第16話 オーディン様



「ふぅ……」



 今日も俺達は、東京のすみっこ温泉「もえぎの湯」に来ている。

 麗が遊びに来るようになるまでは一度も来たことがなかったというのに、今となってはほぼ毎週通っているリピーターだ。

 俺が熱で倒れなければ皆勤賞だったので、そこが少し残念である。



「おや、君は……」


「っ!? ど、どうも」



 アニメの考察などをしながらマッタリしていると、不意に声をかけられる。

 声をかけてきたのは、常連の渋いイケオジだ。

 常連の3人は全員無言で温泉に浸かっているので、声をかけられたのは初めてのことだった。



「先週は来ていなかったので、どうしたのかと気になっていたんだよ」


「あ、えっと、先週はちょっと体調を崩して、来れなかったんです」



 俺もなんだかんだ常連になりつつあるので、いないと気になるくらいには意識されていたようだ。



「ほぅ、それは大変だったね。しかし、こうして今日来れたということは、例のウィルスではなかったということだろう」


「はい、不幸中の幸いというか、なんというか……」



 もしコロさんだったら、大変なことになっていた。

 こんな呑気に温泉になど来れるワケもなく、今頃まだ自宅軟禁状態か病院のベッドの上だっただろう。

 見舞いに来てくれて文子さんと麗も濃厚接触者になるので、申し訳なさでずっと後悔することになっていたハズだ。



「はは、本当に良かったよ」



 そう言ってイケオジは、俺の横に並ぶように温泉に浸かる。

 なんだろう、今日はいつになく距離感が近い。

 ここは普通の温泉だし、まさか尻を狙われているというワケではないだろうが、妙に気になる。



「…………」



 しかしイケオジは、いつもの無言状態に戻ってしまった。

 それが逆にプレッシャーになっている。

 堪らず俺は口を開く。



「あの、ここに通うようになって、結構長いんですか?」


「……そうだね。もう5年くらいになるかな。もしかしたら、ここでは一番の古株かもしれない」



 5年は結構長いな……

 俺がまだ学生をやっていた頃から通っていたということになる。



「君は学生さんかい?」


「あ、いえ、今はフリーターです」


「成程、だから平日のこんな時間からここに通えるというワケだ。……おっと、嫌味で言ったワケではないよ。それを言ったら、私も同じだからね」



 まあ、平日の午前中から温泉に来ているような人は、仕事をしていないか、時間が不定期な仕事をしている人に限られてくるからな。

 その割に、この温泉にはそれなりに人が入っているが。



「となると、一緒に来ている彼女も?」



 このイケオジは、麗のことも知っているようだ。

 恐らく、外で一緒にいるところを見られたのだろう。



「あ、いえ、彼女は一応学生らしいです。今は休学中みたいですが」


「……ふむ。少し他人行儀だが、二人はどんな関係なんだ?」


「それは……、恋人に、近い関係だと思っています」


「……少しワケありのようだね。根掘り葉掘り探るような真似をして失礼した。君も彼女も若いので、つい気になってね」


「あ、いえ、そうですよね……」



 やはり、若い男女がこんな時間帯の常連客になるというのは珍しいのかもしれない。



「こう見えて私はお喋りなんだが、いつもは我慢しているんだ。しかし、二週間ぶりに君が来たものだから、今日はついつい声をかけてしまったんだよ」



 無口だと思っていたが、実は喋るのを我慢していたらしい。

 しかし、何故だろうか?



「我慢、ですか。それは何故?」


「それは私の職業に関わることなんだが……、君は私の声を聴いて何か感じなかったか?」


「それは、渋い声だと……っ!?」



 いや、この声には聴き覚えがある。

 というか、何故気づかなかったんだ!

 この声は……



「シャア、アズナブル……」


「はっはっは! よく似ていると言われるよ。残念ながら違うがね。しかし、職業は一緒だ。そう、私は声優をやっているんだよ」



 シャアでは、なかったのか……

 いや、それでも……、声優だって?

 まさか、東京のすみっこの温泉で、生の声優に出会えるなんて……!



「私はそんなに有名な声優ではないんだが、それでもそれなりに有名な作品には出たことがある。だから、いわゆる身バレ防止のために喋らないようにしていたんだ」



 成程、それはそうだ。

 年配の声優は顔を知られていないケースも多いが、声は知られているという可能性は十分にある。

 裸の付き合いとなるこんな場所で、身バレはしたくないだろう。



「それは……、でも俺に言っちゃって良かったんですか?」


「私の方から色々聞いてしまったからね。このくらいの情報は問題じゃないさ。君は私が担当するキャラはわからないようだしね」



 そう、それが少し悔しい。

 わかったら、もっとテンションがあがっていただろうに……



「俺、アニメもよく見るし、かなりのゲーマーなんで、多分聴いたことあると思うんですけど……悔しいです」


「はっは! 私としては気楽に話せて助かるがね!」



 しかし、どう聴いてもシャアの声にしか聞こえない。

 俺は心の中で、このイケオジのことをオーディン様と呼ぶことにした。


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