8 物見

 四月になり賀茂のお祭り見物に出かけた。どうやら時姫様のところでも見物に出たようだった。見物する場所を探しながら移動していると、どうやら彼女の一行らしい車列を見つけたので、道を挟んで真正面に我が方の車列を並べた。斎院が通るまで時間があって退屈だったので、橘の実を寄せ集めそこに葵の葉を添えて、


『あふひとか聞くけどよそにたちばなの』


と歌を詠みかけた。すぐに返事があると思ったのに少し経ってから、


『きみのつらさを今日こそ見たわ』


とあった。

「こちらを憎いと思って長年過ごして来たことでしょうに、何を今さら『今日こそ』なんて言っ

てきたのかしら。」

と明け透けにものを言う乳母子が言った。すると他の侍女たちも堰を切ったように日頃の不満が吹き出してきて、

「そりゃあ、あちらはお子様方が大勢いらして勢いはございましょうとも。でも、こちらの奥様は本邸までお見舞いに呼ばれるほどですもの。妻が大勢いるとはいっても、これほどご寵愛を受けている方は他にはございませんでしょうよ。」

「本妻だといい気になっているかも知れないけれど、ご寵愛の深さからいったら、こちらの奥様が本妻でもいいくらいですのに。」

見物を終えて時姫様の歌のことをあの人に話したら、

「食いつぶしてやりたいとは言ってこなかったのかい?」

と言うので、二人して笑った。家庭の中ではどんな様子なのかしらと想像してしまった。


 今年は宮中で端午の節会を催すといって、世間で大騒ぎしている。なんとかして見物したいわと思ったが、席がない。

「見たいと思うなら、何とかしようか?」

とあの人がさりげなく言ったのを聞き逃さないで、

「双六で賭けましょうよ。」

「いいだろう。負けたら物見の桟敷を用意するよ。」

ということで、二人で双六を打ち見事桟敷を勝ち取った。嬉しくてはしゃいで、すぐに侍女たちに物見に必要なものをあれこれ取り出させてよいものを選び整えた。宵の頃人々が寝静まった隙に硯を引き寄せ、手慰みに、


『あやめ草一つ二つと数えつつ 五月の節会が待ち遠しいわ』


と書いて差し出したら、あの人は笑って、


『沼隠れ生えるあやめの数なんて わからないのに待ってるんだね』


とどうなるかわからないように言ったけれど、本気で席を用意してあげたいと思ったのだろう、例の宮様に頼んでくれたようだった。宮様の御桟敷の一続きで二間ある席を一部仕切って私たちのために使わせてくれたのだった。京の主だった方々がみんな集まる宮中の節会をあの人と一緒に宮様の御桟敷から見るだなんて、それはもう夢のような一日だった。


 こんなふうにあの人の妻として世間的には悪くない有様で十二三年が過ぎていた。そうは言っても本妻の扱いではなかったので、実際は物思いを積もらせながら明けても暮れても心の中では嘆いていたのだった。あの人の来ない夜は人も少なく心細かった。たった一人頼りにしている父はこの十年以上地方を渡り歩いていて京におらず、たまに帰ってきても母なき後は四、五条あたりの邸に何人かいた妻の一人を迎えて住んでいた。そこは一条にある私の邸からはかなり離れていたので、何かと心細かった。そんなわけで、この邸に頻繁にやって来て心にかけてくれる人もなく、建物や庭の植え込みに至るまでどんどん荒れていった。それを知ってか知らぬか平気で出入りしているあの人は、私が心細くしているなんてちっとも思わないみたいで、それほど愛していないのかと心乱れることが多々あった。忙しい忙しいと言うけれど、何よ、この荒れた家の雑草よりも隙がないのかと腹立たしくも悲しい思いで眺めているうちに、八月になった。


 心穏やかに暮らしていたある日のこと、些細なことから言い合いになって、しまいにはひどい口喧嘩になり恨みながらあの人が出ていくということがあった。軒先に出て、幼い道綱を呼び出して、

「お父さんはもうここには来ないつもりだ。」

のようなことを子供に捨て台詞して出て行った。すぐに道綱が入ってきておどろおどろしいほど大声を上げて泣く。

「これはまぁ、一体どうしたの?」

と言ったけれど、返事もせず泣くばかりだった。何を言われたのか大方の察しはつくけれど、周りの侍女たちの手前これ以上問いただすのをやめて、あれこれなだめて過ごしていたが、それから五、六日経ってもなんの音沙汰もない。こんなに訪れがない日が続くことはなかったので、馬鹿げているわ、冗談と思っていたのに、儚い私たちの夫婦仲だからこのまま終わってしまうなんてこともあるかもしれないと思って、心細くて塞ぎ込んでいた。ふと見るとあの人が出て行った日に使った髪を整える研ぎ汁が器の中でそのまま残っていて、上に塵が積もっていた。こんなになるまでとあきれて、


『終わったの? 影さえ映れば聞けるのに形見の水には水草ばかり』


などと歌が心に浮かんだその日に、あの人はやって来た。けれども、いつものようにすれ違ったままに終わってしまった。こんなふうに胸の潰れるような苦しいことばかりあって、心から安心できることはなかった。


 九月になったので、外の景色はさぞ素晴らしいだろう、どこかに詣でようかしら、こんな儚い身の上からお救いくださいますようお祈り申そうと心に決めて、ごく密かにあるところに出かけた。一串の御幣にこう書きつけた。まず、下の御社には、


『山口のすぐにもわかる御社だから 御霊験もまたすぐに見せてよ』


中の御社には、


『稲荷山に多くの年を越えました しるしの杉を頼み祈って』


最後の御社に、


『神々に祈って登り下りするけれど 願いは通じず道に惑うばかり』


また、同じ月の末に、別のところに同じように密かに出かけた。御幣を二串ずつ用意して、下の御社に、


『上は堰き下は水屑が積もるのか 思うようにいかない御手洗川よ』


もう一つの串に、


『榊葉の常盤(ときわ)堅磐(かきは)に木綿垂(ゆうしで)よ 片思いをさせないで神様』


上の御社には、


『いつしかと待ちこがれてます 森の木の間からもれる光を見る日を』


もう一つには、


『鬱々と悩み嘆くこと無くなれば 神のしるしと感謝しましょう』


などと、どうせ神様は聞いていないでしょうからとあれこれ愚痴を申し上げてしまった。

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