ep4 聖犬

「若者よ。死ぬんじゃないぞ。」

村長の言葉に漆黒は何も答えない。代わりにルインが愛想を振りまいた。

「大丈夫です。危ないと思ったら逃げますので。」

「そうじゃ。命を粗末にしてはならぬ。」

「分かっています。お気遣いありがとうございます。」

ルインはそう言って深々と頭を下げた。漆黒はそのやり取りをつまらなさそうに眺めているだけだった。

「では漆黒さん。行きましょう。」

「あぁ。」

ルインが村長から場所を教えてもらっていたので、ルインの先導で漆黒は後ろをついて歩いた。

 村を出てすぐにルインは西にある大きな山を指差した。

「あそこに見えるのがガレイド山だそうです。」

漆黒はルインの指の先にある山に目を向けた。

(あそこにだけ雲がかかってやがるな。)

漆黒の優れた視力には、山の頂上辺りを覆う雨雲が写っていた。

「漆黒さん。どうかしました?」

「いや、なんでもねぇ。行こう。」

二人はガレイド山に向かって歩き出した。

 四十分ほど歩くと、山道への入り口が顔を出す。

「漆黒さん。ここから先はダンジョンと同じです。どこから魔物が襲ってくるかわかりません。気をつけて進みましょう。」

「あぁ。」

漆黒はそう答えると目を瞑り、耳を澄ませた。ルインはその様子を隣で静かに見守っている。

(生体反応が多すぎて上手く認知でかねぇが、強そうなのは。二つか。一つは犬?にしては行動が奇妙だ。もう一つは感じたことのない反応だな。本命はこっちか。)

「何か分かりましたか?」

ルインがそう尋ねると、漆黒は静かに目を開けて答えた。

「おそらく本丸は頂上付近の広場にいる。でもその前に奇妙な犬と鉢合わせることになりそうだな。」

「奇妙な犬、ですか。」

「あぁ。犬の嗅覚なのかは分からねぇが、こっちの存在にすでに気づいてる。でも標的はあくまでも俺らじゃねぇ。」

「どういうことですか?」

「行ってみれば分かる。」

「そうですか。それにしてもここからでもそれだけの情報が得られるとは。やはり漆黒さんは異能力者に匹敵しますね。」

「ただの殺し屋だ。今は殺せねぇけどな。」

「そうですね。殺すのはいけないことですから。」

二人は山道へと足を踏み入れる。周辺からは魔物の気配がひしひしと伝わってくる。

「私でも分かります。魔物の気配が。」

「あぁ。多いな。騎士団が物量で敵わなかった意味がなんとなく理解できるぜ。」

「自分で言うのもなんですが、私、戦闘に関しては何の役にも立たないので。守ってくださいね。」

そう言ったルインは少し震えていた。

「あぁ。分かってる。とりあえずこの魔物どもを少し黙らせるとしようか。」

「今度は何をする気ですか?」

「なんてことはねぇ。ちょっとだけ実力の差を見せつけてやるのさ。」

漆黒はそう言うと、一度目を瞑る。そして次に目を開けた時に鋭い殺気を周囲に放った。

「これは。魔物の気配が消えました。何をしたんですか?」

ルインは早口でそう聞いた。

「殺気だ。殺気は闘気とも言える。殺し屋は普段それを隠してんだ。」

「つまり。それを解き放ったと?」

「そうだ。おまえらの実力では敵わねぇってのを気で送り込んだって感じだな。」

「そんな異能力もあるのですね。」

ルインの震えは止まっていた。そしてキラキラした目を漆黒に向けている。

「異能力じゃねぇよ。実力だ。それに何がそんなに嬉しいんだ?」

「それは。戦わずして魔物を追い払うなんて嬉しいじゃないですか。」

「まぁな。でも強いやつには効かねぇ。なんなら犬は尻尾振って喜んでやがる。」

「いったい何者なんでしょうね。その犬。」

「ただの犬ではないだろうな。」

二人は魔物の気配が消えた山道を頂上に向かって歩いて行った。二時間ほど登ったところで漆黒がルインを止めた。

「犬が動き出した。近いぞ。」

その言葉にルインは気を引き締める。

(やはり奇妙だ。そこにいるのに襲ってくる気配がねぇ。)

漆黒は短剣を手に取った。それを見てルインは一歩後ろに下がる。緊迫した時間が流れている。

「右の脇道だ。そこからくる。」

漆黒に言われて、ルインは右に視線を向けた。

(こいつ。犬にしては相当強いな。)

漆黒はニヤリと笑って見せた。

「何で笑ってるんですか?魔物がくるのですよ。」

「もうきてるぜ。」

漆黒にそう言われて、ルインは再び右の脇道に視線を向ける。そこには芝犬が四本足で堂々と立っていた。

「隠れもしねぇってか。おまえは何者だ?」

漆黒は犬に向かってそう聞いた。

「相手は犬ですよ?言葉が通じる相手ではないです。」

「いいから。静かにしてろ。」

漆黒にそう言われて、ルインは黙った。

「わんっ。」

犬の声が山道にこだまする。

「ただの犬ってわけじゃねぇんだろ?」

「わん。」

「ほう。それで?」

その光景はまるで会話が成立しているようだった。ルインは目を丸くして見ている。

「わん。」

「でもよ。おまえ、相当強いじゃねぇか。そんなおまえでも敵わねぇってのか?」

「わん。」

少し犬の声色が落ちたことにルインも気づいた。

「だから尻尾振って従ってたってわけか。おまえ。強いくせに臆病者だな。」

「わん。」

「ちょうどいい。そいつは俺が倒してやるからよ。おまえはその間ルインのこと守ってろ。」

「わん。」

漆黒はルインの方を見た。

「だそうだ。」

「何も分かりません。」

ルインは声高らかに叫んだ。

漆黒はルインに話を説明する。

「こいつは元々ここを通る人間を、魔物から守っていた存在らしい。それが山頂に棲みついた化け物には勝てねぇと悟って従ってたんだとよ。誰かがその化け物を倒せやしねぇかと考えていたところに俺たちが来たってわけだ。で、俺が戦ってる間、ルインのことはこいつが守るって契約を交わしたって感じだな。」

「それは良いのですが。どうして犬の言葉が分かるのです?」

「なんとなくだ。」

そう答えた漆黒に、ルインは苦笑いを浮かべた。

「分かりました。犬さんよろしくお願いします。」

「わん。」

こうして二人に一匹が加わり、山頂に向かうことにした。

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