第5話
「なんだなんだ、皆して突っ立ってだべって、僕を仲間はずれにしないでくれ」
両手にケーキを持ってその場にやってきたのは王子殿下だ。
突然の声かけに、リオネス様とゲイン様は焦りながら頭を下げる。
「パーティの第二部といえばダンスもだけどケーキも大事だ。そして男子たるものチェスに興じるのも楽しみだろう。ダンスホールはつかえているから、さっさとチェスにするぞ」
「かしこまりました」
皆さんとリオネス様とゲイン様が、ぞろぞろとチェスコーナーのほうへと向かう。
その中で、王子殿下は思い出したように私を振り返って笑顔を向けた。
「ミレイラがご所望だ、ケイト嬢も一緒にチェスをしろってね」
「え」
――そして。しばらく時間が経ったところで。
私はミレイラ殿下と一緒にとんでもないものを見ることになった。
王子殿下の側近の皆さんがチェスで、リオネス様とゲイン様を、次々と徹底的にやり込めていたのだ。
半ば、私刑とも言えるほどの圧勝だった。
「く、くそ……! なんで勝てないんだ……!」
「基本の定石すら覚えていらっしゃらないとは。貴族令息としてのたしなみではありませんか」
側近の一人に煽られ、ゲイン様が悔しげに頭をかきむしる。
ミレイラ殿下が私と一緒にソファで観戦しながら、楽しげに笑って言う。
「つまらないわ。私の恥となるのだから、一勝くらいしてみなさい」
「っ……!」
ミレイラ殿下に蔑まれ、リオネス様とゲイン様はお互い顔を真っ赤にする。
そこですっかり楽しそうに眺めていた王子殿下が私を見た。
「そうだな。ミレイラの母国の恥ばかりを見るのは僕も嫌だ。ケイト嬢、ここは一つ僕の学友達と勝負しろ」
「えっ……わ、私ですか!?」
「やっちゃってケイト。大丈夫よ、ケイトが結構チェス得意なの知ってるから」
チェスなんて賢しいし、令嬢の趣味ではない。
だからやりかたは知っているけれど、人前で、それも殿方の前でやったことなんてない。
緊張する私をよそに、側近の一人が席に着いた。
「さあ、ケイト嬢。俺と勝負してくれ」
「……かしこまりました。お手柔らかに、お願いいたします」
それからは頭が真っ白で、私はろくに覚えていない。
覚えていることは、私が王子殿下の側近を一人、また一人チェスで打ち倒していったこと。
そしてギャラリーがどんどんふえていったこと。
そして――最後の一人、ジェイド様だけが手を抜いてくれていたこと。
顔を見ると、彼はウインクをした。
――私が勝たなければならない場、なのだろう。
私は彼のリードに従い、勝利をまた一つ重ねた。
最後にはついに王子殿下が参戦したが、殿下は本当にものすごく強くて、あっという間に負けてしまった。
手加減をされていると分かっていても、とても太刀打ちできない見事な猛攻だった。
「まいりました」
私は頭を下げる。気づけば集まったギャラリーが、盛大な歓声を漏らした。
令嬢である私がここまで善戦したので、母国側の人々も落胆ではなく楽しそうな歓声だった。
「ありがとう、無茶ぶりに応えてくれて」
王子殿下と握手をする。私は笑顔で首を横に振った。
「楽しい時間をありがとうございました、殿下」
私が打ち倒した側近のみなさんも、すがすがしい笑顔で私に拍手をしてくれている。
リオネス様とゲイン様の姿はそこにはなかった。
場にワルツが流れる。
ミレイラ殿下が笑顔で手をひろげた。
「さあ、楽しく踊りましょう! 両国のますますの友好と発展を願って!」
私は下がろうと思ったとき、
私の前に大きな手が差し出される。
見上げると、そこには私に勝たせてくれた、ジェイド様だ。
彼が元婚約者に対して言っていた言葉を思い出し、頬が熱くなる。
彼はずっと見てくれていたのだ、私のことを。
「……私と踊っていただけませんか、ケイト公爵令嬢」
「喜んで」
ダンスホールで踊る人混みの中に入り、私たちは身を寄せ合って躍った。
彼は穏やかな声で私に言う。
「さきほどは失礼いたしました。あなたに失礼かと思ったのですが」
手加減した話だろう。私は首を横に振る。
「いえ。そうしていただかないと私は負けていました。……ありがとうございます」
私を立ててくれるために、負けてくれたのだ。
同時に私は、彼の面目を思う。
「私に負けた姿を見せるのは、あなたも、みなさんも、不愉快だったと思います。申し訳ありません」
「何をおっしゃいます。真剣勝負で負けるのは心地よい。それに私との勝負はあくまで儀礼的なものです。きになるのでしたら、……また今度、個人的に戦いましょう」
「是非」
ダンスは続く。
ゆったりとしたワルツの音色が、リズムが、私の鼓動の高鳴りと呼応する。
彼の手から感じる体温に、胸がぎゅっと甘くなる。体温が手を通じて、染み渡っていくような心地だ。
こんな気持ちになるのは初めてだった。
私とジェイド様のダンスを、元婚約者と友人が唖然として眺めているのが見えた。
けれどすぐに人混みに消えていく。
私も忘れることにした。
過去の辛い思い出なんて、覚えていても頭の中がきゅうくつになるだけだ。
私なんかをからかって溜飲をさげていないで、もっと彼らの大きさを観て欲しいと思った。
音楽がさらにムーディなものへと変わる。
ぐっと、ジェイド様との距離がまた近くなる。
「……あなたと、ずっとこうしたかった」
「いつから私を見ていてくださったのですか?」
「ずっとですよ。あなたがまだ婚約者もいらっしゃるころから」
驚いて、私は彼の顔を見た。
「まだ王子殿下の婚約前、お見合いのお茶会の段階で、僕はあなたが気になっていました」
「な、……なぜか、おうかがいしても?」
「まだお見合い中頃の妃殿下は、見ていてこちらが心配になるくらい緊張しておいででした。けれどお見合いが成立し、両国の友好パーティが開かれるようになってから、あなたはかならず妃殿下の傍にいらっしゃった。あなたが妃殿下を励ましたり、妃殿下がのびのびと王子殿下と親交を深められるように配慮なさっていたのを、僕は見ていました。……よく目が行き届く、妃殿下思いのかただと」
なんだか恥ずかしい。彼は優しく続けた。
「婚約破棄されて、違うところに嫁がされそうになったときいて驚きました」
「ご存じだったのですね」
「妃殿下と協力して、なんとしてもあなたを侍女として連れてくるために、例の婚約者にも頭を下げて白紙にしていただきましたしね」
「えっ」
「……強引で、引きましたか」
そういえば手紙には「しあわせになりなさい」と書いてあった。
――まるでこれから幸せになると、わかっているような言い方だった。
私は侍女としての新しい人生を、幸せだと思い込んでいたけれど。
あの手紙にあった「しあわせになりなさい」は別の意味を含んでいたのだ。
「いえ……私も、望んだ結婚ではなかったので……ありがとうございます」
「他の人には、取られたくありませんでしたので」
「……私も、あなたをよく知りたいです。おしえていただけますか?」
「ええ。なんでも教えます。……ケイト嬢にも僕のことを、知って欲しい」
私たちの夜は、ダンスの音楽が終わっても続いた。
これまでの時間を埋めるように、時間の許す限り、たくさん、お互いのことを話した。
◇◇◇
――それから、私は少しずつジェイド様との接点が増えていった。
彼が宰相の息子だと知ったのもその後のことだ。
噂を聞いてますます私のことが惜しくなったのだろう、実家からの連絡が増えた。
義実家からよりを戻さないか、息子がさみしがっているという連絡が来た。
けれど、妃殿下は私にその情報が届く前に、さっさとお断りの連絡を入れていたようだった。
そして次の年を待たずして、ジェイド様は私にプロポーズをした。
直ぐに受けたかったけれど、私はどうしても踏ん切りがつかず、一日だけ猶予をもらった。
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