する怒りもない。ただ事実だけを淡々と、賢護たちに聞かせる。


「身に付けながら死を願うだけで、致死に至ることが出来る石よ。それが、彼女の望みを果たすのに最も近いものだったから。……流石に、死そのものは売れないわ」


 黄泉路芽生は死を願った。きっかけは恐らく、苛めだろう。苦しくて、誰にも相談出来ず、ただその方法を求めてここへ来たのだ。

 夢幻堂の目的は願いを叶えること。そして、彼女の目的は死。お互いがお互いに、その望みは達せられ、そこに不満は無いのだろう。

 しかし、ここで働く身として、彼女のクラスメイトである身として、その間に置かれるもどかしさには堪えることが出来るはずもなかった。


「何でですか。何で彼女に、そんな……」

「何故『死神の御守』を渡したか、ね。分かっているとは思うけれど、夢幻堂は人間の願いを出来る範囲で叶える場所なの。彼女は、苦痛の無い死を望んだ。だから私は出来る範囲という形で、致死に至れる石を渡したのよ。そこに矛盾点も、不満点も無いわ。お互いにとって、これは損の無い話であるの」

「けど――」


 余りにも、それは利己主義過ぎる。結局は夢幻堂の目的を果たすことも、黄泉路芽生の願いを果たすことも、自分が満足しているだけではないか。

 死を欲しているから易々と死に及ぶモノを渡す。例え、それが互いのためであったとしても、それはきっと間違っている。

 水無美の表情は霧が立ち込めたように、窺うことが困難だ。普段から機械仕掛けの如く表情を変えない。もしかすると水無美とは、死に対する考え方が異なっているとさえ思える。

 そんな心配を多分に含んだ溜め息は、当の水無美本人の言葉に掻き消された。


「無駄な心配よ。私だって、彼女に死を選ばせたくないもの。だから、少し手伝ってくれるかしら」


 全てを見透かしたような瞳を以て、水無美はそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る