田舎暮らしは小説家に向いている②
無数にある選択肢の中から、自分の本質、得意、本領を発見するのは難しい。
しかし世に出ている小説家の先生方を見るに、世に出るとはとどのつまり、「自分の本領を発揮する」というのに尽きるように思う。
ここで難しいのが「自分の好き=本領」とは限らない点だ。
下手の横好きというように、自分の好きと与えられたギフトが一致するとは限らない。
大量に選択肢が与えられると、好きが増えていく。
人間は沢山のものを好きになる。
それくらいこの世界には素敵なものが溢れている。
しかしである。
今、目指しているのは小説家だ。
厳しいことを言えば、薄い好き、浅い好きは、読者に看破されてしまうのである。
濃密な好き、濃密な理解、濃密な説得力。
読者はそんな作品をを求めているように思う。
そこで田舎暮らしである。
田舎には選択肢が少ない。
しかし大まかなタイプは揃っている。
街(エンタメ)、自然、人、仕事、霊、歴史、善悪。
それが細分化された、いわばバリエーションが少ないだけで、大枠は揃っている。
スタバはあるけどドトールは無い。
ドトールはあるけどタリーズは無い。
大手は揃ってるけど、お洒落な個人のカフェはないなどなど……
そんな感じである。
逆にこれを使えば、大枠で自分の適性を測ることが出来る。
ハンターハンターの水見式みたいなものである。
それからは系統別の基礎訓練、つまり生活がある。
六角形の得意の頂点を中心に、隣り合った系統も鍛えられる。
ハンターハンターを知らない方の為に真面目に書くなら、
勉強が得意→コミュニケーションが得意→計画を練るのが得意→肉体労働が得意→黙々と作業するのが得意→細々した作業が得意→勉強が得意
これをそれぞれ六角形の頂点に置くと、隣り合った能力は互換性があり、離れるほど苦手ということになる。
得意を自分の能力の限界まで伸ばす中で、隣二つも鍛えられ、厚みや深みが増していく感じである。
そこで得た様々な事象を小説に活かすイメージだ。
もちろん、こんなのは度外視して、好きを極める鬼才も存在するが、はっきり言って特質系みたいなもので、それを人は天才と呼ぶ。
こういう人は、もともと好きなものにしか力を割かない傾向が強く、あらゆるものを犠牲にして好きを極めていく。
我々みたいな凡人は、得意を伸ばすほうが早いし、得意を伸ばすのはやがて楽しさに変わっていく。
得意を伸ばしながら、必要に応じて知識や経験の幅を増やすのに、選択肢が少なく、望むタイプの職場や環境へ入るための競争率が低い田舎は、小説家に向いている。
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