第14話 寝坊の後に
誰かに呼ばれたような気がして、目をあけるとすぐ目の前にノアの顔があった。驚いて叫びそうになった途端に、パッとノアが離れた。
「良かった。寝てただけだよね。起きてくれて、良かった。疲れていたから、よく眠っているだけだって、オルンさんが言ってたんだけど、心配で。」
驚いて目が見開いたまま、まだぼんやりする頭で、この状況を振っり返ってみる。……温泉……。じゃなくて、そう!羊を届けに来て。それで、オルンさんの家に泊まったんだ。まだ心配そうにしているノアが、おどおどしながら聞いてくる。
「エミリア、怒ってる?オルンさんが、女の子の寝室には勝手に入っちゃだめだって教えてくれたんだけど、起きてくるまで、待ってようと思ったんだけど。……あの、招かれてないのに、勝手に入って、ごめんなさい。」
……招待?しないと寝室に入ってはいけないとは、知らなかった。でも、ここはオルンさんの寝室だから、セーフじゃないかな?なんて考えながらノアの顔を見ていたらハッと気がついた。ノアは今までずっとひとりで、眠ったままになってしまった両親が起きてくれるのを、待っていたんだった。
このまま、私が起きてこないかもしれないと恐怖に感じても、仕方がない。心配で不安で居た堪れなかったんだろう。なんだか、ノアの過去を思うとしんみりした気分になってくる。
「……怒ってないよ。寝室に入っちゃだめって、私も知らなかった。だから、全然怒ってない。……大丈夫。心配しないで。」
やっとホッとした顔になったノアに、今が何時ぐらいなのか、聞いてみた。
「……時間?は分からないけど、もうだいぶ日が高いって、オルンさんは言ってたよ。ピートは夜が明けてから羊の世話に行ったままで戻ってない。オルンさんは外でずっと薪にする木を切ってる。」
え?日が高い?慌ててベッドからでて、木でできた窓を開けると、明らかに朝の空気ではなかった。ここからは太陽の位置は分からないけれど、もしかしたら昼近いのかもしれない。
「大変!泊めてもらったのに、寝坊して、なにもお手伝いできてない!急がないと。」
「慌てないで、大丈夫だよ。オルンさんは、起きてくるまで起こさないようにって言ってたよ。だから、怒らないよ。それより、エミリアに話しがあるんだ。」
慌てて部屋を出ようとした私をとめて、私の手を取ってベッドに座らせてから、ノアも隣に腰掛けた。
「朝ごはんの時に、オルンさんに言われたんだけど、僕とエミリアに今すぐに行かなくちゃいけない場所がないなら、ここに居ないかって。これからどうするのか、決めるまででもいいって。エミリアはどうしたい?」
それも、考えなくちゃいけないんだった。もう今まで住んでいた宿には戻れない。戻りたくもない。そうすると、どこか別の場所で生活しないといけないけれど、行く当ても、自分たちで生活できるお金もない。ノアはあの家に戻った方がいいだろうけど、私は、どうしよう。どこか別の村で、成人していない子供でも、暮らしていける仕事はあるんだろうか。……今は、その知識もない。
「とにかく、オルンさんと話してみよう。……聞きたい事もあるし。」
ノアも分かったと頷いてくれたので、軽くベッドを整えて寝室を後にした。暖炉がある部屋まで来ると、テーブルの上に私の分の朝食が置いてあった。外に出て、オルンさんを探したけれど、見当たらないので、先に遅くなった朝ごはんを食べて待つことにした。ノアが器用に慣れた手つきで、温かいお茶を入れてくれる。香りがよくて、とても美味しい。
「すごいね。お茶の入れ方を教えてもらったの?とっても美味しい。」
「茶葉って面白いんだよ。良かった。上手にできた。」
嬉しそうに笑いながら、たまごとハムが入ったお皿にお塩を振り入れてくれた。
「こうしたら、もっと美味しくなるって言ってたんだ。」
たしかに、さっきよりもなぜか味が濃くなった気がする。ノアはもっと料理を教えてもらうと張り切っている。料理のお手伝いをした話を、楽しそうに話してくれるのを聞きながら、もりもり朝ごはんを食べた。食欲は元に戻っていた。
その時バタンと大きな音をたてた玄関から、慌てたようすのオルンさんが杖をついたまま小屋の中に入ってきた。
「ノア!こ、こ、小屋中、の窓、窓を、早く、し、閉めて、きてくれ。鎧戸も、全部じゃ。早く!」
どこから走ってきたのか、息を切らして、杖をガツガツとつきながら、大急ぎで小屋中の窓を閉め始めた。ノアも急いで、梯子を駆け上がって行った。暖炉の火からランプを灯しているオルンさんに、恐るおそる声をかける。
「オルンさん、どうしたんですか。外でなにかあったんですか。」
「分からん。あんな光景は見た事もない。外には出ん方がいい。」
水瓶の水をコップに注いで、一息に飲み干してから、椅子に崩れるように座り込んだ。小屋中の戸締りを終わらせて、ノアが戻ってくる頃には、なにやら外が騒がしくなってきていた。なにか動物の鳴き声が重なっているような、絶え間なくたくさんの鳴き声がする。カラスか、なにか大型の鳥だろうか。だとしたら、尋常ではない数の鳥が飛んでいるのではないだろうか。羽ばたきの音も重なっている。
ノアは特に怖がっている様子はないけれど、オルンさんはテーブルの上で手を組んで、震えているようだった。テーブルの側から離れて、玄関扉の横の丸い小さめのガラスが嵌め込んでいる窓を覗いてみると、歪んだ分厚いガラスでは、窓の外は鮮明に見えないけれど、つい先ほどまでは明るかった空が暗く淀んでいた。
その丸い小さな窓に、顔をくっつけるようにして見ていると、不意に視界に黒い塊が映った。思わず後ずさるように窓から離れると、誰かが玄関の扉をコツコツ鳴らす音がした。振り返ってオルンさんを見ると、恐怖に慄いて扉を見つめていた。
すぐにまたコツコツと音がした。繰り返し一定の間隔で、丁寧にコツコツと鳴らしている。これは……、どうしたら?……どうしよう?不安になってノアを見ると、平気な顔をして扉の方に近づいてきていた。
「開けてみよう。」
玄関の扉に手をかける前に、焦ったオルンさんが慌てて立ち上がって、座っていた椅子がバタンッと音をたてて倒れた。
「ま、待ちなさい。開けてはならん。なにが起きるか……。信じられんほどもの凄い数の黒い塊が、魔女の森の方から飛んできておる。過ぎ去るまで、ここから外に出てはならん。なにが起きるか……!」
魔女の森……?魔女の森から、なにかが飛んできたの?それは……、ノアと顔を見合わせた。もしかして、ノアがここにいるから?そうだとしたら、ノアを迎えに?それとも探しに?今この瞬間にも、コツコツと音がしている。嘴で突いているのかもしれない。このままでは、扉に穴が空いてしまうんじゃないだろうか。もしかしたら、壁や屋根にも……、それは、困る。
「オルンさん、私達、魔女の森から来たんです。もしかしたら、私達を探しているのかもしれません。……だから、私達、外に出て確かめてきます。このままでは、家に穴が空いてしまいます。一晩泊めてもらって、親切にしてくれて、ありがとうございました。」
「な、なんと!そんな……。」
オルンさんが絶句したまま、固まってしまった。初めて会った時のような驚愕の表情だった。しきりに顎ひげを撫でつける仕草も同じだった。しばらく沈黙した後、決意したようにオルンさんが話し出した。
「……詳しくは、聞かん。聞きたくても、聞けないんじゃ。……そうゆう約束だからの。しかし、わしは二人の事が心配じゃ。心配で、ならん。外に出て、これがなにか確かめたなら、ここに戻ってきて、二人の無事を知らせてほしい。あれに襲われでもしたら、ちょっとでも危険を感じたら、すぐに逃げてこの小屋に入ると約束しておくれ。」
「分かりました。ここにまた戻ってきます。約束します。危険なようなら、すぐに逃げます。」
危険があったら逃げるとオルンさんに言ったけれど、なぜか私は怖さも、危険もまったく感じていない。外の光景が悪い物には、まったく思えなかった。
オルンさんに約束すると、ふたりで交互に握手して、それぞれ別れの挨拶をした。ノアはオルンさんが奥の部屋に入って扉を閉めるのを確認してから、ゆっくりと玄関の扉を開けた。
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