第4話

 記念式典にもかかわらず、お酒を少し飲み過ぎて声が大きくなっている。


「男に捨てられて仕事に生きる女って、哀れだよな」

「見向きもされないみたいだから、お前声をかけてやれよ」

「やめろよ、本気にされたらだるいだろ?」


 記念式典に貴族が集まるのは、両国の貴族同士の顔を覚え、挨拶を交わし、今後の友好関係の礎としていくためだ。お酒だって社交の潤滑剤であって、昔なじみ同士で飲み交わして下品な話をするためのものではない。

 私は元婚約者の姿に、同じ国の人間として恥ずかしくなった。

 逃げるようにその場を立ち去ると、ちょうど廊下で一人になったタイミングで腕をぐいっと掴まれた。


「きゃっ……!」

「大声上げるなよ、大げさだな」


 口を押さえられ、カーテンの陰に連れ込まれる。

 そこにいるのはリオネス様だった。美形だと思っていたけれど、一年会わないうちになんだか雰囲気が変わった気がする。普段あまりに美しい人々を見過ぎているせいだろうか。


「より戻したくてきたんだろ? わかってるから」

「……何をいってるの?」


 私は彼の言っている意味がわからなかった。

 酒臭い息が近づく。


「なあ。まだ拗ねてるのかい。僕はいつでもよりを戻していいんだよ」

「既に婚約は正式に破棄されたはずです。離してください」

「なんだよ、本気で破棄したかったわけじゃないくせに」

「なっ……!?」

「だから今も独身なんだろ?」

「ご冗談は辞めてください。人を呼びますよ」

 

 ちっと、リオネス様は舌打ちする。


「相変わらず面白くない女だな。冗談がわからない……あれは男同士の冗談だよ。わかれよ?」

「やめてください」

「一生独身でいいのかよ。……なあ。いいだろ? 本当は僕のことわすれられないんだろ? だから今日もきたんだろ?」


 そのとき、会場で大きな拍手が響く。

 音に驚いてリオネス様の手が緩んだところで、私は彼から逃げ出した。

 背後から舌打ちの音がする。


 逃げたところで、私はジェイド様にばったりと会った。

 ジェイド様は近衛騎士の礼装を纏っていた。その凛々しさに自分がなんだか恥ずかしいもののような気がして目を逸らす。彼は心配そうに私をみた。


「どうしたんですか、顔が青いですが」

「大丈夫です。……少し、久しぶりの故郷で勝手がわからなくて」

「本当に、何もなかったんですか?」


 確かめるように聞かれ、私は目をそらす。

 今あったことを伝えるべきだろうか――否。


 故郷の令息の恥をわざわざ訴えるのはただの愚痴以上の何物でもない。

 それにこの故郷の国では私は悪役令嬢扱いされている。

 そんな国で「リオネス様に絡まれて危なかった」なんて言っても――私がかえって悪いと言われるかもしれない。ジェイド様にも迷惑をかけてしまう。


「なんでもありません。大丈夫です」

「……そうですか」


 ジェイド様は私を案じるような眼差しで、それ以上追及しないでくれた。

 私はほっとした。


◇◇◇


 パーティは第二部に入り、ダンスパーティとなった。

 私はもう目立ちたくない思いで、ミレイラ殿下の傍にいることだけに務めた。


「ケイトあなた、今日少しおかしいわよ」

「少し人酔いしてるだけです。大丈夫ですよ」


 他の人が気づかない変化でも、ミレイラ殿下にはばれてしまう。

 私は笑顔でごまかす。そのときフードカウンターで新作スイーツがお披露目されているのに気付いた。


「ミレイラ殿下、あちらお召し上がりになりますか? 取って参りますね」

「ありがとう」


 私は殿下の傍を離れ、ケーキを取りに向かう。

 すると酒に酔ったリオネス様が、例の親友と共に誰かに絡んでいた。


「……!」


 それはあろうことか、王子殿下の側近として働く近衛騎士のみなさんだった。ジェイド様もそこにいる。

 リオネス様は彼らに対して、にやにやと笑いながら話しかける。

 

「そちらの国に行っている侍女の一人に、俺の元婚約者がいるんだ。誰だと思う?」


 明らかに揶揄したくてたまらない口調だった。


「あのケイト・ロードキーという侍女さ。あいつはこの国では悪役令嬢と呼ばれるような薄情者さ。幼い頃からの婚約者である僕を捨てて、貴殿の国に行くことを選んだ。打算的で、上昇志向の強い、生意気な女さ」

「ほう? それは初耳だな」


 ジェイド様が話を合わせてあげている。私はいたたまれなくて耳を塞ぎたくなる。

 こんな時に限って、なかなかケーキの列が進まない。

 リオネス様の隣でゲイン様が頷く。


「そうそう。自分の能力をちやほやされたかったのだろう、少し勉強ができるからってかわいげのない女だった。そんな女でもリオネスは結婚してやると言っていたのに、リオネスのことも、次に男あさりして見つけた年上の男も捨てて、そちらの国に行ったんだ。貴殿らも物色されているかもしれないぞ」

「気をつけたまえ。自分の出世のためならなんでもやる女だ。王女殿下も弱みをにぎられているのかもしれないな」


 がははと、リオネス様とゲイン様は笑う。

 側近の皆さんは場を取り繕うような曖昧な表情を浮かべている。

 その中で、話に食いつくようにジェイド様が話を促す。どこか怒っているような風だった。


「元婚約者、か。では婚約は解消となったのかな?」

「ああ。ちょっとしたことですぐかーっとする女だったんだ。だから解消をちらつかせたら顔を真っ赤にして『ふざけないでくださいましぃ!』だってさ。面白い奴だったんだよ」

「あれは面白かったな。あなたにも見せてやりたかった」


 けらけらとあざ笑う彼ら。

 ケーキの列が進まない。私の姿が見られたらどうしよう。恥ずかしい。

 いたたまれない思いになっていたところ、突然ジェイド様ははははと笑った。


「それで貴殿は・・・捨てられたというわけか。なるほど、それで傷をなめ合っている、と」


 ぽかんとした顔で、リオネス様とゲイン様は硬直する。


「彼女については貴殿らより私たちの方がよく知っているよ。ミレイラ妃殿下が王女だったころからずっと話を聞いていたし、妃殿下のご友人として過ごしていた彼女も見ている。ずっと私たちは、魅力的で素敵な女性だと思っていた」


 え? と思う。

 鏡を見ると私もきっと、リオネス様とゲイン様とおなじくらい、茫然とした顔をしているだろう。


「婚約者がいる女性を話題に出すのは失礼だから、控えていたがね。ミレイラ妃殿下の側仕えとして来てくれて本当に良かった」

「それに仕事もできるしな。物腰も柔らかいし、貴婦人の話題にも令息たちの流行にも、政治の話にもなんでも合わせられる」

「あんな立派なご令嬢に捨てられた男というのはどんな男だろうと思っていたが、名乗り出てもらってよかったよ」


 だんだん、リオネス様の顔が真っ赤になっていく。

 酔っていることもあって、大きめの声で近衛騎士たちに詰め寄った。


「捨てられたって、そんな言い方はないだろ? なあそれに捨てられたんじゃなくて、あっちが勝手にこっちの冗談を真に受けて解消してきたんだよ」


 リオネス様より幾分か冷静そうなゲイン様が、焦りながら笑顔で取り繕う。


「そうそう。その場にいたら笑えたんですよ、婚約破棄の瞬間。公爵令嬢のくせに、婚約破棄なんてそうそう簡単にできるものじゃないのに、分かってなかったのかな」


 少し引きつった声で笑い話に持っていこうとする元婚約者達。

 ずっと軽口を言わなかったジェイド様が、よく通るはっきりとした声で言った。


「婚約破棄などという侮辱を受けた公爵令嬢が、毅然と相手を捨てるのはもっともな事です。家名と貴族としての矜持を背負う女性ならば当然のこと。冗談で人を笑いものにする男はいずれどこかで失敗する。選ばないのは賢明なことですね」

「……はは、ご立派なことで」


 自分たちの『笑い』が通じなくて興ざめしたらしい元婚約者と親友は、引きぎみにお互い苦笑いをしあっているようだ。

 ――その時。

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