第13話 羊飼いの家 3

「じいちゃ~~~ん!羊が戻ってきとる~~~!なんて、かしこい奴なんじゃあ~!こいつう~~かわいいやつめえ~~~!」


 バターンと激しい音をたてて、勢いよく玄関の扉が開いた。壊れたんじゃないかとビックリするような大きな音だった。オルンさんが慣れたように、ため息をつきながら注意した。


「ピート、玄関が壊れてしまうだろう。もっと優しく扱いなさい。」


「うお!誰かいる!おお!えらいべっぴんさんだな~!よろしく!俺、ピート。」


 ドカドカと目の前まできて、ジロジロ顔を見ながら、手を差し出してきた。

えっと、これは握手した方が良いんだろうけど、手を握られたら折れそうと思ってしまって躊躇していると、ノアが横から、目に見えない程素早く手をはたき落とした。


「いってえ!」


たしかに、今の勢いだと痛かったろうと思う。


「うるさい。エミリアに触るな。」


いえ、触られてはないです。


「あ、エミリアって言うの?俺、ピート。よろしく」


 さっきと同じことを言って、また手を差し出してきた。ちょっと、またはたかれちゃうよ。やめて!


 ピートさんが、ノアにまたはたかれる直前にスッと手をどけて、ニヤッとノアを見て笑った。ノアは見た事もない顔で、ものすごくピートさんを睨んでいる。


「ほお~。こっちもえらいおキレイな顔してんなあ。」


「ピート、やめんか。エミリアとノアが、おらんようになった羊を連れて来てくれたんじゃ。礼を言いなさい。今日は泊まってもらうから、さっさと手を洗ってめしの手伝いをせんか。」


「そうか。羊を届けてくれて、ありがとう。エミリア。今日泊ってくなら、温泉に入るだろう?すっげえから、案内してやるよ。」


 ニコニコしながら、またずいずい近づいてくる。見た感じは、私と同じ年ぐらいの男の子なんだけど、私より身長が高いし、体もガッチリしていて、ぐいぐい来られると、ちょっと怖い。


「いいえ、今から家に帰ります。お世話になりました。」


 ノアが私の前に立ちはだかるようにして割り込んでから、ハッキリと言い切った。


「え?」


 私は二重の意味でビックリしたんだけど、ノアの身長がピートさんと同じぐらいになっていた。私より少し高い。……そんなことよりも!!!


「今から帰るって、どうして?温泉は?温泉に入らないの?さっきオルンさんの話しを聞いてから、楽しみにしてたんだよ。明日帰るんじゃだめなの?」


「そうだ!そうだ!明日でいいだろ!帰りたければ、お前だけ帰れ!」


 ノアの身長が伸びた事にまったく気づいていない様子のピートさんをノアが同じ目線でものすごく迫力のある顔で睨んでいる。


「僕とエミリアが離れる事はない。」


「なんでだよ。あ!弟?血縁者か!」


「ち!違う!!」


「二人ともやめんか!」


 オルンさんが割って入って、ピートさんを離すようにトンっと押した。


「ピート!お前はうるさいから、先に風呂に入ってこい。手伝いはせんでいい。」


 ピートさんが、へ~いと言いながら肩をすくめて裏口から出て行った。部屋を出て行く時に、私の顔を見てなぜか片目を瞑った。


「二人ともすまんな。うるさい孫で。ま、人懐こいのは取柄ではあるがね。」


 それから後片付けを手伝ったり、オルンさんがお料理を作ったりしているうちに、みんなで食卓を囲む頃には、すっかり日が暮れていた。


 晩ごはんには、お肉もでてきて豪華だった。ピートさんが喜んでいたから、いつもより贅沢にして、もてなしてくれたんだと思う。あまりお腹が減っていなくて、美味しくてもあまり食べられなかったのが、残念でならなかった。


 話していたのは、ほとんどピートさんだったれど、賑やかで楽しい一時だった。その後に待ちに待った温泉にはいる事になった。裏口から外に出て、目の前の小さめの小屋の中に入ると、温泉の湯気がもうもうと立ち込めていた。


 岩で囲んだ露天風呂になっていて、とろみのあるお湯からお花のような甘い香りがした。なんだか久しぶりのような気がして、丹念にくまなく全身を洗ってから、そろりとゆっくり足を浸けてみると、熱すぎずちょうどいい湯加減で、手足を伸ばして温かいお湯の中に浸かると、もう本当に、本当に蕩けるほど心地が良い。


 足のつま先から手の指の先までじんわりと温まって、お湯に浸かっている体のすべてが、ほぐれていくようで、もうずっと永遠に温泉の中にいられたら、どんなに幸せだろうと思う。オルンさんと一緒にこの家で暮らしたら、毎日この温泉に入れるのではと、つい想像してしまう。


 実際には、なんのお役にも立ちそうにない子供の私達が、ここに住むなんて事はできない。今後のことを考えなくてはいけないし、数日はお世話になってしまうかもしれないけれど……。なんだか切なくなってしまって、顔にお湯を勢いよくバシャバシャかけて、上を見上げた。


 小屋の屋根が一部開けられていて、お湯に浸かりながら夜空が見えた。たくさんの星が暗い夜空にキラキラ輝くように光って、その神々しいほどの美しさに、ただただ無心になって見とれてしまう。


 「ほんとうに、きれい……。」


 明るい昼間にもこの美しい星々が見えたら、どんな感じなんだろう。あの星たちは太陽と同じように、昇ったり沈んだりしているのかな。それとも昼間は見えないだけで、今と同じ場所にずっとあるのかな。……見えないだけで、そこに、ずっと……。なんだか、思考に引っかかった気がして、それがなんなのか考えているうちに、頭がぼんやりとしてきたので、慌ててお湯の中から飛び出すようにあがった。


 すっかり体がぽかぽか温まって、温泉の甘い香りが自分の肌からも香って、温泉から出てからも、とても心地が良い。本当に、温泉って最高だと思う。


 オルンさんの小屋に戻ると、三人でなにか作業をしているようだった。ノアとピートさんが梯子を上った先のロフトのような部屋の奥にいて、オルンさんが梯子の下から指示をだしていた。


「おお。温泉はどうじゃった?」


「はい。とっても温まりました。夜空が綺麗で見とれてしまって、のぼせそうになりました。」


「あの小屋の壁の一部も開けられるようにしてあってな。そうすると周りの景色も楽しめて、明るい昼に浸かるのもいいもんなんじゃ。」


 オルンさんが嬉しそうに、相好を崩しながら話してくれる。本当にここの温泉を気に入っている様子が、微笑ましい。


「じいちゃん、干し草もっと持ってくるか?」


「いや、もうそのくらいでいいじゃろ。その上にシーツを被せておいておくれ。」


 干し草にシーツと聞いて、なぜか体がビクッと反応した。干し草にシーツを敷いて寝るの?それは、すっごく、すっごく楽しみだ。なぜか呼吸も荒くなる。


「干し草でベッドができるんですか?すごい!見たい!寝てみたい!」


「いや、エミリアには、わしの寝室のベッドを使ってもらう。新しく布団も取り替えたから、そっちで寝ておくれ。わしは別の部屋で寝るから、安心して休むといい。この上はノアとピートの寝る場所じゃ。」


 ええええええ……とものすごく残念な顔になった私を、オルンさんは笑いながらなぐさめてくれた。梯子を上ろうとした手も、そっと止められてしまった。


「そんな顔しなさんな。湯冷めせんうちに、ベッドに入っておきなさい。あとで温めたミルクを持って行ってやろう。干し草のベッドよりも、寝心地はいいはずじゃよ。」


 たぶんこの家で一番のベッドに、布団まで新しくしてもらって、これ以上の我儘は言えなかった。おとなしく案内された寝室に向かう。


 それにしても干し草のベッド、それはどんなにフカフカなんですか。モッフウと体が沈んで、干し草のいい香りがするんじゃないの?……ああ、いつか、干し草のベッドで寝てみたい!

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