第2話
前本が選んだ店は会社から五駅離れた焼き鳥屋の個室だった。前本は仕事中、上司の言うことを忠実に守り、部下の指導にも手厚くて人望が高かった。誰かに対する愚痴も聞いたことがない。そんな前本が転職の相談をしてきたときには、名言を言う機会があまりにも早く、名言屋に予知能力が備わっているのではないかと思うほどだった。
「今の仕事は楽しい。でも上司とか部下に腹立つことが多い。人間関係だけはどうしても納得いかねえことが多いんだよ」
「まさか前本がそんなことを思ってるなんてな」
「鈴ちゃんのことを信頼してないから言ってなかったわけじゃないよ。でも愚痴を聞かされた方って『早く終わんねえかな』くらいにしか思わないじゃん。それもつらいのよ」
「気遣ってくれてたんだな」
「そんなえらいもんじゃないけどな。でも、どこにいってもこういう問題は付きまとうし、だったら多少我慢すればいいのかなって思うからめっちゃ悩んでる」
ここだ――
鈴山は机の下でスマートフォンを操作し、名言屋とのDMから名言を確認した。
「俺はさ」鈴山は再度目線だけを下げ、素早く前本に戻した。「新卒で就職した会社が自分に一番フィットしてるのかっていうと違うんじゃないかって思うよ」
「そう、かな?」
「だって、ここ以外に選ばなかった会社も多いわけじゃん。それどころかそのときは選択肢にすら入ってなかったところもあるわけだし。そう考えると、ここがフィットしてる確率って実は少ないんじゃないかって思うよ。あの頃の自分には選べなかったものが、今選べるようになってることもあるんじゃない?」
「確かに、そう言われてみれば」
言われてみればそうだな、と鈴山自身も自分の言葉を反芻して思った。
「すげえ、今の鈴ちゃんの言葉、背中を突き飛ばすくらいだった」
「それ、大丈夫? 危なくない?」
「いや、俺、鈴ちゃんに打ち明けて本当に良かった。ありがとう」
前本は翌日、退職届を提出したと鈴山は連絡を受けた。まさか本当に効果があるとは。鈴山はまた名言屋のDMを開いて忙しなく指を動かした。
『いただいた名言、効果すごかったです。今度は二つください』
『お買い上げありがとうございます。千円の振り込み確認いたしました。一つ目はこちらです。
一つ目はこちらです。
〈自分のしたいようにするのが一番。まだ若いから何度でもやり直しはきくはずだろう。〉
二つ目はこちらです。
〈一度全部投げ出してしまえば良いんだよ。そうしたら身軽になって、どこへでも行ける気がする。そうなった時点で前を向いた証拠だし、次に進めるよ。〉
使用方法はお任せします。相手やケースによって言い方や言葉は変えていただいても構いません。同じ意味で伝わるなら効果が下がることはございません』
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