第17話 父と母

 言葉を選びながら、気持ちを落ち着けながら、ノアがゆっくりと話している。

記憶にある限り、母が起きているのを見たことがないこと。父がベッドから起き上がれていたのは、もうずっと前であること。おぼろげな幼い記憶のなかに、父がいろんな部屋を案内してくれたような記憶があるけれど、健康そうに動き回っているのは、見たことがないこと。


 まだ少し話せていた頃に、たくさん眠ったら元気になって、起き上がれるようになると言っていたこと。それから、毎日、父と母の様子を確認して、木の実を食べて、父が本をたくさん読むように言っていたので、本を読んで過ごしていたこと。


 なるべく淡々と聞こえるように、気をつけながら話しているのが、伝わってくる。私は自分の手の甲に落ちた水滴が、蒸発するような不思議な感覚で、涙を流して泣いてしまっている事に気がついた。手で涙を拭って前を向くと、ラリーさんは眉間に皺をよせて俯いていて、アビーさんは顔面蒼白で信じられないとゆう顔をしていた。

ノアの話しが終わっても、みんなしばらく何も話せないでいた。


「しかし、アンドレから手紙が届いたのは、つい先ほどの事であるが……。」


 信じたくないと言うように、アビーさんが弱々しく声を発した。半信半疑であっても、心に深くショックを受けている気持ちが伝わってくる。悲しくて、とても辛い。


「それは、どのように届くのですか?」


「……手紙は、ここの中心木を媒介にして、円に魔法陣を組んだ物を埋め込んで……」


「この家の真ん中に生えとる木の洞に手紙を入れると、届くようにしてある。わしとアビーで作った魔術具を置いて、アンドレにも使えるようにしてあったんだ。それがつい先頃、手紙が大量に届いてな……、まとめて送ったんだろうと思っていたんだが。子供が生まれて、ノアと名付けたと、元気に育っていると、わしらを、心配させるような事はなにも……。」


「あの、ホールの真ん中にある木ですよね。それなら、ついこの間ノアと一緒にいる時に、一瞬光りましたけど、なにか関係がありますか?」


 顔面蒼白になったまま、アビーさんが目を見開いた。まるで最後の頼みの綱が切れてしまったような、望みを絶たれたような、そんな顔だった。


 決意したようにアビーさんが勢いよく立ち上がって、椅子がガタっと倒れた。右手を私達全員の方にフイッと動かすと、そもまま手をおろした。


「ま、待て、アビー!」


 ラリーさんの制止も聞かず、アビーさんが空中に浮かび上がったと思った時には、全員が宙に浮いていた。


「「わああああああ~~~ああああ!!」」


 アビーさんを先頭にホールに浮いたまま出て、そのままどんどん、どんどんどんどん高く高く浮かび上がって行った。壁際の階段を使うことなく、今いったい何階にいるのかは分からないけれど、地上がはるか遠くになっても、速度を一切緩めることなく、まだまだ、まだまだ高く上がっていった。


 空中で急ブレーキを踏んだように止まったと思ったら、バターンと大きな音を立てて開いた赤い扉に、全員で勢いよく飛び込んだ。部屋の中に雪崩れ込んで入った途端に地面に足が着いて、倒れこむようにしゃがんで手をついた。


 すぐにノアが私を助け起こそうと、近づいて来てくれる。アビーさん達はその勢いのまま、大きなベッドに向かって走り出した。ベッドににノアの両親が眠っていることは、確認しなくても分かった。支えてもらいながら立ち上がって、手を引かれて、ゆっくりと二人でベッドに近づいていく。


 ノアに促されたけれど、どうしてもアビーさん達の隣には並べなかった。微動だにせず立ち尽くす、二人の後ろ姿の隙間から、ノアの両親が眠っている姿が見えた。黒髪の美しい男性は、ノアがそのまま大人になったような、そっくりな顔立ちをしていた。その隣には、金髪の美しい女性が眠っている。二人とも肌つやも良く、健康そうで、本当にただ、眠っているように見えた。


「……調べてみるか?」


「……いや、……弱っている。……何故かは、……っ。」


 その場に座り込んでしまったアビーさんの肩を、ラリーさんが労わるように撫でた。二人はしばらく見つめ合ったあと、アビーさんが一度目を伏せた。


「……今しばらく、静かに眠らせてやろう。」


 アビーさんが立ちあがって、全員で静かにノアの両親の部屋を出た。最後に振り返って、もう一度部屋を見つめる二人の姿が、とても切なくて、たくさん眠って、回復して、元気になったら、一日も早く起きてほしいと、願わずにはいられなかった。


 静かに扉を閉めて、階段の上でラリーさんが壁をコツンと叩くと、自動で階段が動き出した。1階のホールに到着するまでの長い間、皆が無言で静かにしていた。と思ったら、半分も降りないうちにアビーさんが「遅い!!」と言うと、手をまたフィッとして、円形の壁づたいにぐるぐると螺旋状に付いている階段が、超高速で流れ出した。ゴオオオーーと音がする程の速さに、風圧に驚いて悲鳴を上げる間もなく、1階に到着していた。再び転げるように地面に手をついた。


「ら、乱暴は……、」やめてください。と喉まで出かかったのを、なんとか押し止めた。今まさに、ショックを受けている母親に抗議するのは憚られた。稀代の天才魔女とラリーさんが言っていた、この美しい美魔女は、とても大雑把な性格をしている。なぜかそう確信できた。気をつけていないと、そのうち大怪我をしてしまうのでは?そう密かにヒヤリと感じていると、ノアが手をとって立たせてくれる。


「おばあ様、危ないので階段はあまり早くしないでください。エミリアが怪我をしてしまう。」


 一層ヒヤリとする声色で、ノアがアビーさんに注意した。私を後ろに庇ってアビーさんに抗議してくれているけれど、アビーさんはまったく気にしていないようだった。


「怪我などさせぬ。落ちたら、浮かせてやる。のろのろと進む方がエミリアも嫌であろう。速い方がよかろう?」


「いえ。私はゆっくりでお願いします。」


 どちらが好みかを聞かれたので、ゆっくりの方を選んでおいた。「むう~。」と言いながら口を尖らせたアビーさんの顔が子供みたいに可愛くて、つい吹き出して笑ってしまった。とても、とうに成人した息子がいて、孫までいるような年齢には見えない。


「アビーさんはおいくつなんですか?女性に年齢を聞くのは、魔法族の方にも失礼なことですか?」


「いや、そんなことが失礼とは聞いたことがないぞ?妾の年齢か、そうさな、たしか500才には近かった筈じゃが?はて、細かいことは憶えておらぬ。」


 ご、ご、500さい!思ってたのと、全然違った!え?ではラリーさんは?私の目線がラリーさんに向かったのが分かったのか、アビーさんが大笑いした。


「はははははは!ラリーはそのまま、言わずともすぐに分かろう?見たままではないか!あははははは!可笑しな顔をしおって!愉快な娘じゃ!」


 アビーさんは楽しそうに大笑いしているけれど、いえいえ!全然見当もつきませんよ。人族と言われている私には、まったく想像もつきません。……寿命が大きく違うことは今分かったけれど。……え?じゃあ、ノアはなん才?てっきり年下だと思っていたんだけど、そういえば今は私と同じぐらいの大きさにはなっているけれど、いったいなん才なんだろう?


 疑問に思って聞こうとして、ノアの両親の姿が頭をよぎった。もし、100年も200年も、ひとりで待っていたのだとしたらと考えると、切なすぎて胸が苦しい。泣いてしまいそうになったので、一旦思考を放棄して考えるのを止めることにした。


 予想をはるかに超えた、500とゆう数字を聞いたせいだろうか、年下でも年上でも、どちらにしても、ノアはノアなのだから、まあどちらでもいいかなと思った。

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天然少女と愉快な仲間たちの夢と魔法の旅 有明のはな @ar-nohana

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