田舎暮らしが小説家にもたらすメリット①
田舎を指すキーワードの中に、最近流行りの「何も無いがある」というのがある。
これはまさしく小説家にとってメリットである。
前述した「選択肢の少なさ」とも通ずる部分ではあるが、何も無いので気が散らないのである。
遊びが沢山あると、どうしても人は遊びたくなる。
誘惑と言い換えることも出来るかもしれない。
「誘惑なんかじゃない! ネタや刺激を探し続けることが小説家には必要だ! 流行りを知ることは大切なことだ!」
確かにそれにも一理あるが、私はこの十数年、メディアやエンタメとは無縁だった。
人づてに名前を知っても、ほぼ100%、その芸能人やグループが何をしている人か知らないような状態だった。
アニメやゲーム然りである。
それでも小説は書けるのである。
私にとって小説を書くうえで、様々なエンタメを知る以上に大切だったのは「何も無い」状態に身を置くことだったと思っている。
私も初めは都会的な場所に息抜きをしによく出かけていた。
近くの大型商業施設などである。
しかししばらく通うと見えてくるものがある。
それは春夏秋冬によって用意されたバリエーションの変化があるだけで、売り物の本質は「同じ」ということだ。
都会はこのバリエーションがあまりにも多いので、ずっと目新しい出会いがある。
しかし、語弊を恐れずいうならその出会いは「イミテーション」なのだ。
姿を変えただけの同じものを、ずっと繰り返し見ているに過ぎないことに、田舎に移ってから体感として知ることが出来た。
私はこの体感をある種の悟りだと思っている。
そして小説を書くうえでとても重要なものだと思っている。
上記の話に照らし合わせるならば、物語やキャラ構成の骨格も、見かけを変えただけの同じ原理で動いているからだ。
飾りを取り払えば、人も物語も、本質は似通っている。
その骨格を体感で理解すると、キャラ作りや物語作りで悩むことはずっと少なくなる。
しかし骨格を理解しないままキャラを作ると、腕があらぬ方に曲がったり、言うはずのない事を喋ったりする。
世界の骨格を理解するためには、削ぎ落としてシンプルにするほうが早い。
田舎はシンプルなシステムと、シンプルな動機で回っている。
それを体感出来ることは、世界を理解する大きな手助けになり、小説という世界を創造する作業に、非常に大きな貢献を果たす。
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