第4話 持たざる者、嗚呼、非力なり 四

 縄で縛られていた両手首の痕をさすりながら、私はどういう理由かも分からずに解放してくれた彼女の後ろをついていく。

 看守なのか人身売買の商人ような男に彼女は何かを渡していた。

 たぶん、金銭的なものなのだろう。

 私はさながら、商品(奴隷)だったのかもしれない。


 雑誌やテレビで見るようなヨーロッパの街並みのようなストリートを、軽快な歩幅で彼女はスイスイ歩いていく。

 タイトな黒いズボンの、プリプリのお尻からしっぽは生えていなかった。

 人間……なのか。猫なのか。

 いや、比率からいえば猫なのは今のところ顔だけなので、どちらかといえば人間なのかもしれない。

 

 行き交う人々は彼女の容姿を見ても、誰も驚いたりはしていない。

 ということは、彼女の存在はこの街においては異端ではないのだろう。

 むしろ、パンツ一丁で歩いている私の方へ冷たい視線がつぎつぎに送られてくる。

 そうだった、異端者は私だ。まあ、カテゴリーは変態の部類になるわけだけど。

 早く服を着たいんですがね、キャット姐さん。

 とりあえず、異世界だからといって、私の知っている常識がここにもちゃんとあって、なんでも許されるわけではないということは身をもって知れたわけだ。

 こん棒を持ってなくて本当によかった。

 そして今日という日が冬じゃなくてよかった。


 通りを抜けた細い路地に入り、三階建ほどの石壁でできた建物に彼女は招き入れてくれた。

 なんとなくマフィアの手下にでもなったかのような、アジトみたいな古い建物だった。

 アーチを描いた木枠の重厚なドアを引いて中に入る。

 微かにカビ臭いけれど、こざっぱりとした事務所のような部屋だった。

 そういえば、建物のドアのすぐ上には【萬(よろず)屋管理商会】という看板があった。

 なんで異世界の文字が読めてしまうのかは今は深く考えないでおくとして、文字の印象から会社のような場所を連想させた。


「おつかれさん。喉が渇いだろう? あいにくみんな出払っていてたいしたものは出せないが」

 そう言って彼女は陶器のグラスに水を入れてくれた。冷たくて美味しい水だった。


「あの……私は」

 いったい何から話せばいいのか分からず、それよりも聞きたいことの方が遥かに多くて戸惑っていると、彼女は片手を突き出すようにして私の言葉を遮った。

「君はね、あそこで売られていたんだよ。下手をしたら一生あの場所で臭い飯を食わされ続けていたかもしれない。よかったな」

「あなたが助けてくれた、ということでしょうか」

 私の言葉に、彼女は小さく頭を振った。

「助けたわけじゃないかな。結果としては君は少なくとも臭い飯を犬のように食わずに、そして冷たい石床に寝なくてもよくなった。まあ、買ったんだ、君を。ボクが」

 少しだけ後ろめたさがあるのだろう、彼女は慎重に言葉を選びながら言った。

 この世界でも、人身売買は道徳的に反しているのだろう。

「はあ、そういう雰囲気は感じ取っていたので。私の他にも奴隷があそこにはいたようですが、なぜ私を?」

「君を選んだ理由かい。それはもちろん、イケメンだったからな」

 悪戯っぽくさらりと言う彼女は、ペロリと舌を出した。

 それなりの距離からでも分かった。彼女の舌は猫舌だった。きっと舐められるとザラザラするに違いない。


 えっと、ちょっとここでまた転生前の自分を振り返ってみようか。

 私ってイケメンだったっけ?

 部屋の中をぐるりと見渡して、右手に姿見を見つけて目の前に立ってみる。

 いちご模様のステテコパンツを履いた引き締まった肉体の青年が映し出された。

 さっき歩いていた時から気づいたのだけれど、以前よりも目線の位置が高かった。おそらく身長は百八十センチは超えている。

 髪は長く無造作にはねてはいるが、黒くてツヤツヤしている。

 目元は二重で涙袋がぽってりとしていて、鳶色の瞳に意志の強そうな眉。そして男らしい少し無骨な鼻に、口角の上がったふっくらとした唇。

 整った目鼻立ちに、男としての色気と器量を追加するかのように、控えめに主張している出っ張った頬と顎。


 お、おう、えげつないほどのイケメンじゃねえか。これわ。

 まるで身体全体から花の匂いでも薫ってくるかのような漢ぶりだった。

 

 人を刺すような一重の眼差し、当時はヒットマンと言うあだ名を持ち、毎日風呂上がりには育毛剤を頭に必死に振りかけ、深夜飯とストレスからダイエットもままならず。

 彼女ができないのは激務の日々でそんな時間もないのと、エリート過ぎるが故のある種の敬遠があったに違いないのだと、自分に言い聞かせてきた。

 彼女などという邪念に邪魔されず、仕事に生きようと誓ったのもこの頃だ。

 死ぬほど、いや死んだほどきつかった仕事にすがる人生はなかなかのものだったなぁ。ふう。


 よし、彼女作ろう。

 猫の顔をした女以外の彼女だ。


「どうした? ニヤニヤしていて気持ち悪いぞ君」

「にへへ? そうですかにゃ」

「やめてくれよ、そういう変なキャラは」

 

 心底不快そうに猫の顔がゆがんでいた。


 まあ、たぶんあれかな。魅力を上げてくれた効果だろうな。

 ふと思い出して、あの教会のような場所で神様が私に施してくれたのだ。

 今度神様に会ったら、一発殴る前にお礼を言わなきゃな。


「姐さん、私を選んで何をさせるつもりですか」

 ちょっと声音を低くして、イケメンにふさわしい厳かに喋ってみた。

 喉の奥にそら豆でも詰まったかのようなバリトンが口から漏れ、まだまだ発声練習が必要のようだった。

「ん? 君に何をさせるかって。もちろん最初のうちは働いて稼いできてもらうんだよ。ここは萬屋管理商会。商人ギルドの一環だからね」


 そう言うと、キャット姐さんは用筆紙とペンを持ってきて、商人の顔つきに変わっていった。

 どうやら私は、異世界にやってきても働かされるらしいね。まったく。

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