父さんの正しさやっと分かったよ 金魚掬いに憧れた夏

西見伶

父さんの正しさやっと分かったよ 金魚掬いに憧れた夏

 僕は今日、二十年来の親友を亡くした。



 交通事故で、即死だった。



 午前11時ごろ、彼の母親から電話がかかってきたときは、彼の最近の過ごし方を教えて欲しいのだろうと、呑気なことを考えていた。


 泣きながら訃報を告げられて、僕はただただ立ち尽くすばかりだった。












 僕たちは、生まれる前から一緒だったのだ。


 母親どうしもまた親友であり、僕の半年後に彼が生まれてからというもの、小・中・高と連れ添ってきた仲だった。


 大学こそ違うものの、二十年を共にして、もはやお互いのことを自分の体の一部のように知り尽くしていた。


 今年の夏は一緒に海に行こうぜとつい数日前にしたばかりだったのだ。


 あまりのあっけなさに、僕はしばらく涙を流すこともできなかった。












 思えばペットを飼ったこともない自分にとって、初めての身近な者の死だった。


 二十年生きてきて初めての経験なのだから、泣き慣れていないのも仕方ないと言えた。


 電話を切って、直前まで読んでいた本の続きに取り掛かかっているときも、昼食にカップヌードルを食べているときも、涙の気配はなかった。


 長めの午睡のあと、ああ洗濯物を取り込まなくちゃいけないなあという時になってやっと、大粒の涙が頬を伝った。



 命なんて所詮風前の灯火で、いつ消えてしまってもおかしくないという事実を、僕たちはいつのまにか忘れていた。



 もう親友と飲み歩くことも、つまらない話で笑いあうこともできないのだと思うと、次から次に涙が溢れてきた。






 駄目だ、こう泣いていたら父さんに叱られる。


 不意に、頑固者で躾に厳しかった父の顔が頭をよぎった。


 地元で医者をやっている父。


 県外の大学に進学した理由の一つは、父への反発があった。


 医者になれと言われたことは全くなかったが、家事の手伝いをしていて半端な仕事をすると決まって叱られた。


 しかし、意外と家族思いなところもあり、僕の大学の合格を誰よりも喜んでくれたのもまた父だった。


 午睡のあとの気怠さと流れる涙の熱さを感じながら、僕の記憶は、十二年前の夏祭りまで遡っていた。





















 あの日、僕と親友は、父に連れられて少し家から離れたところの夏祭りに来ていた。


 割と規模の大きい夏祭りで、出店の数も人の数も普段の比ではなく、僕らの心は浮き足立っていた。


 僕の目は、その中の金魚掬いの屋台に向けられていた。



 僕は、金魚掬いと言うものをやったことがなかった。



 色とりどりの金魚が生き生きと泳ぐさまを見て、僕は金魚掬いに挑戦したくて堪らなくなった。


 当時、まだ僕は小遣いを貰っていなかったので、父に金魚掬いがしたいと頼み込んだ。


 父はちょっと考えてから、

「金魚掬いは駄目だ。他のにしなさい」

 ときっぱりと言った。


 僕は不満だった。


 もう一度頼んでみた。


「金魚掬いは、する時は楽しいかもしれないが、掬った金魚は持って帰って飼わないといけないだろう。まだ、生き物の世話は凪には早い。」


 結局、父を説得することは出来ず、その日は射的や出店の焼きとうもろこしなどを楽しんだ。



 しかし、当時の僕には父が金魚掬いをさせてくれなかったことがずっと気に掛かり、父への反発の材料となっていった。
















 今振り返ると、あの時の父は正しかった。


 あの頃の僕には、生きている間生き物の面倒を見る覚悟も、いつか来るその死を受け入れる覚悟もなかった。


 それらを持たずに命で遊ぶ行為の危うさを、父は理解していたのだろう。



 十二年の時を経て、当時の父の思い、その正しさを、やっと真に理解出来た気がした。

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