第9話 千幸子の妹の話

 「あのチエーロの上の店さ、いまのオランジュって店の売店だったんだよね。売店っていうか、出店っていうか、支店っていうか」

千幸子ちさこは説明する。

 「さっき行った店、駅からちょっと距離あるでしょ? そのままじゃ知名度低いし、お客さん来ないからって、あのチエーロができたときに、そこにも店出して、お客さん増やそう、って。で、お客さんが増えたから、こっちの店は撤退して、そのかわりいままで二階までだった店を三階と地下まで広げたわけ」

 「ああ」

 そういう事情だったのか。

 いや、それにしても。

 「でも、たまたまで知ってること、それって?」

 「いやぁ」

 千幸子は猫が甘えて鳴くような声を立てた。

 「わたし、あの隣の本屋というか、本プラス文房具屋でバイトしててさ。それで知ってるわけ」

 「アルバイトかぁ」

 あいがなんの気もなく言うと、千幸子も軽く肩をそびやかした。

 会話が途切れて、愛はカフェオレを、千幸子はそのウヴァのお茶を飲む。

 背が愛より少し高いということもあるが、それだけでなくて、千幸子は愛よりも大人に見えた。

 アルバイトをしているということは、わたしよりもいろんなことを知ってるんだろうな、と、愛は思う。

 でも、愛は別のことをたずねてみることにした。

 「千幸子も妹がいるんだよね。万幸美まさみさん、っていう?」

 「うん」

 答えてから、短く

「さんづけで呼ぶような上等な子じゃないよ」

とつけ加える。

 「どんな子?」

 「チアリーダー」

 千幸子は何のおもしろいこともないように言った。

 「瑞城ずいじょうって、中学も高校もマーチングバンドあるんだよね。で、わたしが瑞城に入ったからって、自分も瑞城に入ってマーチングバンド入ってチアやるんだ、とか言ってて、で、瑞城受けて、落ちてやんの」

 「はあ」

 「だから瑞城落ちるような脳みそまで筋肉のバカ。そのくせ体力仕事もぜんぜんダメなんだよなぁ。わたしの引っ越しのときに階段で衣装いしょう箪笥だんす落っことしてなかみぶちまけるんだから。たまったもんじゃないよね」

 「そういう言いかたって、ひどくない?」

 言って、愛は笑う。

 ほかの人が同じようなことを言ったとしても、愛は、たぶん何を言っていいかわからなくて、黙っていただろうに。

 千幸子は答えない。でも、その万幸美って子が困ったことになったら、このお姉さん、何があっても駆けつけて、全力でその妹を守ろうとするんだろうな、と愛は思う。

 また、千幸子はお茶を、愛はカフェオレを飲む。

 飲みきれるかどうかとまじめに心配したカフェオレも、もう半分以上には減った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る