第2話


 それは本当に突然の出来事だった。ただ、純粋に気になってしまった、と言うのがきっかけだったと思う。ほんの出来心で、私は泥沼へ足を踏み入れてしまったのだ。

 そう、疑問を抱かなければ、私は何も知らずに暮らせていたはずなのに。


 天崎まゆ────通称あまゆゥ。愛くるしいルックスに誰もが羨むスタイル。美しい歌声に知識が滲むトーク、ずば抜けたダンス。育ちの良さと、人望が厚く誰からも好かれる人柄。完璧な人間、完璧な存在。全人類が皆、彼女を崇め奉る。

 彼女は国内に留まらず海外にまで魅力を伝え、音楽業界を賑わせた。

 日本が誇るべきアイドルであり、一人の女性。

 例に漏れず、私も彼女に首ったけだった。彼女が出る番組は欠かさずチェックし、グッズを買い、音楽を楽しみ、彼女を追いかけた。

 彼女が髪型を変えればこぞって女性たちはそれを真似、彼女が気に入った服はその年の流行となる。彼女の吐いた言葉は世間を動かし、彼女の活躍が経済を動かす。

 この世界はあまゆゥが中心になって回っていると言っても過言ではなかった。

 そんな彼女に疑問を抱いたのが、全ての始まりだった。


「また、あまゆゥちゃんがランキング一位を取ってる、やっぱりすごい」


 その日、私は学校から帰りリビングでのんびりしながらテレビを見ていた。夕方のニュースではあまゆゥの特集が流れている。私はテレビを見ながら、彼女の活躍に歓喜のため息を漏らした。四角い箱の中で踊る彼女は白とスカイブルーが映えるドレスを着て、ダンスを踊っている。数センチもあるピンヒールを履いた足がステップを踏む。よく、あんなに高いヒールで足を挫かないな、と感心していると紅茶と焼き菓子を私の前に差し出した祖母が和かに微笑んだ。


「あまゆゥちゃんは本当に、凄い子だねぇ。私が子供の頃から活躍してて、いまだに人気なんだもの」

「……へぇ?」


 その瞬間、何か引っかかるものを感じた。いつもなら気が付かない何かに、違和感を覚える。しかし、言い表しようのない不快な感情を隠すべく、私は視線をテレビへ投げたままにした。


「お婆ちゃんの若い頃も、あまゆゥちゃんの髪型を真似たもんだよ。あまゆゥちゃんがショートヘアになった次の日は、床屋が儲かるっていうぐらいだったんだから」


 祖母は私の向かい側に移動し、椅子に腰を下ろした。私は何処かモヤモヤする気持ちを抑えつつ、紅茶に口を付ける。


「今、あまゆゥちゃんはロングだから、みんな必死になって髪の毛を伸ばしてるみたいだし、どの時代も子供ってのは変わらないねぇ」

「……お婆ちゃんの若い頃にも、あまゆゥちゃん、居たの?」


 思わず口から出た言葉に、祖母は目をまんまるとさせ首を傾げた。


「居たに決まってるじゃない。どうしてそんな当たり前のことを聞くの?」


 手に持っていた焼き菓子がボロリと落ちた。粕が机に散らばり、祖母が呆れたような声を出した。ウェットティッシュでそれを拭いながら、祖母は私を見つめた。


「全く、一体どうしたのよ」

「……おかしくない?」

「何が?」

「あまゆゥちゃんが、お婆ちゃんの子供の頃にも居たってことが」


 え? と、聞き返す祖母は、ふざけているような素振りではなく、寧ろ本気で困惑している様子だった。

 しかし、それ以上に私は祖母の口から出た言葉に戸惑っていた。脳の奥がガンガンと誰かに殴られているような、そんな感覚。


「何を言ってるの。おかしくなんか、無いわよ。だって、あなたのお母さんが子供の頃にもいたのよ? ねぇ、マイコ。アンタも、ずーっとあまゆゥちゃんの真似ばっかりしてたものね」


 祖母はあっけらかんとした態度で笑い、キッチンへいる母へ呼びかけた。母は菜箸を持ちながらリビングへ顔を出し「当たり前じゃない。ユキ、熱でもあるんじゃない?」と返事をし、またキッチンへ引っ込んでいく。


「あなたのお母さんはね、あなたたちよりずぅっとあまゆゥちゃんオタクだったのよ。何度もライブへ行きたいってせがまれてねぇ。東京へ連れて行くお金もなくて、何よりチケットが取れなかったのよ……今でもそうなんでしょうけど、当時はもっと取れなくて。ファンクラブの会員でさえ取れないって一時期、大騒ぎになったくらいよ。あまゆゥちゃんに会えないなら学校には行かない。勉強しない。って大泣きされた日は本当に参ったのよぉ」


 「お母さん、娘の前でそんな話はやめてよ」。母の怒鳴り声と祖母の笑い声が、右から左へ流れていく。全ての言葉がまるで暴力のように感じた。

 目の前に座る祖母が、今まで共に過ごしてきた人間だとは思えないぐらい恐ろしい生き物に見えた。

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