第七話【六月二十日(火) 相馬葵】

 S.Sと他愛のないやりとりをするのが、夜の日課になっている。


『炒飯が美味くできたよ』

 両親に好評だったエビ炒飯の写真を送る。


『前より上達してんじゃん。いつ一人暮らししても大丈夫だな』

『そうかな』

『なんでも慣れだ』


 S.Sの個人情報を探り出す目的で始めたチャットを、いつしか私は楽しんでいた。


『私、恋してみたいんだ』

『恋愛なんてろくなもんじゃねえ』


 一蹴されてしまった。

 あなたは恋をしたことがあるのかと聞くと、思いもよらぬ答えが返ってきた。


『今、してる』

『えっ、誰なの?』


 S.Sを質問攻めにしてやろうと意気込んでいると、着信画面に切り替わる。

 兄さんから電話だ。夜に電話がくることはほとんどないのに、なんだろう。


「もしもし」

『もしもし、俺さ、なりすまし分かったかもしれない』


 唐突なカミングアウトに、私の頭がフリーズする。


『帰省した時に、実は誠一郎と夜に居酒屋で会った』

「瀬川さんに? 全然気づかなかった」

『葵を起こさないように、そうっと家を出たからな』

「それっていつの話?」

『俺が帰省した日の夜』

 六月九日。兄さんにマッチングアプリを始めたと言った日だ。


『駅前の飲み屋で飲んで、誠一郎と仕事帰りに合流して二人で飲んでいた。その時に俺、妹がマッチングアプリを始めたと愚痴っちまった。そんで酔いが回ってきて、トイレに行ったんだ……!』

 兄さんは電話口の向こうで何かを蹴飛ばした。ガツンと嫌な音がする。


『分からんか? 俺は席に鞄をそのまま置いていった。具合が悪くて長時間トイレにこもっていた。その時に、免許証の写真を撮られたに違いない! クソッ!』


 兄さんが隠していたのはこれか。

「鞄の中を荒らされたと、一目で分かったの?」

『信じたくなかったが、怪しいやつなんてあいつしかいねえんだよ』


 兄さんは私の声を聞いていない。


『昔から誠一郎をことあるごとにボコってきた。その腹いせに違いない』

 幼いころの記憶が蘇る。公園で倒れていた中学生の瀬川さん。なんでもないからと、私が駆け寄るのを制し、よろよろと家に帰っていった。

 電話を切った。今まで見て見ないふりをしていた兄の一面が、とても醜悪に思える。

 S.Sからチャットが届く。


『絶対叶わない恋?かな笑』

 あなたは誰なんだろう。誰に絶対叶わない恋をしているんだろう。

 S.Sと会いたい。

 私は短くメッセージを打った。


『あなたに会いたい。いつが空いてる?』

『直球だな。いいよ』


 それからいくつかのラリーを続けて、S.Sと会う日は今週の土曜日になった。

 S.Sに会うことは、この関係の終わりも意味していた。

 カフェで会うことになった。私の最寄り駅の最寄り駅のカフェだった。

 私は兄さんと塩尻さんのグループLINEに、なりすまし犯と会う日時と場所が決まったと報告する。二人はお手柄だととても喜んでいた。当日は二人も駆けつけてくれるそうだ。


『じゃあ当日はよろしく』


 素っ気ない文面に心を締め付けられる。

 彼と電話をしてみたい。されど、電話をしたら、S.Sが誰か分かってしまうかもしれない。

 誰か突き止めるためにチャットして、会うのに私は矛盾している。


『私、あなたに会うのが楽しみなんだよ。本当だよ』


 それからポン、と少し間を置いて、追加のメッセージが届いた。

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