魔法使いの子供たち

青いひつじ

第1話

白い月が浮かぶ夜。静寂と宵闇で満ちた森の中を走るふたつの影があった。


「はぁはぁ‥‥ここまで来たら、さすがに大丈夫かな。今夜はこの洞窟の中で眠ろう」


ルイはソニの汗ばんだ手を離した。ソニは、膝から崩れて落ち、ただ一点を見つめ、胸を押さえ肩を上下に揺らした。


「‥‥ルイ‥‥ごめん‥‥ごめんなさい‥‥ぼくが‥‥」

「大丈夫、言わなくてもいい。ソニ、僕がいるから。中に入って落ち着こう」


ルイが震えるソニの手を包み、優しく抱きしめる。「大丈夫、大丈夫」と唱えながら、背中をトントンしていると、ソニの呼吸が一定になり、ルイにぐっともたれかかった。ルイはソニを起こさないように、そっと横にした。

「今日は疲れたね。ゆっくり休んでね」

そう言って、ソニの頭を優しく撫でた。

ルイは洞窟から出て、木の根元に座り遠くを眺めた。丘から見えるのは、見たことない新しい町。そして闇の奥に浮かぶ、薄い膜に覆われ霞んだ、今にも消えてなくなりそうな町。逃げてきた、ふたりの町だ。




ルイとソニは孤児院の出身で、本当の兄弟ではない。ルイが8歳の時にソニはやってきた。

「今から新しい子が来るってー!」

「どんな子かなー」

「可愛い女の子がいいなー」

ルイは同じ部屋の子供たちと、先生の帰りを待っていた。

「ただいまー!」

ルイたちが部屋から飛び出し玄関に向かうと、先生は、煤だらけで裸足の小さな子を抱きかかえていた。

「初めましてー!」とルイが顔を覗くと、目はほとんど開いてなくて、全身から生ゴミのような臭いが漂ってきた。

「路地裏に捨てられてた。タオルと水持ってきて」

先生はそう言って医務室に連れて行き、ベッドに横にした。

雨が降っていたからか、ずっと1人だったからか、体が小さく震えていて、今にも壊れてしまいそうなその子の手を、ルイはぎゅっと握った。そして「僕がこの子のお兄ちゃんになる」と目をぬぐった。


ルイは、ガラスに触れるようにソニを大切にしていた。ソニもまるでカンガルーの赤ちゃんのように、いつもルイの膝の上に座っていた。

こんなふうにルイがソニを守っていたのには、ソニが、2度とひとりにならないようにと思っていたのと、もうひとつ理由があった。ふたりには誰にも言えない秘密があったのだ。

「‥‥ソニ‥‥その印‥‥」

ある日ルイは、ソニの腰にひし形の印があるのを見つけた。その印は、ルイの腰にもついている。これは魔法使いの印だ。ふたりは"マギア族"という魔法族の末裔だった。マギア族はその歴史から"悪の魔法使い"と呼ばれ、人々から恐れられ、迫害されてきた。

ルイは、魔法を使ったことはなかった。魔法を使うのには2つの条件があった。

1つは、5歳になること。もう1つは、魔法を使えるようになる代わりに、自分の持っている何かがひとつ、失われるというものだった。

物質的なものかも知れないし、能力かもしれない。概念的なものかもしれない。

ルイは、自分が魔法使いになる代わりに何を失うのか知っていた。4歳の時、亡くなる直前に母が教えてくれたのだ。

「何があっても絶対に、魔法は使わないで」

それが、母がルイに残した最後の言葉だった。




ルイが12歳、ソニが5歳になった頃、ある男がふたりを里子に欲しいと、孤児院にやって来た。街の商人だった。優しそうな男だったが、他にもたくさん子供がいる中で、ルイとソニを譲って欲しいと指名してきた。


ふたりが引き取られ2週間ほど経った、ある夜のことだった。ルイが水を飲もうと廊下に出ると、男の話し声が聞こえたので、声のする方にゆっくり近づき耳を澄ませた。

「あぁ、ガキが2匹。印は確認した。マギア族の末裔だ。いくらで売れる」

男がしていたのは、ふたりを売るための取引の電話だった。

「分かった。おう、もちろん。解体するなりお前の好きにしていい。明日の昼引き取りに来い。そん時に金も持ってこいよ」


ルイはこの取引を聞いて、部屋に戻りソニを起こした。

「ソニ‥‥ソニ」

「もー、ルイな」

「しっ。明日の朝、ここを抜け出すぞ」

ふたりの作戦は、男がトイレに行き、目を離している隙に家を出ていくというものだった。

「荷物は僕が用意する。ソニは何もしなくていいよ。あいつがトイレに行ったら、僕が合図を送るから、音を出さないようにして一緒に抜け出そう」

「分かった」

翌朝、ルイは決行のタイミングを伺っていたが、男はふたりを監視するように、椅子に座りジッとこちらを見つめたまま、どこにも行こうとはしなかった。

"ルイ、どうする?"

"まだ時間はあるから、様子を見よう"

"でも、ずっとこっちみてるよ"

ふたりが文字で話していたその時だった。

「お前ら、何書いてんだ」

男が何かを察した様子で近づいてきたので、ルイはすぐに紙を破り、ぐしゃぐしゃに丸め握った。

「このガキ、見せてみろ」

「いやだ!やめろ!」

「あ?何だその口の聞き方は。誰がお前らみたいなのを引き取ってやったと思ってんだ」

男はルイの胸ぐらを掴み、床に投げつけ馬乗りになった。

「やめて、ルイをいじめないで」

「あっちいけ」

男は近づいてくるソニを足で蹴り飛ばした。ソニは壁に体をぶつけ、そのまま倒れてしまった。

「ソニ‥‥返事して‥‥ソニ!」

「死んじゃいねぇよ」

「おまえっ!!」

ルイは男の腕に勢いよく噛み付いた。

「って"!!なにすんだこのガキ!!」

男は拳を振りかぶり、ルイはギュッと目を瞑った。しかし、男が殴ってこなかったので、ルイがそっと目を開けると、男は「うぅ‥‥う‥‥」と胸を抑えながら、ルイの上に倒れてきた。

顔を上げると、ソニがフラフラと立ちながら、願うように強く両手を握っていた。

「ソニ!やめろ!」

ルイの声で、ソニはハッと目を開け両手を離した。しかし、男は動かなくなってしまった。

「ど‥‥どうしようルイ‥‥死んじゃっ」

「大丈夫。今のうちにここを出よう」


こうしてふたりは、共に生きた町を離れたのだった。疲れて道で座っていると、牧草を荷台にたんまり乗せて馬をひく村人と出会った。ふたりが隣町まで行きたいと言うと、村人は近くまで乗せてやると言ってくれた。そうしてこの丘までやってきたのだ。




逃げてきた夜、ルイもあのまま木の根元で横になり眠ってしまっていた。洞窟に戻り持ってきた時計を見ると、朝の6時だった。やっと鳥たちも起きだした時間だというのに、もう太陽が輝いている。

ルイは、落ちているほそい木を集め、リュックからマッチを取り出し火を起こした。

マグカップに水を入れ、火の上に置いてお湯になると、ミルクの粉を入れてくるくるかき混ぜた。ゆっくりと口に含み、喉に通すと、はぁと小さな息がこぼれた。少しするとソニが起きてきた。


「ソニ。おはよう」

「‥‥」

「ミルク飲む?」

ソニはルイの隣にそっと座り、しばらく黙ったままだった。

「ソニ?」

「ねぇ、ルイ。めが、かたほうみえないんだ。ぼく、ころしちゃったんだよね」

ルイはソニの頭をそっと自分の肩に寄せ、優しく、繰り返すように撫でた。

「いいや、あいつは生きてた。家を出る時に見たんだ、体が動いてた」

ルイがそう言うと、ソニは勢いよく顔を上げた。

「ほんと!?!!」

「うん、だからソニは誰も殺してないよ。大丈夫」

「そうだったんだ!よかった‥‥てっきりぼく」

「でもね、ソニの魔法はとてもとても強いものだ。自分でも分かったよね?だから、その力は、本当に誰かを守らなくてはいけない時だけ使うんだ。分かったかい?」

「うん。約束する!!」

分かりやすく機嫌を取り戻したソニは、いつもと変わらない様子で話し始めた。

「ぼくたち、おもしろいよね。まほうつかいなのに、ひとつのまほうしかつかえないなんて」

「そうだね」

「ルイのおとうさんとおかあさんも、まほうつかいなんだよね?」

「そうだよ。だから僕も魔法が使える」

「ルイのまほう、みてみたい!」

「ちゃんと言うことをきいてたら、使ってあげてもいいよ。まずソニは、チョコレートは食べちゃダメ」

「ルイいじわるだ〜!」

「さて、ミルク飲んでパン食べたら、少し移動するよ」



ふたりは、草木が塞ぐ道を、かき分けながら歩き続けた。気づけば今日も1日が終わろうとしている。ルイが下を向き、考え事をしながら歩いていた時だった。

「ルイ!そら、みて!」

見上げると、そこには、いろんな青色で塗ったような夢幻の夜空が広がっていて、細かい光があちらこちらにばら撒かれていた。

「うわぁ、きれいだね、ソニ」

うっとり眺めていると、空に一筋の光が走った。

「ながれぼしだ!ルイ!あれは、ながれぼしってゆうんだよ!ぼく、むかし、えほんでよんだんだ!ねがいがかなうよ!」

「神様は、何か叶えてくれるかな」

「かなえてくれるよ!はやくはやく!ルイもおねがいごとして!」

ソニは、丸い小さな手をぎゅっと握り合わせ、目を瞑り、お願い事をしている。

「よしっ!ルイは、なにをおねがいしたの?」

「内緒。叶わなくなったら嫌だから。ソニは?」

「おなかいっぱい、チョコレートがたべられますようにっておねがいした!」

「だめだよ〜。ソニはすぐ虫歯ができるんだから」


その時だった。ルイは何かを感じ、「しゃがんで」とソニを隠すと、葉と葉の隙間から見える丘の方をじっと見つめた。


「もう近くに来てるな」

「ルイ、なにがきてるの?」

「あ、いや、ここは熊が出るかもしれない。少し移動しようか」


ルイには丘の奥の方から、こちらに向かってくる複数の黒い点が見えていた。それはすごく小さかったが、ルイは見逃さなかった。ソニの手を握り、小走りで森の中へと入っていく。少し進み、また枝葉が交差する茂みに身を隠した。ルイは「ここまでかな」と言うと足を止め、目をぬぐった。そして振り向き、しゃがんでソニと目線を合わせた。


「ソニ、僕のお願いを聞くと言ってくれたよね」

「うん」

「いい子だ。僕の魔法を教えてあげる。僕は、僕以外の人やモノを透明にすることができる」

「とうめいにんげんにできるの?」

「そうだよ」


ルイはソニの冷たくなった両手を自分の頬にくっつけた。


「ソニ、これから言うことをよく覚えて。僕は少しだけここに残るから、ソニは森の中を走るんだ」

「ルイなにいってるの?」

「君は、遊んでいたら森で迷子になっていた。たとえ警察の人に会って何かを聞かれても、知らないと、そう答えるんだ」

「いやだよ。ルイもいっしょにいこうよ」


ルイは、ソニを強く抱きしめた。


「‥‥僕も、少ししたら行ける‥‥と思う。だから振り返らず走るんだ。分かったかい」


食料の入ったリュックはソニの半分くらいの大きさだった。


「ちょっと重たいけど大丈夫かい?」

「うん‥‥ルイは、すこしまってどうするの?」

「きっと、警察は僕たちを探してるんだと思うんだ。だから話をしてみるよ。間違えてしてしまったことだ。きっと分かってくれるさ」

「そしたら、ルイがつかまるの?」 

「ううん。捕まらないよ」


ルイが目を瞑りソニの手を握ると、ソニの体はゆっくりと透けていき、少しすると見えなくなった。


「僕の力は長くはもたないかもしれない。なるべく遠くまで走るんだ。影が現れたら、もう大丈夫の合図だ。ここを真っ直ぐ行くと町があるはずだ。優しい人を探して、この紙を見せるんだよ」

「わかった!」


ソニはリュックの紐をぎゅっと握りしめ、振り返らず森の闇へ消えていった。


「僕は、君と生きてよかったな」

ルイはソニが走っていった道をずっと見つめ、そう呟いた。

魔法を使ったルイの体は、鉛を纏っているかのように重たくなり始め、体は熱と血が抜けていくようにどんどん白くなった。そして、しぼんだ風船のように力なく木にもたれかかった。ルイは、流れ星を見つけて嬉しそうなソニの笑顔を思い出していた。あの時ルイは"ソニの歩く道が、光で照らされていますように"と、願っていた。

「もう‥‥大丈夫かな‥‥ちゃんと願いは叶ったかな」

ルイはそのまま、眠るようにそっと目を瞑った。




しばらくすると、3人の警官がルイを発見した。

「殺人犯と思われる少年を発見!」

「身柄を拘束しろ!!」

「おい!起きろ!寝たふりをしても無駄だ」

1人の警官が銃口を向けたが、反応はなかった。

「こいつ‥‥動かないぞ‥‥」

男たちが肩を揺すると、雪のように真っ白になったルイはゴロンと横になり、その表情は、幸せな夢でも見ているようだった。




ソニはルイとの約束通り、森の中を走り続けた。もう足が限界だと思ったその瞬間、暗闇の先に、微かな明かりが見えた。森の出口だった。森を抜けると、そこは、小さな花が夜風に揺れる静かな丘だった。幾つかの道が広がっていて、丘の下には町の光が見えた。

ソニが足元を見ると、うっすらと影が浮かんでいた。


「あっ、かげだ!ルイのまほうがとけたんだ‥‥」


そして幾つかの道の中、ソニは、どの道を進めばいいのかすぐに分かった気がした。

ソニの目の前にある真っ直ぐ伸びた道が、月の光に照らされていたから。






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