魅力の章

田舎暮らしは小説家に向いている①


 さっそくだが、田舎暮らしは小説家に向いていると思う。

 

 私達は文明の中で生きている。

 

 どれだけ田舎で暮らしていても、絶対に文明からは逃れられない。

 

 人間関係も然りである。


 もちろん都会には都会特有の人間関係があり、より洗練された文明がある。


 それがシティーポップやTOKYOな感じの作品を生み出しているわけで、そういう作品を書きたいなら、その中に身を浸すほうが田舎暮らしよりも利点は多いかもれない。


 しかしそれ以外の作品を書くなら、田舎には強みがたくさんある。


 まず田舎にいると、否応なく自然の猛威にさらされる。

 

 古くから受け継がれてきた独自の文化や風習のニオイが色濃く残っている。


 社会が狭いゆえに、この世界を支配する、普遍的な仕組みを理解するのが容易になる。

 

 そして本物の自然や生き物に、生活の中で、日常的に触れ合うことは、感性、とりわけは生命力を養うことに非常に有効だと思っている。

 

 

 色々と例をあげたが、今日一番お伝えしたい利点は上記のものではない。

 

 一番の利点は「」ということだ。

 

 それって良いこと?

 

 と、読者は戸惑うかも知れない。

 

 しかしこれは紛れもなく「良いこと」である。

 

 

 現代では夢や可能性が無限に広がっていると教えられる。

 

 君の可能性は無限だ! 何にでもなれる! と教え込まれる。

 

 限りない自由があると見せかけているが、果たしてそうだろうか?

 

 無限の選択肢が理路整然と並んでいるならいい。

 

 しかし実際には、生鮮食品も、生活用品も、レジャー用品も、ガラクタもごちゃ混ぜの山の前に立たされているようなものだと思う。


 そんな乱雑に積まれた無限の選択肢の中から、自分にピッタリの生き方を探すのは至難の技だ。


 結局「本当の自分らしさ」を生涯見つけることが出来ずに、ガラクタを掻き分ける作業に明け暮れてしまう。



 

 さらに言えば、乱雑に積まれた無限の可能性の中で、光り輝く宝物を発見するには資金やノウハウがいる。

 

 都会は資金とノウハウがある勝者と、資金もノウハウも無く、仕方なく必要物資を拾い集める日々を過ごす敗者の街……と言ったら、少し言いすぎかも知れないが、実際そう感じている人も少なくないのではないかと思う。

 


 もちろん田舎にも権力があり、金持ちがおり、既得権益があり、不正がある。

 

 しかし選択肢が少ないので、自分の本領を発揮できる場所を発見するのが比較的容易になるのは間違いない。


 

 例を上げれば、卒業後の進路がある。


 都会では勉強しないと生きていけないという強いプレッシャーがある。


 それなのに学歴の良い人間はざらにいるし、学歴を得ても良い就職が出来る保証はない。


 しかし田舎は勉強が苦手でも生きていける選択肢が都会より沢山ある。


 都会では学歴と職場で人種が大きく分かれるが、田舎はそれがマイルドだ。


 学歴による差別(人の目)も都会よりずっとマシに感じる。



 自分や子どもの適性を見抜いて、犬の訓練士を目指したり、大工を目指したり、就職に繋がるような専門学校を目指すことがしやすい。


 人には得手不得手があり、能力差があり、限界がある。


 田舎はそれを発見するのを手伝ってくれる。 

 

 もちろん、それを必死で見出そうとしなければ、どこに住んでいても自分の本域を発見するのは難しいのだが。

 

 

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