第3話
「お互いそれぞれの殿下に仕える身、あまり接する機会はございませんが、協力し合っていきましょう」
側近の一人、ジェイド・アンバー公爵令息が私に声をかけてくれた。
眼鏡に黒髪、背が高く、厳しそうな雰囲気の人だ。
私もこの人みたいに凜々しく、ミレイラ殿下の側仕えとして仕事を全うしたい。
「こちらこそ、分からないことばかりなので何卒お力添えいただけますと嬉しいです」
私たちは挨拶をしあった。
そうして、隣国での暮らしがはじまった。
私は祖国から一緒に侍女として入った令嬢たちと一緒に、新生活になれるので精一杯の日々を過ごした。悩む間もない日々が続いた。
そんな私をときどきミレイラ殿下は王子殿下との逢瀬に招いては、私と同じように招かれた側近の皆さんと一緒に楽しく雑談する時間を作ってくれた。
彼らはよくチェスをやっていた。
ある日私に、ジェイド様が話しかけてきた。
「ケイト嬢。よかったら僕たちと一緒にチェスをしないかい」
「でも……」
チェスは男性の趣味だ。私が出しゃばるわけには、と思っているとミレイラ殿下が私の肩を抱いて言った。
「いっとくけど、ケイトはとってもチェスが得意なんだからね。甘く見たら痛い目に遭うわよ」
「み、ミレイラ殿下」
「楽しんできなさいよ、ケイト。ここにはあなたがチェスをすることを咎める人は居ないわ」
私はそれから、お言葉に甘えて側近の皆さんと、また王子殿下と一緒にチェスをするようになった。
毎日の忙しいおつとめも、時々訪れるこんな楽しい日々のおかげで、つつがなくこなしていけた。
◇◇◇
そしてついに結婚式が終わり、ミレイラ王女殿下は妃殿下となった。
結婚式を終えた新婚の王子殿下、妃殿下の二人は毎日毎日どんどん仲睦まじくなっているように見えた。
ある日、王子殿下と会話の折に「そういえば」と話を切り出された。
「ミレイラが君に紅茶を淹れたいと言っていたよ。この国の味を是非楽しんで欲しい」
「ありがとうございます」
なぜ突然紅茶の話? と思ったけれど、隣にいたミレイラ殿下が悪戯っぽくウインクするので合点した。
――煮え湯を飲まされたなら、その煮え湯で紅茶を淹れればいい。
あのたとえ話を、ミレイラは王子殿下とも話しているのだ。
二人っきりになったあと、ミレイラに私は文句を言った。
「あのお話、なさっていたのですか? ……恥ずかしいです、なんだか」
「王子殿下はあなたにきっと素敵なお茶を用意してくれるわよ」
「忘れておりましたのに、故郷の事なんて」
「そうね、それがいいわ」
くすくすと冗談を言い合いながら、私は満たされた思いを感じていた。
ミレイラ殿下は嫁いだあとも幸せに笑っている。
もちろん楽しい事ばかりではない、苦労もしていると侍女だから知っている。
けれど苦労も失敗も全部養分にして、王子殿下の愛情を受けてきらきらと輝く。
結婚して終わりじゃない。ずっときらきらの笑顔でいられるミレイラ殿下が、私はとても嬉しかった。
私も、ミレイラ殿下に親愛をもって尽くしていこう。ミレイラ殿下の笑顔のために生きていこう。
――もう、結婚は一生しないと心に誓った。
◇◇◇
私はミレイラ殿下の嫁ぎ先で真面目に働き、ツヴァル王国での高い評価を受けた。
ミレイラ殿下も王子殿下も、皆さんが私が得意な仕事をまかせてくれたおかげでもある。
故郷のレキシス王国にも私の活躍と評判の噂は伝わったようで、実家から手のひら返しの連絡が届いてくるようになった。
「お金を払ってでも、私を追い出そうとしていたのに……」
呆れたけれどお茶請けくらいにはなるだろう。
そう思って休憩時間、ミレイラ殿下に届いた手紙を共有すると、殿下はさも面白そうに眺めてくれた。
「なになに? 『故郷にはいつ帰ってくるの?』『仕事ばかりするのもいいけれど、そろそろ良縁を得ないと行き遅れるわよ』『薄情者』……ふふ、家から追い出そうとしていたのにね」
「義実家からは素直に『よくもうちの息子を捨てて成り上がろうとして!』と怨嗟の声が届いております。こちらです」
「あはは! そっちからも!? 素直すぎてかえって面白いわ」
プライベートな空間で屈託なく笑う殿下に、私は肩をすくめた。
「でもこの調子ですと、祖国では私の評判は悪いままなのでしょうね」
親を捨てて婚約者の顔を潰した、生意気な女扱いだろうと思う。
ミレイラ殿下は楽しそうに手紙を折って鳥を作る。そして飛ばしながら目を眇めて笑った。
「いいじゃない。男に煮え湯を飲まされて、国外に行って仕事に生きる悪役令嬢。かっこいいと思うわよ」
「そう言ってくださるのはミレイラ殿下だけですよ」
「そうでもないわよ、ねえ、フランツ様?」
ミレイラ殿下が後ろを振り返る。そこには同じ部屋で側近とチェスに勤しむ王子殿下がいた。
そう。広い私室の中で、王子殿下は側近と遊んでいたのだ。
皆さんは、ミレイラ殿下に話題を振られ、顔をあげて人好きのする屈託のない笑顔を見せる。
「ああ。私たちはケイト嬢が真面目な侍女だとしっかり見ているからね」
「ミレイラ殿下がケイト嬢にべったりだから、なかなかふたりっきりになれないって、王子殿下もときどき焼き餅焼いてますけどね」
「おい、それを言わないでくれよ。かっこ悪いじゃないか」
ははは、と側近のみなさんは笑う。ミレイラ殿下も笑って立ち上がり、チェスで劣勢に立つ王子殿下に後ろからハグをしてキスをする。幸せそうだ。
私は皆からの評価に、嬉しくなる。
容姿や家柄ではなく、働きぶりや人格を褒められると満たされた気持ちになる。
「私は幸せです。精一杯、ミレイラ殿下の幸せのために一生仕えさせていただきます」
ミレイラ殿下は微笑む。その笑顔を守れるだけでも、私は幸せだと思った。
◇◇◇
夏、故郷の記念式典に私たちは出た。輿入れから結婚式を経て、一年ぶりの里帰りだ。
城で開かれた式典で、私は皆に驚かれた。
侍女として能力を求められ、親や元婚約者の目を気にせずのびのびと過ごす生活が幸せで、どうやら以前よりもずっと輝いて見えたらしい。
両親は式典で私を見るなり、ずかずかと近づいてきて人目も気にせず叱りつけた。
「どういうことなの!? 婚約者を捨てて、家族を捨てて、連絡もろくにしないなんて!」
人前で恥ずかしい、そもそも今回は両国交流の大切な場なのに。
どうしたものかと思っていると、ミレイラ殿下がにっこりと微笑んで近づいて、私の腕を取る。
「彼女は私の侍女。外交問題にもなりますので慎重な手紙のやりとりを心がけてもらっているのです」
「あ……王女殿下……」
青ざめた両親に殿下は微笑み、そして遠くですごい顔をしている義両親にもにっこりと笑う。
「手紙でも送った通り、今後の彼女の身の振り方については王宮を通して連絡します。私の侍女への私的な訴えは今後も通せません」
柔らかくともきっぱりとした態度だった。
両親はそのまま引き下がらざるをえなかった。大勢の前で王女殿下直々に咎められたのだから、今後は少しはおとなしくなってくれるだろう。
「申し訳ございません。家族を抑えておくのも私の役目ですのに」
「むしろ人前で私がぴしゃりと言えてよかったわ。……さあ、嫌なことは忘れて。式典はこれからよ」
「はい!」
私は式典に堂々と参加した。
国王陛下も妃殿下も、私の働きを実家と元義実家の目の前で、堂々と褒めてくださった。
満たされたまま式典を終え、その後は交流パーティへの参加となった。
ミレイラ殿下が王族だけで集まり、侍女もそれぞれバラバラに仕事をし、ちょうど私が一人になったときだ。
近くから意地の悪い笑い声が聞こえてきた。
「おいみろよ、あれが悪役令嬢様だぜ」
「うわ、恥ずかしくないのかな……こんな場所に来て」
元婚約者リオネス様とその親友ゲイン様、そして悪友達が私をネタに笑っているようだった。
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