第2話
ミレイナ殿下が言う。
「でもケイトは公爵令嬢なんだし、次の結婚相手くらいすぐに見つかるんじゃないの? 私の結婚相手の、フランツ王子殿下も側近のみなさんも、ケイトのことは素敵な方だっていつも褒めてるわよ」
「……結婚相手……ですか……」
ミレイラ殿下の言葉に、私は心が曇るのを感じた。
さあ、今日のお茶会で伝えたかった本題を、切り出さねばならないようだ。
「同世代の貴族令息だと義実家が怒るから、隣国の50代男性貴族の後妻に入ることになったのです」
「え」
「今日はそれをミレイラ殿下にお伝えしたく伺ったのです。実家からわざわざ先方にお金を握らせて頼み込んで、私を引き取ってもらうみたいです」
「そんな、娘を産業廃棄物みたいに……」
「実家もさっさと私を片付けて、家名の傷を無かったことにしたいみたいなので」
「……最悪。断らないの?」
「断ったって、生きられません。私には何もありませんので」
私は自嘲の笑みを浮かべた。
「貴族令嬢としての飼い猫の人生しか過ごしたことのない私です。今更野に出て強く生きられません。……わきまえなければ」
「何もないなんてこと、ないじゃない。あなたは今まで良くしてくれたし、賢いし、政治にも流行にも明るいわ。私も何度助けられてきたか」
「それでも……貴族の娘としての信用は、悪評と婚約破棄で崩れてしまいました」
目を伏せて、悲しみに耐える。
どう足掻いても、全てを捨てて逃げるなんてロマンス小説の中だけの話だ。嫁ぎ先の男が意外といい男というのも、ロマンス小説の中だけ。
現実は土気色。次の世代の苗床になって、養分になって、死を待つだけの腐葉土。
それが結婚後の人生だ。
ああーーだから気持ちを狂わせる極彩色で花嫁を彩るのねと、今更なんとなく腑に落ちた気持ちになった。何も知らない娘時代に鮮やかにラッピングして、この世の春を楽しんだ後に煮物色の人生を過ごす。
貴族にとっても平民にとっても、女の人生って所詮そんなものだ。
「ミレイラ殿下。私はあなたに出会えて本当に幸福でした。幼なじみとしておそばにいて、一緒にお茶をして、いっぱい誰にも言えない愚痴を言い合って。……楽しかったです」
「ケイト」
「悪役令嬢と誹られても、私はミレイラ殿下との思い出を胸に、」
「ケイト……! それ以上は、言わないで」
ミレイラ殿下が涙ぐんでいる。
「こんなことってないわ。真面目に生きてきたあなたが、幸せになれないなんて」
「私はミレイラ殿下がお幸せになれば、それで報われます……」
「……ケイト……」
ミレイラ殿下は既に隣国ツヴァル王国の王子、フランツ王子殿下との結婚を来年に控えている。長身で笑顔が明るく、プラチナブロンドが美しい王子殿下だ。
何度かお会いしたけれど、優しくて、責任感が強くて、立派で、ミレイラ殿下が気づいていない場所でも、ミレイラ殿下を愛おしそうに見つめる信頼できる男性だった。ミレイラ殿下ならば永遠の春を彼と過ごせるだろう。友人が幸せなら、それも悪くない。
そう思いながらミレイラ殿下の涙を拭うと。
目を開けたミレイラ殿下は、強い眼差しをしていた。
「あのねケイト。あなただって、幸せになる権利はあるわ。悪役令嬢がなによ。……そんな噂、この国の中だけの話よ。……うん、決めたわ。私はあなたに幸せになってもらいたい。だって、あなたは大切な親友だもの!」
ミレイラ殿下の瞳にはいつしか決意が滲んでいた。
私は知っている。ミレイラ殿下は表では楚々とした慎み深い王女殿下だけど。
この強い意志の瞳をもったときには、なんだって不可能を可能にしてしまう、強い女の子であることを。
ミレイラ殿下は私の手を握って、椅子から腰を浮かせて言った。
「決めたわ。当て馬にされたのなら、当て馬に仕返してやればいいのよ」
「えっ」
「男の友情に煮え湯を飲まされたなら、女の友情で、煮え湯で紅茶を沸かすのよ!」
◇◇◇
ミレイラ殿下は、その後、あまたのお茶会で根回しを始めた。
「私が輿入れする際の筆頭侍女はケイトが適任だと思うの」
悪役令嬢と噂される私の指名に、貴族達は皆困惑した。
「ケイト様は……しかし、悪評があるし……侍女としては不適格では」
「そもそもプライドも家格も高い公爵令嬢を、王女付きとはいえ侍女にするのは……」
悪いことなど何もしていないはずなのに、悪評はすっかり広まっている。
しかしミレイラ殿下はにっこりと笑い、どんな手を使ったのか皆の意見を一蹴したのだ。
「お嫁に行くに当たって、公爵家の侍女をつけるのは隣国へ強いアプローチとなるわ。それだけ今回の婚姻を大切にしているという、ね。 どんな曰く付きかなんて、これからどうとでもなるのではなくて?」
彼女の微笑みは、有無を言わさぬ力がある。
この国の貴族令嬢達が要らぬ諍いを起こさないのは、彼女の手腕あってのものなのだ。
そして私は装いをすっかり改めて、ミレイラ殿下の侍女として付き従った。
私は恩義に報いるため、ミレイラ殿下を美しく映えさせるため、従者として生きた調度品であることを意識した。
ミレイラ殿下が大ぶりの花だとすれば、その周りを飾るかすみ草のように、葉のように。
元婚約者たちの振りまいた悪評すらアクセサリーにした。
高慢な公爵令嬢が反省して改心したのは、ミレイラ殿下の力あってこそのものだと言われるように。
そう――そもそも、私を叩いても埃は出ないのだ。
根も葉もない噂話を広めるにもネタがない。
だって私は、ただひたすらに元婚約者の婚約相手として、公爵令嬢として真面目に生きてきたのだから。
「ありがとうございます。いただいた新たな人生を大切にし、誠心誠意をもってお仕えさせていただきます」
「新たな人生なんかじゃないわ。ちょっと蠅を払っただけよ」
私が感謝の言葉を伝えると、ミレイラ殿下は肩をすくめて笑った。
「馬鹿らしい悪評も覆せたのは、ケイトが元々しっかりしていたおかげなんだから。私がこうして王女として堂々と偉そうに出来ているのも、友人のあなたがしっかりと支えてきてくれたからよ。これからもよろしくね、ケイト」
後日。
私は国王陛下直々に命じられた。
ミレイラ王女殿下付きの侍女として、一緒に隣国ツヴァル王国に行くように、と。
国王陛下に命じられてしまっては、実家も義実家も反発を許されない。
お金を握らされて無理矢理私を娶るつもりだった年上の婚約者は、当然のように白紙にしてくれた。
私に対する手紙にそっと
「幸せになりなさい」
と書いてくれたから、きっといい人だったのだろう。
なによりミレイラ王女殿下だけでなく、嫁ぎ先の隣国からも、私を歓迎する連絡が届いているのだから。
◇◇◇
そうしてミレイラ王女殿下は妃殿下となるべく隣国に輿入れし、私はミレイラ妃殿下付きの侍女として同行した。
「ようこそ我が国に。ミレイラと一緒に来てくれて本当にありがとう」
フランツ王子殿下は私的な場を用意して、わざわざ一介の侍女である私に挨拶をしてくれた。
また、王子殿下は私を近衛騎士に引き立てた学生時代からのご学友たちとも会わせてくれた。皆高位貴族の令息で、今までもミレイラ妃殿下と一緒にお会いしたことがある。
令息達の姿に、私は一瞬身を固くする。それに気づいたミレイラ殿下が私の肩を撫でた。
「大丈夫よ。皇子殿下のお友達は、あなたの悪評の事なんて信じてないから」
王子殿下はウインクをする。
「君がどんな扱いを受けていたのか、ミレイラからずっと愚痴を聞かされていたよ。これからもミレイラの話し相手をしてやってほしい。僕だけじゃ、ミレイラのおしゃべり全部を十分に聞けないかもしれないからね」
「もう、王子殿下! 私そんなおしゃべりですか?」
「そういうところが可愛いんだよ」
二人は屈託なく笑いあう。
ミレイラ殿下と王子殿下が一緒に並ぶと、本当にお似合いで美しかった。
そしてそんな二人と一緒にいる側近の皆さんも、親切で優しかった。
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