第5話 これも書かれてはいませんでしたが、それどころではありません

 華やかな夜会も終わり、王都での主だった行事がなくなると、参加した貴族たちは名残を惜しみながら領地へと戻り始めた。

 許される限りの多くの荷物と人の移動は途切れることはなく、毎年のこととはいえ、大きな街道には賑やかな光景が広がることになる。


 そんな大移動の中、少し変わった一行が紛れていた。40人は超える大所帯も目を引くが、他の一行と違うのはそれだけではない。

 馬車よりも馬の数が圧倒的に多く、洗練さよりも実用を重視した旅装で身を固め、その上、揃いもそろって騎馬の仕方がやけに無駄がない。

 軍で騎乗も移動も鍛えられているフェリシアたちの一行だった。


「お嬢ぉ、遅いよ、これ。だから夜行がいいって言ったのに」


 無駄はなくとも不満はあることを、はっきりと示したヴィクターを黙殺し、フェリシアは淡々と馬を進めていた。もちろん彼女も騎乗している。馬車は荷物のためのものだ。

 フェリシアとて、渋滞した道をゆっくりと進むことにもどかしさを感じてはいるが、これも仕方のないことだ。

 

 北の辺境伯領の応援には、祖父ではなく自分が向かうことになった。

 けれども、まだ事が起こるかどうか分からない段階である。

 どこに潜んでいるか分からない敵の目を欺くことは難しくとも、せめて国内に動揺を起こすことは避けたいため、フェリシアは表の理由を用意した。

 

 そう、実に素晴らしい理由があったのだ。


――譲渡されたトレス金山の視察に出向く。


 トレス金山は、辺境伯領から馬で5日かかる距離に位置している。早馬で強行すれば何とか3日でつくことができるとあり、今回の目的に位置的に最高の場所なのである。

 乾いた笑いを飲み込んで、フェリシアは「トレス金山の視察」に赴くことにしたのだ。


 不満をため込まないヴィクターをやり過ごしながら、できる限り自然な移動を装い、ようやくトレス金山にたどり着いたフェリシアだが、ついて早々、旅の疲れを癒やす間もなく、どこか既視感を覚えながら目を眇めることになった。


 彼女の目の前には、青地に銀の槍が描かれた紋章を付けた隊服に身を包む、生真面目さを体現したような男が跪いている。

 さらに彼の背後には20人ほどの隊員たちが、同じように跪拝している。レイモンドが創設した部隊「銀の槍」だ。

 目の前の男、隊長のルークがいうには、「新しい領主」がこの地に馴染むまでの混乱を抑えるべく駐留しているという。――さらには「新しい領主」の護衛もするという。

 自分の護衛はさておき、確かにレイモンドがトレスを視察するときは、この部隊が随行していた。領民たちには馴染みの部隊ではある。


 ではあるが、もちろん、この部隊がここに駐留することになるなど、婚約破棄の賠償に含まれていなかったし、説明も受けていない。


――もうこれ以上、後出しはないでしょうね。


 フェリシアは内心で頭を抱えていた。

 まだありそうなところが恐い。そして、もし出てきたとしても、驚きもせず平然と受け入れてしまいそうな自分も恐い。こんなことに慣れてしまうことが恐い。

 内心の動揺はまだまだ収まりそうにないものの、それをおくびにも出さず、簡潔に結論を口にした。


「好きにしたらいいわ」

 これまた既視感を覚えてしまう言葉だったけれど、結論が同じなのだから仕方ない。

 そう自分に言い聞かせようとしたとき、目の前のルークが大きく目を見開いていることに気がついた。あっさりと了承したことが意外だったらしい。


 フェリシアは彼のその表情に憮然とした。

 確かに、この部隊の駐留を知らなかったこと――知らされていなかったことは、領主として大問題だ。

 けれど、幸いにして今は銀の槍についてあれこれ考えなくともよい理由があった。

 辺境伯領の対応が最優先であり、事態は切迫している。

 そう、切迫しているのだ。トレスを治めることは、後で考えるしかない。

 フェリシアはその大義名分に全力で縋ることにしたのだ。

 

 なぜなら、面倒なのだ。

 これはフェリシアが怠けているという訳ではない。……多分。

 理由があってのことだ。ルークを撤退させるのは恐ろしいほどの困難を要することは分かっている。

 ダスティンと同じく、ルークはレイモンドを心酔している。いや、自身を初の平民出身の部隊長に引き立てたレイモンドへの心酔ぶりは、ダスティンを凌ぎ、レイモンドを神のように崇め奉っている。

 それどころか、恐らく、神とレイモンドのどちらを信じるかと問われれば、瞬時にレイモンドを選び取るだろう。

 道理を捨てた崇拝が端から見れば重すぎて、レイモンドがルークを隊長に任命した後のお茶の時間に、思わず言ってしまったのだ。


『ダスティンにしても、ルークにしても、レイは異常なほど心酔されているわね。事が起こったときに支障が出ないか心配だわ』

 

 フェリシアの指摘に、レイモンドは珍しく困ったような微笑みを浮かべた。


『フェリがそれを言うのかい?』


 彼の言葉の意味が分からず、問いかけようと思ったときには、なぜだか抱きしめられていた。


『フェリを女神と崇めている男性は多い。とても多い。……腹立たしいぐらいに。それでもフェリは指揮官を務めていて、軍は問題なく機能しているじゃないか』


 何やら問題をすり替えられてしまったが、レイモンドが承知の上で選んだのならフェリシアは引き下がるしかなかった。

 道理を押しのけたルークが、レイモンドの命令を守ろうとするあまり、見なければいけないものを見えなくなったとしても、それはレイモンドが補うと覚悟しているのだろうから。

 

 つまり――、

 ルークに駐留を拒否したところで、簡単に引き下がるはずもないのだ。

 その説得にかける時間が今はとにかく惜しいのだ。……幸いにして。

 

 何とか気持ちを整理したフェリシアは、表情を改めて付け加えた。


「こちらの邪魔をするようなら、容赦なく排除するから、覚悟しておいて」


 見舞われるはずだった既視感は、目の前のルークによって霧散した。

 フェリシアの言葉に、ルークはすっと表情を消したのだ。纏う気配までもが無になっている。


――?


 フェリシアはルークのその変化に不審を覚え、彼が退出した後も、彼のいた場所を見つめていた。

 ダスティンと違い、ルークにはあの言葉に纏わる因縁はなかったはずなのに、あそこまで反応を見せたのはなぜだろう。


 自由を制限された怒りは感じられなかった。

 何かを隠すようなものだった。

 何を隠したかったのだろう。


 フェリシアの沈思は、不満をため込まないヴィクターの長閑な声に打ち破られた。


「お嬢ぉ、今日は疲れているから、手合わせは他を当たって」


 瞬間、手合わせをしたい気分が勢いを付けて湧き上がったけれど、ヴィクターの心配は無用となった。


 辺境伯領に隣国アクフルーメン国が攻撃を仕掛けてきたとの早馬が到着したのだ。

 それだけではない。

 今後の協議をしようと、皆で部屋に集まったそのとき、もう一つの隣国、ヘルパ国が国境近くまで軍を移動しているとの知らせが入ったのだ。



◇◇

 まだ馴染むことのできないトレス城の大きな部屋に集まった面面が、中央に広げられた地図を睨んでいた。


 アクフルーメン国が仕掛けてきた場所は、ここから北西に馬で7日。

 ヘルパ国が目指していると思われる場所は、ここから北東に馬で5日。

 途中までの経路は同じでも、同時に応援に駆けつけることは、地理的にも人数的にも難しい。


 フェリシアは地図上のヘルパ国を凝視した。


 アクフルーメンが武器を大量に調達したのは、ヘルパからだった。国全体が疲弊したアクフルーメンに武器に資材を回す余裕はなかったのだ。

 そして、もちろん武器を調達する資金の余裕もなかった。

 それでも大量に調達できたのは、ヘルパの姿勢が影響していた。

 調達と言うよりも提供に近い安価が設定され、ヘルパには経済的に得るものが少ない契約だったのだ。

 

 当然、このような武器提供をしたヘルパ国に対しても警戒はしていた。国軍から辺境伯の北東軍への武具の増強支援も進めてはいた。今回、進軍の情報を掴めたように、諜報活動も強めていた。

 それでも最悪な事態には変わりない。

 

 フェリシアは視線をアクフルーメンに移した。

 まずは実際に戦闘が起きているアクフルーメン側から対応するしかないだろう。

  

「アクフルーメンの軍勢はどれぐらいかしら」

 フェリシアの問いに、辺境伯領から早馬で戻った諜報部のヘンリーが即答した。

「確認できたところでは、100人程度でした」


 フェリシアは眉を潜めた。

 辺境伯の北西軍は同じく100人程度だ。数の上では引けを取らないが、指揮官が不在だ。

 戦略を立て効率よく動くことができないなら、せめて数の上で優位に立ちたかった。

 長引けば、双方に増援がされることになる。短期決戦が望ましいが、それには戦略と決断に慣れた指揮官が必要だ。

 自分だけが北西軍に合流したとして、北東軍の指揮は足りるだろうか……。

 北東軍の責任者は、辺境伯の令息夫人の弟だが、フェリシアよりも2歳年下で、「現場経験を積む」ために任命されている。


 重い空気が部屋に漂い始めたとき、ヘンリーが報告を加えた。


「辺境伯の北西軍は新しい指揮官の下、敵を押し返し、国境で競り合っている状況です」

「え?」


 指揮官となる辺境伯と令息が「病」に倒れ、代わりを務める者がいないために、フェリシアはここまで出向いたのだが――、


「誰なんだ?」


 眉間に皺を寄せたヴィクターが、先に問いかけた。

 それは当然の質問だったけれど、ヘンリーは即答しなかった。

 息を小さく吸い込み、一拍の後、静かな声で答えを口にした。


「辺境伯縁の者としか確認できませんでした。アルと名乗っています」


 刹那、部屋の空気が鋭い緊張に満ちた。

 辺境伯軍を突如率いた指揮官の情報を収集できない――、諜報部に所属するものとして、それは許されない失態であり、ヘンリーは緊迫した辺境伯領に派遣される有能で優秀な諜報部員だ。


 これは明らかに裏切りを意味していた。


 カチャリとヴィクターが剣を鞘から抜く音を立てたのと、ヘンリーの隣にいた息子のチャーリーがヘンリーに掴みかかるのは同時だった。


「ヘンリー」


 フェリシアは声を放った。

 ヴィクターとチャーリーの動きが止まる。息子に胸ぐらを掴まれたままのヘンリーは、穏やかな眼差しをゆっくりとこちらに向けた。

 覚悟を決めたその眼差しに、フェリシアの胸に痛みが走ったが、一度の瞬きでやり過ごすと、決断を口にした。


「今から、総司令官の下へ行って、情報を伝えなさい」

「お嬢っ!」


 ヴィクターの怒りの声を、フェリシアは続けての指示で遮った。


「早馬で疲れたでしょうから、その後は先代のところで休みなさい」


 先代、フェリシアの祖父は、軍から退いた立場にある。実質的な謹慎だった。

 彼女の下した処分は甘いと、ヴィクターとチャーリーは不満を浮かべながら、それでも渋々姿勢を戻し、ヘンリーは静かに部屋のドアまで動いた。

 そして、その場で中に向き直り、深々とお辞儀をした。


「早く行きなさい」


 姿勢を戻さないヘンリーに声をかけると、彼はようやく頭を上げ、諜報部にふさわしい静かな動作で立ち去った。

 

 部屋には重苦しい空気が残っていたが、フェリシアはそれを黙殺した。

 追憶に耽る時間はないのだ。

 ヘンリーに裏切られたのは自分の人望が足りなかったから。――「新しい指揮官」よりも。

 自分の人望のなさに落ち込み改善を試みるよりも、なすべき事をなさなければいけない。

 

 フェリシアは仕切り直した。


「どうやら辺境伯領の方は、余裕がありそうね」


 ヘンリーの報告は指揮官について以外は淀みのないものだった。そこに裏切りはなかったとフェリシアは信じることができたし、他の面面からも異論は出なかった。

 ならば、残りに注力するまでだ。


「ヘルパ軍との交渉はどうなっているの?」


 ヘルパ側を任せていたチャーリーも表情を改め、粛々と詳細な報告を始めたのだった。



◇◇

 会議は終わり、それぞれが明日の準備のために急いで退室した。

 部屋に残ったのは、フェリシアとヴィクター、ダスティンの3人だった。

 静けさが訪れると、喧噪に押しやられていた温かな記憶が押し寄せてきた。


『お嬢、女神の愛し子だからと言って、無理をしてはいけません』


 剣の練習を始めたばかりの頃、どこからともなくヘンリーは現れて、フェリシアの練習を適度なものに止めさせ、怪我の手当をしてくれた。


『覚えていて下さい。武芸をしなくとも、武芸ができなくとも、お嬢はお嬢なのです。我々の大事な、大切なお嬢なのです』


 皆の期待に応えなくとも良いのだと、ヘンリーは遠回しに伝えてくれた。

 ヘンリーの考えは、皆を喜ばせる事があるのなら全力を尽くしたいというフェリシアの思いとは違っていたけれど、彼がフェリシアを大切に思ってくれていることは分かった。


 だから、ヘンリーにレイモンドの護衛と監視を頼んだのだ。

 色々下心もあったけれど、自分の代わりとなって、自分の一番大切な人の側にいてほしかった。

 彼ほどの有能な人材にそれを任せることに対して、父にも祖父にも反対されたけれど、ヘンリーは呵々と笑って引き受けてくれた。


『お嬢も人を好きになる歳になったのですね』


 頬に熱を持ったフェリシアを見て、ヘンリーは目を細め、「お任せください。お嬢の大切な人をお守りしますよ」とさらにフェリシアの頬を染めたのだった。

 

 そして、宣言通り、ヘンリーは、彼女がレイモンドへの想いを自覚した4年前から、辺境伯が倒れて任を解かれる3ヶ月前までの間、護衛と監視を務めてくれたのだ。


――何が悪かったのだろう。


 ここ1ヶ月、押し込めても、押し込めても、ふとしたことで蘇る問いが、今日は形を変えて湧き上がった。

 答えは分からなかった。

「新しい指揮官」と自分が秤にかけられ、そして、自分が捨てられたことは分かった。

 

 ヘンリーが「新しい指揮官」の情報を隠したことで、反って新しい指揮官が誰であるのか分かる形となったのに――、

 フェリシアが特定することも分かっていただろうに――、


 ヘンリーは、「新しい指揮官」の意思を尊重したのだ。フェリシアへの忠誠よりも。


 フェリシアは髪をかき上げた。


 甘かったのね。1ヶ月前に婚約破棄をされたとき、これほど忘れてしまいたい思いはもうないだろうと思ったけれど――、


「お嬢ぉ、今から手合わせするか?」


 珍しくもヴィクターから誘いをかけてくれた。馴染みの彼の前で、いつの間にか気が緩み、落ち込みを見せてしまったらしい。

 フェリシアが力を込めて口角を引き上げたとき、めったに聞くことのない声がした。


「私も1本なら付き合います」


 ヴィクターと二人して、愕然とダスティンを振り返った。

 視線を受けてもダスティンは冷然として、それ以上語ることはなかったけれど、発言を取り消すこともなかった。

 

 こみ上げる思いのままに、フェリシアは二人まとめて抱きしめた。

 体格のいい二人にフェリシアの腕は届かず、抱きつくようになってしまったけれど、そんなことは些末なことだった。


 失っていないものがある。

 側に居続けてくれる存在がある。

 そして、――分かりにくくとも自分に向けてくれる愛情がある。


 それが大事なことだった。

 フェリシアは二人に抱きついたまま、頼んでいた。


「片がついたときにお願いね」

 

 まずは、片を付けなければいけない。全てのことに。

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