第5話 持たざる者、嗚呼、非力なり 五


「では、早速で悪いが、西の山脈に突如として現れたドラゴンの討伐をお願いしたい」

「えぇぇ……あの、いきなりハードルが天空の城まで届きそうなお話なのでとりあえずお断りします」

「君はだって魔術の心得があるだろう? だからこそスカウトしたんじゃないか」

「さっきはイケメンだからって言ってたはずじゃ……。というか、私魔術なんて扱ったことないし、そもそもこの世界初めてですし」


 そう言うと、彼女は困ったような顔をして首を傾げていた。

 どうしたら私が魔術が使えるなんて思われるのだ。まったく意味が分からない。しかし、魔術とやらが使えるなら是非試してみたい気はするけれど。


「この世界が初めてって、つまり、君はこのイスタスの国にやってくるのが初めてという意味かい」

「いやいや、この国はおろか、この国を含むすべての世界が初めてです。カルマのことだって全然分からないし」

「おいおい、さすがにカルマも知らないでなんでその歳になるまで生きていられるわけがないじゃないか。カルマが育たなければ、日々の生活だって暮らしていけないんだぞ」

「はあ、まずはそのカルマについて教えてほしんですがね」


 素直に頭を下げると、姐さんは唖然として黙り込んでしまった。

 それから諦めたように顔を上げて、書棚に向かい、一冊の本をテーブルの上に置いた。


『五歳から始めるカルマの絵本」

「これを読め」

「いやです。姐さんから説明して」

 盛大なため息が私の顔に吹きかかってきた。


「本当にカルマについて何も知らないのだな。ーー分かった。一から説明をしてやろう。今はまだ君がこの国、いやこの世界に何故やってきたのかはとやかく詮索はしない。なぜボクが猫の顔を持っているかのと同じようにね」


 彼女が含んだような笑い声をあげた。


 ……? なんだろう、今のはどういう意味だ。まるで私がまったく違う世界からこの世界へやってきたことを理解しているような感じだった。


「さて、カルマとは何かだが」


 私の頭の奥深くにチカっと光ったとても重要な疑問を吐き出す前に、彼女は説明を始めた。


「簡単に言ってしまえば、個人の人生における行動指針であり、あらゆる生活の糧となるものがカルマだ。そしてカルマには善と悪にはっきりと分かれる。良き行いをすれば善性のカルマが貯まり、悪き行いをすれば、悪性のカルマが貯まる。そして、この世界の理では貯まったカルマを消費することで、生きていくためのあらゆるものを交換できる循環システムになっている」


「交換? それはつまり、カルマにはポイント制のようなものになっていて、貯まったポイントで武器や魔術? みたいなものと交換するということですか」


「そうだ。武器や魔術だけではない。普段当たり前に口にする食べ物だってそうだ。衣服や生活に必要なものすべてもカルマで取引される」


「つまりは、カルマにはお金と同じ価値があるということですか」


「そういうことだ。さっき君にドラゴン討伐を依頼して儲けてきてもらうつもりだったのも、もちろんカルマを貯めてきて欲しいとお願いしたつもりだったのだよ」


「なるほど。ちなみにドラゴンを倒すと善と悪、どっちのカルマが貰えるのでしょうか」


 それは少し難しい質問だ。と言って彼女は少し考えていた。


「たとえば、君を主観として見て、西の山脈に人里を襲うドラゴンが出現したとする。君がそのドラゴンを倒したとしたら、君は良い行いをしたと思うか。それとも悪い行いをしたと思うかね」


「それはもちろん人を助けているんだから、良い行いでしょう」


「その通りだ。では次に、ドラゴンを主観として、ドラゴンは西の山脈で赤ちゃんドラゴンを育てていた。人を襲うつもりもなく、秘境に囲まれて穏やかに暮らしているところに、君はそのドラゴンを倒しにいった。この場合はどうだ?」


「おそらく、そんなドラゴンを倒したら悪のカルマが手に入るのでしょうね」


 彼女はゆっくりうなずいた。

 なるほど、自分の立場や相手の立場の状況によって善と悪は入れ替わるということか。


「良い行いをしたつもりが、気がつけば悪のカルマでいっぱいになっていた。なんていうこともあり得そうですね」


「いや、それは大丈夫だよ。あとで体験してもらえればすぐに納得してもらえると思うけれど、カルマを得る行為を行おうとした時に、対象物が蒼く光っていれば善性のカルマ。逆に紅く光っていれば悪性のカルマだ。それにね、今も話したようにカルマの善悪だけで捉えれば、どっちのカルマだって価値としては変わらない。要するに善悪などというものは立場や己の主張で善が相手にとっては悪であり、善が相手にとっては悪となり得るからだ。それは分かるかな」


「ええ。なんとなく分かりますよ。しかし、それだったら善悪など分ける必要もないと思うけれど」

「ふふ。なかなか賢いところをついてくるじゃないか。ボクたちが得る善悪のカルマは同等の価値だ。まあ、闇専門のショップや光専門のショップみたいな、こだわりのあるところでは片方のカルマしか受け付けない。みたいな例外もあるんだがね」


 世界はカルマという概念と物質的価値の等価で回っている。

 面白い世界観だと、私は思った。

 教会で乞食神様が言っていた、カルマを得よという意味が、ようやく理解できてきた。


「カルマについては大体分かりましたよ。どっちを得ても問題はないということでしょう」

「ふふん。果たして、君は実際にカルマを得るときに、同じ言葉をいえるかな」

「それはどういう意味ですかね」

「そのままの意味だ。まあいい。あとは実際にカルマを集めてきたまえ。ただ、詳しいことはまた今度にするが、最後に一つだけカルマについて進言しよう」


 彼女はまるで猫のような長い舌をぺろりと出してから、話を締め括った。


「善のカルマはこの世界に誕生する勇者に、悪のカルマはこの世界で眠り続けている魔王に、この世界で力は注がれていく。そして、どちらかのカルマが満たされた時、世界の均衡は崩れ、世界は壊れていく」

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