第2話 熱愛? じゃないみたい
神保町のゾンビ騒ぎがあってから、三日がたった。
それでも秋葉原のアイドルショップは盛況だ。男女問わず、アクリルスタンドやブロマイド、サイン入りチェキ、イメージDVDなどを求め、飛ぶように売れていく。
腕のスマートウォッチが軽い音を立てたので、レジを一旦止めて、客へ隣のレジ列への移動を促す。
「ミズキちゃん、お願いね」と、隣のレジの少女の肩を軽く叩く。ミズキと呼ばれた少女は、「アイアイサー☆」と陽気に応え、客に笑顔を振り撒く。
バックヤードに戻った菊池が携帯端末を起動すると、画面には「池袋二番。呼気反応。レベルH」と出ている。
菊池はすぐさま池袋の平野に連絡を取る。
「呼気反応? 小動物も紛れていないはずなのに……。それにこの反応は明らかに人間だわ」
「人間? ありえない」
と平野。
「今から行きます、平野くん、気をつけて。あと。絶対に先走らないで!」
「いつまでも子供じゃない、俺に命令は不要だ」
それから一時間くらいが経って、足早に菊池らがズィー感染者の収納されたシェルターへと戻る。
「監視カメラ、区画AからFまで全て見せて」
監視システムのAIに指示すると、菊池の持つ端末に映像が送られてくる。
「区画Cをアップ」
菊池が目を細める。
「……違う動き」
多くのズィー感染者がいる中、明らかに違う動きをする影がある。
「音声を拾って」
AIによってスピーカーからシェルターの中の音声が出力される。
「……れか……だれ……」
「音声を明瞭にできる?」
「……誰か! ここから……出して!」
年頃の少年の声がする。
「生体反応は?」
「ノー」
AIがそっけなく答える。
「どういうことですかね?」
平野が菊池に問いかける。
「通話をオン」
マイクの通話ランプが青く点灯し、通話可能状態を知らせる。
「聞こえますか? 聞こえたら返事をして」
「は、はい! ここから出して!」
「その前に、あなたを視認したいの、赤い扉が見える? そこまで来て」
動いていた影がズィー感染者を押しのけながら、扉の方に近づいていく。
ドンドンと扉を叩く音。
「ここから出してください!」
その姿は高校生くらいの少年だ。身なりもきちんとしている(返り血は浴びているが)。ただ、肌の色だけがズィー感染者と同じような色をしている。
「あなた、ズィー感染者? なぜ呼吸をしてるの?」
「わかんないです! でも心臓はとまっちゃってるみたい……でも生きてる! 動いてますっ!」
「どういうことですかね?」
平野がもう一度問う。
菊池が逡巡して、
「あなたは、おそらくズィーに感染しているわ。むやみにそこから出すわけにはいかないの。そうね、何か、わたしたちに危害を加えないことを証明できる?」
「それは、その、どうすれば……」
と、少年は迷ったのちに、
「えーい!」
隣の男性のズィー感染者に殴りかかる。
ペチっという弱々しい音。
「……」
男性のズィー感染者が無表情で殴り返す。
ドォン!
激しい音をたてて、少年は床に突っ伏してしまう。
「……まじかよ……」
少年は頭を抱えながらなんとか立ち上がる。
「わかりました、扉を開けるわ、階段を上がってきて。他のズィー感染者が上ってこないようにして!」
がちゃりと重い音が響き、扉が開錠される。
少年が扉を通過するのを確認して、菊池は再度扉を施錠した。
階段を駆け上がってくる音がして、わずかな間の後、菊池と平野の目の前に少年が現れる。しかし、少年の目の前には鉄格子があって、出られないようになっている。
菊池は少年を肉眼で確認して、それが神保町で星野キララが遭遇した少年であることを理解した。
「ワタルくん?」
「僕の名前……なぜ……。あっ!」
「?」
ワタルの突然の大きな声に、菊池も平野も何事かと思うと、
「『スパーくるっ』の菊池ユウミと、イケメン俳優の平野ショウタ! これは……熱愛?」
ずこ。
菊池も平野もこれには苦笑い。
「そ、そうだな! 俺とユウミは付き合ってるんだ! 羨ましいだろう!」
「へえ! これはスクープ! で、この鉄格子からも出してほしいんだけど……」
「残念だが、それはできない、永遠に!」
平野が突然、ユウミに体当たりを仕掛け、よろめた隙に腰の銃を奪うと、流れる仕草で二発、ワタルに向かって発砲する。
その二発は共にワタルの胸に命中した。
ワタルは胸に異物を感じる。
「……熱い!」
ワタルの胸が焼けるように熱を持ち始めたその時、銃弾を受けた胸の周りの筋肉がうごめく。
「熱い! 熱い!」
ワタルの薄い胸の筋肉が銃弾を押し出している。
そして、二回、甲高い金属の音がした。銃弾が床に落ちた音だ。
「……そうだったな、ゾンビは頭が弱点だ」
平野が照準を頭に合わせる。
「平野くん!」
ユウミは平野が銃弾を発砲するより早く、当て身を喰らわせる。平野が体勢を崩した隙に銃を奪い返し、かえす刀で平野の腕を取って壁に向かい放り投げた。ユウミの細い体から出ているとは思えないほどの力で投げられた平野は壁にぶつかって失神した。
「ごめんね、ワタルくん……。でも、あなたの事がわかったわ」
ユウミが言うと、スマートウォッチに向かって、
「南P、聞こえますか?」
しばらくして、スマートウォッチから男の声が聞こえる。
「どうした?」
「南Pのおっしゃられていた、検体αの存在を確認しました」
「本当か?」
「おそらく……。検体αは呼吸をしています、高効率の酸素エネルギー変換を行っているようです。驚異的な治癒力を確認しました。また、呼吸の副次作用として言葉を話す事ができます。意思の疎通ができます」
「それは興味深い、赤坂へ移送できるか?」
「ええ、今すぐ」
「頼んだよ」
通話が終わる。
「ワタルくん、申し訳ないけど、ズィーに感染してるあなたを野放しにはできないの。もしかしたら元に戻る方法があるかもしれない、それまでは窮屈だけどその中にいてもらえるかしら」
「鉄格子から出られない?」
「今は」
「あと一つ教えて、キラりんやユウミさんは何者なの?」
「……『スパーくるっ』のメンバーよ」
小金井は腕時計を何度も見直してはせわしなく貧乏ゆすりを繰り返している。
「行くべきか、行かざるべきか」
頭を掻きむしって、ため息をつく。
「ワタルくん、あのタイミングでゾンビが出るなら仕事に誘わなかった!」
また時計を見る。
「君の両親は気丈だよ、君がゾンビに襲われたと知っても取り乱さなかった」
天を仰ぐ。
「しかしだ、わたしのせいだ! そんなわたしが君の葬儀に参列する資格があるか? いいや、ない!」
また頭を抱えてしまう。
「おおー、どうすればいいんだー!」
といったことを喪服を着た男が体をくねらせながら道の真ん中でやっているものだから、何か皆、目を合わせないように足ばやに去っていく。
ワタルは頑丈な鉄格子がついた護送車の窓から景色を見ている。
池袋のシェルター(という名の檻)から、ユウミから伝えられた赤坂の研究センターと言われる場所に移送される最中である。
見慣れた地元、市ヶ谷あたりの景色も違って見える。
もう駅前の釣り堀にも行けないのか……行ったことないし、興味もないけど、行けないとなると行きたくもなるものだ。
ポケットのスマホも充電が切れた。これからどうやってキラりんを推していけばいいのか。情報をどうやって集めればいいのか。
電車にも乗れないから、打ち捨てられたスポーツ新聞を読むこともできない。
そもそもお金もないし、CDも買えない。
これから行くところにラジオかテレビがあればいいな……。
と、思っていると、挙動不審な男が道をウロウロしているのが見えた。
「小金井さん?」
目を凝らすと、やっぱりその挙動不審男は小金井だ。
「ちょっと、ユウミさん! 車を止めて! あの人知り合いだ!」
「本当?」
車通りの多い靖国通りの路肩に自動車を停めると、ユウミが声をかける。小金井は素直についてきた。足どりはトボトボとしている。
ユウミの説明をうけて、護送車の中に入る。
ワタルと小金井は目が合った。
「わあッ! ゾンビ! 許して、まだ死にたくない!」
「小金井さん、小金井さん!」
小金井は恐る恐るこちらを覗き込んでくる。そして、さらに驚いて、
「わああッ、ワタルくん! ついに俺を迎えにきたか! 南無阿弥陀仏!」
小金井は床にひざまづいて祈りを捧げている。
「小金井さん、お経を唱えないで!」
「今日はワタルくんの葬儀なんだ! 俺を恨んでるんだろう?」
「……ちょっとまって、今なんて?」
「俺を恨んでるんだろう!」
「違う、その前、なんて、葬儀?」
「ゾンビになって死んだんだ!」
「小金井さん! 死んだら会話できる?」
「これは悪い夢だ! 夢なら覚めてくれ!」
もはや小金井は錯乱状態だ。
どうしよう、と目でユウミに訴えかけるが、ユウミは「あなたが招き入れたんでしょう、がんばって!」と目線で送り返してくるだけだ。
「夢でもいい、聞かせて、今日、僕の、ワタルの葬儀があるの?」
「そうだよ、そして俺には葬儀に参列する資格はないんだ!」
「わかった、ありがとう、絶対に僕の、ワタルの葬儀には参加して。そして両親につたえて、ワタルはずっと一緒だと」
「わかったから、悪い夢から解放してくれ! 南無阿弥陀仏!」
少しして、小金井は護送車から下ろされた。
気が抜けたように、歩道にへたり込んでしまう。
「このままでは危ないわ、人をつけましょう、わたしが呼びます」
ユウミがそう言って、無線でどこかに連絡をつけた。
「大丈夫、心配しないで」
「ほんとに?」
「私は訓練されているから、普通の人ならあれが普通よ、でも大丈夫、すぐ落ち着くわ」
ユウミにうながされて、心残りはあるが車が出発した。
「ユウミさん、ゾンビになってしまった人の家族って」
「政府はズィーのワクチン開発を急いでいるし、ワクチンが効いたからといって、元通りに戻るかはわからない。そもそも心臓は止まっているから死んだものと考えるのが普通かもね」
「そう、僕は意識もあってこうやって会話ができるから、死んでる実感もないけど、やっぱり心臓も動いてないから死んでるんだね」
「それを調べるためにこれから赤坂にいくのよ、協力してね」
やることもないし、それもいっか。
もうどこへも行けないんだし。
ああ、キラりん。君が生きてて歌を歌ってくれてるだけで、僕はもういいや。
ゾン活!推しの死を見届けるまで死ねないのでゾンビになりました 1 @sqnemo
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