第4話 理由が解ったところで意味はないのです
日が沈み、迫り始めた夜の闇と静けさを撥ねのけるように、王城の大広間は眩い華やかさを見せていた。
今宵は王城で開かれる夜会の中で最大の、収穫を祝う会が催されているのだ。
祝いの場にふさわしい華やぎと煌びやかさに満ちた雰囲気の中で、王位継承権が第1位となってしまったフェリシアは国王陛下夫妻の玉座の隣に座して、全力で微笑みを作り上げ、広間を見渡していた。
継承権を押し付けた元婚約者は夜会に参加していない。
彼から1週間前に、婚約破棄の前に既に手配していたからと、いつものように夜会のドレスが届けられたものだから、彼に会えることを期待してしまったけれど、彼の姿はなかった。
婚約破棄した相手と並んで座すことは、時期尚早ということのようだ。
いつなら尚早でなくなるのだろう、――彼と並んで夜会に参加する日は来るのだろうか、
そんな疑問をフェリシアは微笑みの下に押し込めた。
忘れたくとも忘れられない婚約破棄から、ようやく一月経ち、今の状況に慣れ始めたとはいえ、今まで隣にあった存在がいないことには、胸に痛みが走ってしまう。
けれど、今、フェリシアがさりげなく広間に視線を巡らせているのは、胸の痛みを紛らわす為ではない。
目当ての顔を探すために、参加者たちがにこやかに談笑しつつ、器用にも自分に向けてくる好奇の眼差しを避けながら、微笑みを崩さず視線を巡らしていた。
――やはり来ていないのね。
広間に視線を二巡させて、北の辺境伯も令息も来ていないことを確かめたフェリシアは、密かに溜息を吐いた。
北の辺境伯領は、文字通りゲニアス国の北の国境となっていて、2つの国と接している。
北西に接するアクフルーメン国と、北東に接するヘルパ国だ。ここ100年ほど平和が保たれているが、残念ながら国境を接する国同士でよくあるように、過去にどちらの国とも戦が起きてしまっている。戦神の神話はヘルパ国との戦いの話だとも言われている。
それだけ緊張をはらんだ歴史を持つため、辺境伯領は地理的に国境警備の要という重責を担っているのだ。
3カ月前、諜報部から、辺境伯と令息が謎の病にかかったと極秘に報告が上がっていた。それとほぼ同時に、辺境伯領の北西に接するアクフルーメン国が武器を大量に調達している報せも入った。
アクフルーメン国はここ数年、国内に流れる大きな川が立て続けに氾濫して国が疲弊した状態だ。そのような中で、突如、軍備を増強するとなると、隣国としては警戒せざるを得ない。いや、警戒しなければならない。
辺境伯軍を指揮する立場の者が2名も「病」に倒れ未だに回復できず、この最大の夜会に代理も参加させられない混乱した状況となると――、
お祖父様か私のどちらが赴くか、早急に決断しなければ。
有事に備えて、増援も兼ねる形で指揮官を送る必要がある。
ウィアート家当主の父は、最後の砦だ。
残る適任者は、祖父か自分だが、父はどう決断するだろう。たとえ代理の指揮官に任じられなくとも、王都で有事のための準備を急がなければならない。
この夜会はフェリシアには平時の最後の一時となるのだろう。
フェリシアは周りに気づかれないように、ゆっくりと息を吐き、張り詰めた気持ちを緩めた。辺境伯領の情報は極秘にしていることもあり、今日の参加者たちはいつもの夜会を楽しんでいる。
適齢期の令息令嬢たちの恋の駆け引きも、いつものように寸暇を惜しんで行われていた。
フェリシアは広間でひときわ華やいでいる一角に目を向けた。社交界の華と謳われている令嬢が令息たちに取り囲まれている。
華と謳われるだけあって、彼女の容姿は、レイモンドには及ばないものの、同性のフェリシアの目を奪うほどには美しい。
加えて体型も出るところがしっかりと出て、令息に取り囲まれるのも納得するものがある。
――あのような女性らしい相手がよかったのかしら。
フェリシアは自分の体型を思い返した。
どう見ても、どれだけ見ても、出るところは、――どこかへ行ってしまっている。
武芸に励んでいるため、体は鍛えられていて引き締まり、丸みなどどこにもない。
女性の体型として自慢できるところは、引き締まった体が作り上げた補正のいらない腰のくびれぐらいだろうか。――元婚約者に限らず、需要は少なそうだ。
気を紛らわすどころか、さらに滅入りそうになってしまったけれど、剣の手合わせをするわけにもいかず、フェリシアは人目を避けて庭に出た。
ヴィクターが背後から、「お嬢ぉぉ」としっかりと不満を込めて呼びかけ、ダスティンは黙したままであっても、緊張した気配を隠していない。予想外の事態なのだから、当然のことだ。
けれど、二人に悪いと思う気持ちは、庭に漂う花の香りに押しやられてしまった。
夜の闇で、香りは、一層、存在感を強めていた。
――あぁ、そうだったわね……。
王城の庭は、どの季節でもどの場所でも花を楽しむことができるように整えられている。
庭が花のために整えられたのは4代前の王妃の趣味の賜物だ。
彼女は辺境伯の令嬢だった。国境の警備を担い、緊張を強いられる辺境伯の父を癒やそうと、幼い頃から花を育てていた。嫁いでからもその趣味を生かして、庭は花の庭になったという。
そんなことすら忘れてしまっていたのは、王城の庭に立ち入るのが6年ぶりだからだ。
フェリシアは花の香りに誘われて、6年前を思い出した。
それは、苦い、けれども忘れてはならない思い出だった。
◇◇
6年前、レイモンドとの最後となってしまった庭でのお茶の時間は、フェリシアにはいつもどおり楽しくてうれしい時間が流れていた。
向かいの席に座ったレイモンドから大好きな笑顔を向けられて、舞い上がった気持ちのままに、あれこれと会えなかった間の近況を、――つまり武芸の鍛錬の話を話しているうちに気持ちは高まり、気がつけば意気揚々と、
「レイの分まで、もちろんレイのことも、私が護ってみせるわ」
声高らかに宣言していた。
レイモンドは王位継承権1位であり、戦場に出ることはできない。
5代前の王太子が戦場で命を落とし、その後、王位継承を巡って国が荒れてしまったことから、ゲニアス国では継承権1位にある者は戦場に出ることを禁じられている。
だから、軍事を任される家に生まれ、女神の愛し子と言われる自分が、国と婚約者を護ると宣言することは、――和やかなお茶の時間の話題としては、少々ふさわしくなくとも――、何ら不自然なものではなかったはずだ。
けれど、庭に潜んでいた者には、そうではなかったらしい。
庭に空気を切る音が立て続けに走った。
見破られたと考えた暗殺者が小刀を投擲したのだ。同時に生け垣から剣を構え、走り寄ってくる。
フェリシアは立ち上がりながら、袖に仕込んでいた短刀を取り出し、茶卓を倒してレイモンドの前に立った。
5歩ほど離れた位置に控えていたダスティンは駆け出しながら、投擲された小刀に投擲を返す。
1本はダスティンの投擲で打ち落とされた。
残る1本をフェリシアが払いのける。
その間に走り寄った男は、一気に間合いに飛び込んだ。
男と、駆けつけたダスティン、フェリシアの、それぞれの刃がぶつかり、ダスティンの刃が二人をあっさりと払いのけた。男とフェリシアはそのまま身体まで流され、体勢を崩したが、次の動きが遅れることはなかった。
男はもう一度小刀を放ち、フェリシアは短刀を構え直しレイモンドの盾となるべく身体を投げ出す。
そこにダスティンが入り込んだ。
彼は、レイモンドを、そしてフェリシアも守る位置に入っただけだった。それは正しい行動だったが、ダスティンに前に入られ、押しやられたフェリシアは、再び体勢を崩しながら自分の短刀が彼に当たらないように軌道を変え、短刀を持っていない方の腕にかすってしまった。
腕に痛みが走ったときには、ダスティンは男をねじ伏せ、加勢に駆けつけた他の影の仲間に自害を防ぐ措置をさせていた。
何とも苦い経験だった。
フェリシアもダスティンもお互いを信用していなかった。どちらも、相手に任せることも、役割を分担することもできず、行動が被るばかりだった。
フェリシアの身体が小さく、力も弱かったから、ダスティンは力業でフェリシアを押しのけ、敵を捕獲できたものの、成長し技術も上がった今のフェリシアがあの状況になれば――、被害は大きくなっていただろう。
当時12歳で身体も出来上がっていないフェリシアにあの場を任せることは、ダスティンには決してできないことだった。
つまり、退くことができなかったフェリシアの失態だったのだ。
そしてフェリシアの失態は、自分の傷だけでは終わらなかった。
レイモンドは、血が流れる彼女の腕を見て蒼白になり、傷の手当てが終わっても彼の顔に血の気は戻らなかった。
「フェリ、ダスティンは最強の護衛だ。だから彼がいるときは、お願いだから――」
痛いほどに自分を抱きしめ、切々と囁きを零したレイモンドの身体は冷たく、震えていた。
それから、レイモンドは変わった。
それまでは戦場に出ることはない立場もあり、剣は嗜み程度のものでしかなかったところを、剣の練習に充てる時間を大幅に増やし、体も鍛え、騎士と遜色ない体つきへと変わった。
軍に顔を出すことが増え、さらには彼自身の部隊を創設するに至った。
それだけなら、必ずしも悪いこととは言えないだろう。
レイモンドの創った部隊は、身分を問わない完全な実力主義で選抜され、彼の評判は国内で高まったのだから、良かったともいえる。ダスティンのレイモンドへの崇拝が顕著になったのも、これがきっかけだった。
けれど――、
レイモンドの変化は、フェリシアとの時間にも起こった。
二人でのお茶は、どれほど天気がよくても、城の彼の私室で行われるようになった。
それまでは、庭でお茶をするときは、近くに咲き誇る花の名前を笑顔で教えてくれて、花束を贈ってくれていたけれど、あの事件以降、彼と庭を散策したことすらない。
探らせていた家の者の報告によれば、彼は一人の時ですら庭に足を向けることはなくなったらしい。
そして、部屋で行われるお茶の時間が終わると、別れ際、彼は必ずフェリシアを抱きしめるようになった。
あの日と同じように、痛いほどに抱きしめる。フェリシアの息が苦しくなるほどに彼は抱きしめ続け、ようやく力を緩めると、そっと彼女の腕をとり、薄らと残った傷に口づけを落として囁くのだ。
「フェリ、お願いだから、自分を大切にしておくれ」
祈るように、縋るように囁きを落とす。
それは6年続いた習慣となった。
あの日、レイモンドを護るために動いたつもりだった。それは確かだった。
けれど、自分がしたことは――、
フェリシアはゆっくりと夜空を見上げ、遙か遠くで輝く星に思い出を紛れさせた。
あの日がなければ、今も二人で花の香りを楽しみ、星を眺めていたのだろうか。
フェリシアは目を伏せて、考えることを止めると、踵を返した。
「お嬢、もういいのか?」
ヴィクターが意外そうに問いかけた。
「ええ、いいの。ごめんなさい」
そう、もう、いいのだ。
フェリシアの性分が悪かったのか、女性らしくない体型が悪かったのか、あの日が悪かったのか、何が原因か解ったところで、もう、意味はない。
原因が解ったところで、レイモンドはフェリシアから離れる決断をし、もう戻っては来ない。来ないのだ。
静かな夜空に抱かれた庭から広間へ戻ると、憂いなど無縁とばかりに、華やかに賑わう夜会がやけに眩しく感じた。
賑わいから離れたテラスには、身体を密着させた男女の姿が見える。
「夜会は、失恋した者だけが参加できるようにしてみようかしら」
ポツリと呟いた言葉に返って来たものは、ヴィクターの深い溜息と珍しくも感情を露わにしたダスティンの冷たいまなざしだけだった。
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