第11話 羊飼いの家 1
見渡すかぎりの緑が豊かな牧草地帯を、散歩気分でのんびり子羊を連れて歩いていると、羊の群れを見つける前に、小高い丘のあたりに、小屋のような建物が建っているのを見つけた。
「とりあえず、あの小屋を目指してみよう。もしかしたら、羊飼いの小屋かもしれないよ。」
目標が見つかったので、足取りも軽くなる。晴れ渡った空は気持ちが良いし、風に運ばれてくる草や植物の香りも心地が良い。こんな所で日がな一日、ゴロンと寝転がってのんびりできたら、どんなに至福の時だろう。なぜか、お弁当とか、ピクニックとゆう言葉が浮かんだ。それは、とても楽しそうだった。
私はどんどん楽しい気分になって、ずんずん元気よく前に進んだ。ノアもなんだか機嫌が良さそうに、ニコニコ楽しそうにしている。心なしか子羊まで弾んで歩いているように見える。楽しいピクニックってこんな感じなんだろうなと思った。
頂上まで着いて小屋の前までくると、思ったよりも大きくて、全体が木で造られた小屋だった。奥の方にも小さめの小屋が建っているのが見えた。私達は大きい方の小屋の玄関の前に立って、小屋の中に誰かいないかと声をかけた。
「すみませ~ん。どなたかいませんか~。はぐれた子羊の飼い主を探してるんですが~。すみませ~ん。」
ノアが木の扉をドンドン叩いた。すると小屋の中ではなく、小屋の脇から、杖をつきながら白髪が豊かな頑強そうなおじいさんが、ゆっくり現れた。
「誰じゃ!呼び鈴も鳴らさんと、ドンドン叩きおっ……!!」
なぜか、おじいさんは私を見るなり驚愕の表情になって、固まってしまった。え?なになに?私?だよね。見られてるの。なんで固まってるの?アタフタしてノアの方を見ても、位置的に見られているのは、やっぱり私のようだ。
「あの?すみません?大丈夫ですか?あの、ええ?」
固まったままの、おじいさんの表情から察するに、驚愕とか恐怖とか、とにかく良くない感情を持たれたまま、凝視されている。ふいに、ノアが私を庇うように前に立った。
「なんですか。」
ものすごく声が低い。え?今のノアの声よね?低くない?思わずノアの顔を覗き込もうとした時、ハッとしたようにノアを見てから、それが癖なのか、しきりに顎ひげを何回も撫でつけた。視線をキョロキョロ彷徨わせながら、落ち着かない様子が気の毒になってきたので、恐るおそる声をかけた。
「あの、私達、怪しい者じゃありません。私の名前はエミリアと言います。ホルト村から来ました。この子はノアです。迷子になってた子羊を見つけて、こちらの羊さんじゃないかと思って訪ねただけなんです。あの、この子なんですけど、なにかご存じじゃないですか?」
なるべくゆっくり話して、おじいさんが落ち着いて、話してくれるのを待った。
ノアがすごくおじいさんを睨んでいるので、ちょっと引っ張って手を繋いだ。
「……羊?……ああ、羊。……いや、たしかに、羊っころが一匹おらんようにはなっとる筈じゃ、……すまんかった。それで、わざわざ、こんな所まで。」
それからおじいさんが、どこかから桶を持ってきて子羊に水を飲ませると、お礼のお茶をごちそうしてくれると言って、小屋の中に招いてくれた。ノアが断ろうとしていたけれど、なんとか宥めながら小屋の中に入った。……声は戻っていた。良かった。
小屋の中に入ると大きな暖炉があって、そこで料理も出来るようになっている。テーブルも椅子も、家の中の物が全部手作りのようで、なぜかワクワクしてきて、ログハウスみたいで素敵だと思った。さほど広くはないけれど、とても居心地はよさそうだった。
勧められるままに椅子に座って、隣の部屋に行ったおじいさんを待っていると、大きなトレイを持って、杖をつかずにおじいさんが戻ってきた。
「あっ、持ちます。大丈夫ですか。」
「いやいや、親切なお嬢さん。大丈夫。足を怪我していたんだが、もう大方治ってるんじゃよ。外におる時には、まだ念の為に杖をついておるだけなんじゃ。」
そう言うとテーブルの上にトレイを置いて、温かいお茶とチーズをのせたパンを振舞ってくれた。そういえば、ずっと喉も乾いていないし、お腹も減っていない。けれど、せっかくなのでお礼を言ってから食べ始めた。
パンを一口齧ると温めた濃厚なチーズがとろ~んとのびて美味しかったし、温かいお茶には、お砂糖とミルクがたっぷりと入っていて、甘くて濃い目の茶葉のいい香りがして、思わず顔がほころぶほど、美味しくて、体が温まった。
「……お嬢さん、さっきはすまなかった。初めて会うご婦人に対して、失礼な態度じゃった。気を悪くしてしまったなら、ゆるしてほしい。人違いをしてしまったようだ。年恰好もまったく違うものを。すまんかった。」
「いえ!いえいえ。そんな。気を悪くなんて、してないです。全然!あの、頭を上げてください。本当に、それに、お嬢さんなんて、そんな、あの、えっと、美味しいお茶をありがとうございました。」
親切にしてくれるお年寄りに頭を下げられるのは、すごくすごく焦る。やめてえ。焦ったあまりに早々に立ち去ろうとして、止められる。
「待ちなさい。わしの名前はオルンと言う。ここで、ひとりで羊飼いをしておる。今は怪我のせいで、孫が手伝いに来ておるがね。……それで、……その、」
そわそわとなにか言いたげに、オルンさんがまた顎ひげを撫でつけ始めた。目を瞑って考えこんでから、神妙な顔をして話し始めた。
「……わしは、元もとホルト村の生れでな。……その、お嬢さんの、着ているそのエプロンは、ポルゲスって宿の、使用人の子供がつけてるもんじゃなかったかね。……あそこは、評判のいい店じゃない。……逃げるつもりなら、手を貸してあげよう。」
「え?」
思わず自分の着ている服を見下ろした。ずっと服の上に着けているエプロンみたいなスカートみたいなものには、胸元に蔦のような毒々しい刺繍がしてある。息が止まる思いがした。ノアをみると、ボロではなく、綺麗な服を着ているけれど、微妙に袖が短すぎる気がする。まるでサイズが合っていない服を着せられているような。なにより、ノアの髪の毛は顔が見えないほど長く、なぜかネグレクトとゆう言葉がうかんだ。え?どおゆう意味だろう?
改めてみると、見る人によっては、世話をされていない子供に見えるのかもしれない。評判の悪い悪徳な店で、こき使われている、子供……たち……?
どうしよう。私達、怪しすぎる。逃げてきたつもりは無かったけれど、怪しげな噂の宿屋から逃げてきた子供に見える……かも。
「あの、オルンさん、逃げてきたつもりは無かったんですけど、気づいたら、外にいたってゆうか、あの、えっと、それに、ノアはホルト村に住んでる訳じゃありません。森の……じゃなくて、えっと、」
「そうかい。そうかい。まあ子細はよかろう。それにしても、ノア。その長い髪は邪魔じゃないかね。結ぶか、なんなら、わしが切ってやろう。」
そう言って、オルンさんは髪の毛を切る道具を、別の部屋にさっさと取りに行ってしまった。オルンさんがいなくなって、ノアが問いかけるように私を見てくる。
「なんだか、誤解されちゃった。でも、オルンさんは親切で良い人そうだね。それより、ノアは髪の毛を短く切るのって、嫌じゃない?伸ばしてた?」
髪の毛の事なんて、今まで気にした事はないと、フルフルと首を振った。
なんだか、途方に暮れてしまう。ホルト村に帰ろうとしていたけれど、思い出した事と、オルンさんの言い方では、ノアと一緒に宿屋に戻っても、悪い事しか起こらない気がする。かといって他に行くあてもない。思わずため息をついてしまう。ノアがすぐに椅子から立ち上がって、私の隣まで来て心配そうに顔を覗き込む。
「エミリア?どうしたの?なんだか、辛そうだ。」
無理して笑ってみるけれど、うまくいかない。かんたんに誘ってしまって、ここまで一緒に来たけれど、ノアに辛い思いはしてほしくない。
「ノア。私、思い出したんだけど、私が住んでる家、宿屋、なんだけど。あんまり楽しい所じゃないかも。ノアと一緒に帰っても、たぶん、嫌な事ばっかり起こりそう。私も、あそこにはもう、戻りたくないってゆうか。」
ノアが安心したように、フウッと息をはいた。張りつめていたような表情が、一気にほころんでいく。
「なんだ。そんな事。それじゃあ、帰らないでおこう。ふたりで違う所に行くか、僕の家に戻ってもいいし、どちらでも、好きな方を選んでいいよ。」
「え?一緒に?ノアが家に戻るだけじゃなくて?」
「どうして一緒じゃないの?僕はこれからもずっと、エミリアと一緒にいるよ。」
え?初耳だと思うけど。そんな話しだったっけ?あれ?聞き間違い?これからはノアとずっと一緒にいるの?なんで?……嫌ではないけど、ノアはなにか間違って解釈してないかな?ノアのあの不思議な家を出る時に、どんな話をしたんだっけ。思い出そうとして、ぼんやり考えこんでしまった。
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