名言売ります

佐々井 サイジ

第1話

 まばたきすると眼球が瞼の裏に張り付いた。目を閉じながら眼球を上下左右に動かして瞼から剥がしゆっくりと目を開けると、塩素の強いプールに入ったあとのような刺激が襲った。それでも鈴山はSNSのタイムラインをひたすら指でスクロールしていた。平日は早く休みになれと思いながら顧客の話を適当に受け流しているにもかかわらず、いざ休日になると、日がな一日SNSに没入しているだけだった。太陽の昇降を見ることなく、カーテンの隙間から日が差していないことに気づいて初めて夜になったことがわかる。

 高校や大学時代の友人の愚痴のつぶやき、プロとは思えない芸人の無味乾燥な番組出演告知、拡散されている卑猥な映像がごちゃ混ぜになって流れてくる。どれもわざわざタップして熟読する価値などないはずなのに、いつまでも興味を引きそうなものを追い求めてしまっている。

 鈴山は何度も画面を滑らせていた親指を止めた。

『名言、お売ります。DMでご相談ください』

 無駄な修飾語が多い情報群のなか、極端すぎるほど簡素に書かれてある。アカウント名は『名言屋』、アイコンは深海のような青一色で人間は映っていなかった。

「名言?」

 一人暮らしのワンルームに響く独り言がこぼれた。アイコンをタップすると簡素なプロフィール文が出てきた。

『名言1つにつき500円。たったワンフレーズの名言が誰かの人生を変えます。詳しくはDMで承ります』

 鈴山はこれまでの名言屋の投稿内容を遡った。投稿件数は百件もなく、一番古い内容も半年前のもので容易に遡ることができた。しかも内容自体はすべて同じで文章だった。おそらく、DMでフォロワーとやり取りしているものと思われた。

「五百円だし、まあ騙されても痛手じゃないか」

 アカウントページのトップに戻り、DMを開いた。

『名言を一つ買いたいので取引お願いします』

 待っている間にトイレに行こうと脚に力を込めるやいなや、すぐに返事が届いた。

『お買い上げありがとうございます。これから振込先をお送ります。お名前と振込みが確認できたら、こちらのDMにて名言をお送りします』

 怪しげなアカウントではあるが言葉遣いと対応方法がきちんとされている。とはいえ先払い制が余計に怪しさを増していた。しかし鈴山は詐欺師に引っかかったという面白いエピソードができたと思い、口角が持ち上がった。

『お振込完了いたしました。ちなみに名言は選べるのですか?』

『お振込み確認いたしました。改めまして、この度は名言をお買い上げいただきありがとうございます。申し訳ございませんが名言はお選びいただけません。その代わり、きっとゴザンス200様が出合うケースにふさわしい名言になることでしょう。できるのは名言をお買い上げいただく個数のみです。今回は一つだけでよろしいでしょうか?』

「ほんとかよ」

 読めば読むほど詐欺の臭いが強くなり早々に五百円の損失を被った気分になるが、それ以上に大学時代に定着したあだ名をアカウント名にしたことを後悔した。それに〈様〉をつけられるのはかなり恥ずかしく、腕をかきむしった

『それでは名言を差し上げます。

〈自分で選んだ環境だとしても、そこが適している確率って実は低いんだと思う。だって選ばなかったものだったり、そもそもそのときに選択肢に入っていなかったものの方が圧倒的に多いから。でもそのときに自分が選んだことは間違いではなく、今現在自分にあるものの中で素直に選びたいものを取ったら良いんだよ〉

 使用方法はお任せします。相手やケースによって言い方や言葉は変えていただいても構いません。同じ意味で伝わるなら効果が下がることはございません』

 五百円を支払ってから連絡が途絶えることを確信していたが、しっかり名言まで送られてきたことに感心の声が漏れた。とはいえ言葉自体は汎用性があるものの、名言を放つ状況としてはかなり限定的だった。

「これって受験とか転職とか、新しい道を模索してる人に向けた言葉だよな」

 だから、めったに誘ってこない同期の前本から「明日の夜に飯行かないか。相談に乗ってくれ」と連絡が来たことにはさすがに驚いた。

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